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山本七平bot @yamamoto7hei
1】昭和十五年戦争という言葉がある。払もこの言葉を使うが、使いながら少々抵抗をおぼえざるを得ない。この言葉には確かに「日本的誇大表現の要素」がある。<『日本はなぜ敗れるのか』
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2】というのは、この言葉は昭和6年9月18日の柳条溝事件による満州事変の勃発から昭和20年8月15日の無条件降伏までの13か年10か月余の期間を示す言葉であろうが、この期間のすべてが戦争だったわけではないからである。
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3】戦争の期間はむしろ、昭和12年7月7日の盧溝橋事件から起算すべきではないかと思う。これを計算するとほぼ8か年である。
山本七平bot @yamamoto7hei
4】8年という歳月は、百年戦争や三十年戦争と比べても、1954年のディエンビェンフー陥落から75年のサイゴン陥落までの21年間(勿論ベトナム戦争はそれ以前からはじまっているわけだが)に比較しても、はるかに短い期間である。
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5】史上、8年前後の戦争は決して珍しくなく、これは世界史的基準では到底「記録的長期戦」の中に入らないが、しかし日本人にとっては、耐えがたい長期戦であったことは否定できない。
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6】無理もない、それまでに日本が行なった近代的戦争では、日清戦争が明治27年8月1日の宣戦布告から28年3月30日の休戦〔条約〕調印まででちょうど8か月、しかし2月1日の清国講和使節との広島会談と全権委任状不備を理由の交渉中断のとき、即ち7か月目に実質的に戦争は終っている。
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7】一方日露戦争は明治37年2月8~9日のロシア艦隊攻撃と10日の宣戦布告にはじまり39年6月1日のルーズベルト米大統領の講和勧告(日本10日、ロシア12日受諾)の1年4か月で終っている。同じ計算をすれば、満州事変は約5か月で終っている。
山本七平bot @yamamoto7hei
8】以上のような体験しかない日本にとって、戦争という概念が「月で計算するもの」であって「年で計算するもの」ではなかったことは、明らかである。 このことは、伝えられる天皇と杉山参謀総長との問答が何よりもよく示しているであろう。
山本七平bot @yamamoto7hei
9】「戦争はどれくらいで終るか」 「南方方面は三か月ぐらいで片づけるつもりであります」 「汝は日支事変のとき陸相であったと記憶する。そのときも事変は三か月ぐらいで片付くと言ったが……」。
山本七平bot @yamamoto7hei
10】結局、日華事変という苦い体験をすでに4年続けながら、なお、それは「特例であって、戦争とは月単位で計算すべき事柄」だったのである。
山本七平bot @yamamoto7hei
11】この事情は海軍も変らず「最初の半年ぐらいは思う存分、あばれまわってごらんに入れる。だがそれ以後は予測がつかない」という山本司令長官の言葉も、「月単位の計算」である。
山本七平bot @yamamoto7hei
12】本職の認識がこの通りであるから、一般人の常識はこれ以上ではあり得ない。それらをよく示しているのが「事件」「事変」という言葉であろう。 「上海事件」などの事件はいうまでもなくアクシデントの意味であり、「変」は「本能寺の変」の変すなわち、不時の非常の出来事の意味であろう。
山本七平bot @yamamoto7hei
13】広辞苑は「事変」とは元来は「①警察力では鎮定し得ぬ程度の擾乱」の意味とし、「②国際間の宣戦布告なき戦争〔を〕もいう」と付加しているが、この付加は「日華事変」以後に生じた意味であろう。
山本七平bot @yamamoto7hei
14】「事変」がとんでもない事変になったため、事変そのもの意味が変ってしまったにすぎない。従って「日華事変」という言葉自体が、その勃発特における軍の首脳の理解の仕方と当時の一般人の常識を示している。
山本七平bot @yamamoto7hei
15】従って、これを「日中戦争」と言いかえてしまうと、かえって上記の実情はわからなくなってしまう。 これだけではないが、戦後のさまざまの「言いかえ」は、その真相を逆に隠蔽する役目しか果していない。
山本七平bot @yamamoto7hei
16】日華事変のはじまる前、日本は北支にさまざまな権益をもち、まずこの地に華北駐屯軍のあと押しで冀東〔防共〕自治委員会を成立させ(昭和10年12月)、ついで「北支処理要綱」に基づいて華北五省を日本軍勢力下の自治区にしようと画策していた。
山本七平bot @yamamoto7hei
17】蘆溝橋事件はこの間に起った事件だが、つづいて通州で、前記の冀東政府の保安隊が叛乱を起し、在留邦人を虐殺するという事怖が起った。 これが通州事件である。
山本七平bot @yamamoto7hei
18】当時、日本は治外法権をもち、領事官が警察権をもち、これを領事館警察といって邦人保護にあたっていたわけだが、通州事件のような場合は、確かに「警察力では鎮定し得ぬ程度の擾乱」である。
山本七平bot @yamamoto7hei
19】日本の出兵は、一部はこれの鎮定と邦人保護を名目としていたから「日支事変」「日華事変」という言葉は、おそらく、それから生じたものと思われる。
山本七平bot @yamamoto7hei
20】前に安岡章太郎氏と対談したとき、氏は、昭和13、4年ごろの、やりきれないような厭戦気分と底無しの退廃的事象を指摘されたが、これは私も覚えがある。
山本七平bot @yamamoto7hei
21】日露戦争の例を見ると、我々は例え「これは国家の存亡をかけた太戦争である、政府はこの事態を避ける為あらゆる努力をした」と説明され、それに納得し覚悟した処で、精々二年位しか戦争という緊張には耐えられない国民性をもっており、それは当時の新聞や株式市場の記録を見れば明らかである。
山本七平bot @yamamoto7hei
22】それが、そういった「国民の決心・決意」を求めることもなく「3か月位で片づく」「警察力では鎮定し得ぬ程度の擾乱」への対処であった筈のものが、ずるずると訳の判らぬ一大戦争に発展していっては、何ともいえぬやり切れない気持になり、同時に先行きに強い不安をもつのが当然である。
山本七平bot @yamamoto7hei
23】そしてそれを自らの手でどうもできないこと、さらに、否応なく自分がそれに捲き込まれていくことが、底無しの退廃を生む。
山本七平bot @yamamoto7hei
24】さらに大きな問題は、過去の戦争がすべて、8か月とか1年4か月とかであったので、戦争が一国の経済に大打撃を与え、否応なく国民生活を圧迫して行き、しまいには食も衣もなくなってしまうという経験が、政府にも軍部にも国民にもない、ということであった。
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