ぬえと頼政は共に、京都で時を過ごした。けれど彼女はやがて、平宗盛の目にとまり、強引に頼政の元から連れ去られてしまう。所有の証である焼印をおされ、辱められるぬえ。それを見て奢る平氏の横暴に憤った頼政は、ついに挙兵を決意した。
2012-10-11 23:09:05後白河法皇の息子である以仁王と共に、全国各地に平氏打倒の令旨を発し、挙兵を試みる。しかしそれはいち早く平氏側に察知され、宇治川の渡河を許し、平等院で命を落とした。駆けつけたぬえの恨みは平氏側の軍勢を弓となって射抜いたが、もはや頼政は戻らない。
2012-10-11 23:11:29木の下という人間として生きてはいても、実際はもう妖怪であるぬえは、多少の責め苦では命など落とさない。放っておけばそのうち宗盛も飽きて投げ出しただろうと、ぬえは頼政にどうしてこんなバカなことをしたのかと問う。
2012-10-11 23:12:59対する頼政は、死の中で、ぬえをずっと一人の人間として接し、想っていたことを告げる。ぬえが人間であったからこそ、妖怪なのだから平気だなんて許容はできなかったのだと。そしてどうかぬえに幸せな未来があることをと願い息絶える。
2012-10-11 23:14:58……とまあ、「ぬえちゃんの本性はあの女の子の姿」「最後に使うスペルがなんでか自分を退治した弓」「鵺退治は複数回行われていた模様」「頼政の反逆理由が木の下(文献では馬の名前)を手酷く扱われたから」「そもそも鵺退治って時代背景から見るとかなり遅くね?」みたいな疑問に対する自分なりの解
2012-10-11 23:17:44――最終的なぬえちゃんのひねくれ具合の原因になった部分を含めて、大体こんな経緯じゃなかったん可なという妄想であった。妖怪になって以降、それなりに時間があって暴れていたとか、その時のメンタリティを丁寧に描写すれば大妖怪鵺としての悪者的迫力も出せそうに思う。
2012-10-11 23:20:01あ、あととても大事なことが抜けてた。ぬえちゃんが木下って女の子という元ネタはこちらのツイートをパクりました。https://t.co/Gj2nq0ll
2012-10-11 23:54:05あれから鵺について追加で幾つか調べたけど、平家物語の1回目の遭遇では「頭は猿、体は虎~」という正体不明の怪物で、2回目は「鵺という化鳥」との記述。2回目に頼政が追い払ったのは別の妖怪だったという説も。
2012-10-18 22:55:00頼政が鵺退治後に得て、そして彼の平氏への反乱の原因とされる馬の名前は木下のほかに「九重」という説も。こっちのほうが女の子っぽいか。
2012-10-18 22:56:07前回、怪物退治は平安末期にはもう過去のものだったんじゃないかと書いたりしたけどよく考えたら頼政と同時期に鎮西八郎こと源為朝がいたのをすっかり忘れてた。
2012-10-18 22:57:39保元物語でもすさまじい剛弓の使い手として知られ、琉球で大暴れした伝承があったり、佐賀県で牛を使っても運べなかったくらい馬鹿でかい鱗をした大蛇を退治したんでも有名。
2012-10-18 23:00:31ばけもの退治と弓といえばそもそも東方に関係の深い広有射怪鳥事の以津真天。こいつは建武の新政のころだから頼政より150年以上もあとのことになる。この鳴き声の「いつまで」は「いつまでこんな辛いことが続くのか」「死体をいつまで放っておくのか」みたいな意味だという説もあるけど
2012-10-18 23:07:12これが頼政を失って後のぬえちゃんの仕業で正体不明にされた鳥とかで、鳴き声は「人間はいつまでこんなことを続けるのか」みたいな意味だったら面白いかもしれぬ。ほら、マミゾウさんと連絡とれるくらいだからぬえちゃんたぶん地上へはフリーパス。
2012-10-18 23:08:56厳密にいえば博麗大結界完成以前の時代の地底(当時はまだ旧地獄ではなくて現地獄?)は、たぶんそれなりの存在や能力があれば地上と相互移動は不可能ではなかったと思う。小野篁みたいな例もあるし。
2012-10-18 23:10:38