(原作ネタばれあり)小説&アニメ版『新世界より』についてのあれこれ
@Swishwood 『新世界より』では「土蜘蛛」などバケネズミコロニー名⇒日本書紀、奇狼丸⇒義経(⇒判官贔屓)、片目の異能者に率いられ電撃戦⇒ダヤン将軍と六日戦争、スクィーラ裁判⇒東京裁判……戦争の敗北と征服者が紡ぐ「歴史」に蹂躙される「正義」という暗喩が繰り返されるんですよね
2012-10-16 18:57:12@Swishwood その上でこの物語を編集し、書き記す渡辺早季とは何者か、というのが問題になるわけです。早季の社会側の精神障害者や視覚障害者の排除というのはナチスの優生学のイメージが重ねられているものだとも思いますが、そのあたりも含めて。
2012-10-16 18:59:36@Swishwood というか、日本書紀における「土蜘蛛」とは何者か。「日本書紀」という書物の目的はなんであったか。そこはもう、そのまんまな話なわけであったりします。
2012-10-16 18:59:57@Swishwood 実は原作小説冒頭の語りから早紀のヤバさは明示されているんですよね。《出来る限りの人に聞いて回る必要を感じて》記したといっていて。で、早紀にとって、その聞くべき「人」の範囲には……あくまで含まれない。それが早紀(たち)が選びとった立場と未来なんだ、という。
2012-10-16 19:05:15@Swishwood 《見逃しがちで、でも実はそれこそもう完全に決定的なこと、核心であることをごくごく始まりに置く》のは実に本格ミステリ的な仕掛けで。で、貴志祐介は『硝子のハンマー』などを書いた極めて優れた本格ミステリ作家でもあるんですよね。そういうことだと思ってます。
2012-10-16 19:14:07@Swishwood ちなみに諸々の責任をおっかぶされて裁判にかけられる小悪党の野狐丸ですが。彼はぶっちゃけた話、東条英機なんだろうと思ったりもしますね。
2012-10-16 19:16:30@Swishwood ナレーションはちらほら入っていますが、ナレーションを入れているのが誰か、そしてその誰かは語っているその時、どういう立場なのか。そこら辺を伏せていますね。
2012-10-16 19:18:07@Swishwood ただ、アニメ版第二話での真里亜についてのモノローグで、それはもう結構、割と盛大に、語り手である早季の考え方のヤバさは滲みでていて。その演出がとてもいいと思えました。
2012-10-16 19:21:17@Swishwood というか全編ひたすらドス黒いメタファーまみれですよ。原作小説は怖さ、黒さは基本的にそういう暗喩中心です。少し前にも書きましたが、アニメ版は割とビジュアルで怖さ、黒さを描いてきていますし、多分、これからもそう。その選択はとても正しいとも思いますね。
2012-10-16 19:23:48@Swishwood ただ、恐怖の描き方としてどちらが上質かというとどうしても原作に分がありそうですが。アニメ版は例えばあの凶々しい文字で記された名前にあのハンコ、といった直接描写でビジュアル的に押しつけるように訴えかける。怖さの行く先も不幸な犠牲者という少数に襲いかかるイメージ
2012-10-16 19:37:43@Swishwood 原作小説は例えば「全人学級」という言葉、システムの怖さ。用語の意味を考えた時、ではそこに上がれないというのは……と。あえて直接描写を避け、読む側に考えさせ思い浮かべさせる。不幸な犠牲者だけに襲いかかるのでなく、システムとして全員が既に組み込まれている怖さ。
2012-10-16 19:38:46@Swishwood もっとエグいのが、五人一組で動く学園生活の後、大人になって以降を描くパートに移るとその六人を引き継いだ「五人組」が基本単位になるとしれっと書かれるやり口。そこに読者が気づいた時、脳裏に「歩留まり」という言葉が浮かんでのドス黒さたるや……という。
2012-10-16 19:38:59@Swishwood ああ、「千年もたったはずなのに、あれ、読めてしまえそう?」という。そこは、異能ベースなので戦乱の時代は文字や科学方面の技術は衰退を辛うじて押し留め維持という方向、落ち着いてからはボノボの群れを参考に社会全体を緩く緩く、留めおくような方向にしてたから、という。
2012-10-16 19:48:17