【2012年大河ドラマ『平清盛』と大河botの〈語り〉に関する一考察】gontaayaさんのツイートまとめ

『平清盛』特有の現象の一つ、大河botたちによる壮大なるお戯れ。gontaayaさんの一連のツイートを勝手ながらまとめました。
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ごんたあや @gontaaya

大河botのツイートもまた、それにふさわしき言葉が選ばれ見事に組み合わさったときこそもっとも美しい。

2012-10-13 12:23:26
ごんたあや @gontaaya

大河botたちのツイートは、TL上にもう一つのドラマ世界を創り出していく。フォロワーは大河botと会話することで、この<物語り>に自由に出入りして流れをつくっていく。そのツイートや会話を読むひとびとも、「RT」や「お気に入り」の表現で拍手を送り、ゆるやかに輪に加わっている。

2012-10-13 21:34:26
ごんたあや @gontaaya

大河botの<語り>は、このドラマを観るひとびとの胸の内にある、語られない事への渇望を満たしている。ドラマ前半の混沌は観る者を選抜し、時に困惑の海に投げ込んだが、大河botの存在はその海を泳ぎぬく目印、TL上の揺るぎない軸となっていたと思う。 #平清盛

2012-10-13 21:41:29
ごんたあや @gontaaya

大河botのありようをおさえた上で、さらに踏み込んで、『平家物語』の〈語り〉について考える。やや遠回りになるが、大河ドラマのありかたおよび大河botという現象の本質はそこに根ざしていると思うからである。

2012-10-20 23:09:45
ごんたあや @gontaaya

印刷技術が広まる前、奈良~室町時代、多くの書物は手で書き写された。ある人が書いた本を、別の人が自分の蔵書にしたい時は借りて書き写し(写本)、その写本をまた別の人が借りて書き写す。作者の自筆本「原本」はたいがい失われて、書き写されて大切に保管された「写本」だけが現存する場合が多い。

2012-10-20 23:25:51
ごんたあや @gontaaya

藤原道長の日記『御堂関白記』は、藤原摂関家の家宝として大切に保管されてきたため奇跡的に自筆本が現代に残っている。悪左府藤原頼長の日記『台記』の自筆本は残っていない。しかし保元の乱の後、こぞって書き写されたらしく、藤原定家も『台記』を書き写したという記録が彼の日記(明月記)にある。

2012-10-20 23:29:10
ごんたあや @gontaaya

京や日本各地で起きた戦闘や災害で多くの書物が失われた。だから写本が残っているだけでも幸運な事である。だが各所に残る写本(伝本)をよく見比べると、同じ作品でも内容が違うことがかなりある。長い年月の間に、誤写や意図的な訂正などで、内容表現が異なる本(「異本」とよぶ)が生まれてしまう。

2012-10-20 23:51:26
ごんたあや @gontaaya

作品研究の第一の仕事は、複数の伝本(ひっくるめて「諸本」と総称)を整理して、「原本」をできる限り復元する事である。諸本の本文を比較して同じ所・違う所でグループ分けし、諸本の親子兄弟関係を割り出して系統図を作る。そして原本に最も近いと思われる伝本を系統図の「祖型」の玉座に就かせる。

2012-10-21 00:47:53
ごんたあや @gontaaya

『平家物語』の原本もやはり存在しない。原型らしいものが書かれたのは壇ノ浦から約30年後とされるが、この作品に関しては一般的な諸本研究が通用しない。以下、『平家物語』について各書から引用する。『平家物語』の研究史それ自体が、〈物語〉とは何か、ということを考える上でとても興味深い。

2012-10-21 15:34:54
ごんたあや @gontaaya

*『平家物語』は単に一人の人だけが書いたわけではないとする理解は古くよりあった。現実に起きた周知のことが材料なのだから、文筆の才能さえあれば誰でも書けるし、書き変えも許されるという発想だろう。物語に様々な手が加わり、異本が作られた背景にある発想といえる。 (『平家物語大事典』)

2012-10-23 09:54:10
ごんたあや @gontaaya

『平家物語』は、研究者が扱いに困るほど膨大な異本を持っている。これは、平家滅亡の歴史が多くの人々に語られ書かれ、二次加工・三次加工…と改作され続けた結果であり、そうして生まれた個々の〈物語〉が、互いに影響し合いながら共存し、ひとびとの支持を受け、書物の形で世に残った結果である。

2012-10-27 16:17:24
ごんたあや @gontaaya

『平家物語』の〈語り〉は、大きな枠組みを保ちつつ多種多様に存在する。しかし、現代のひとびとが教科書で学び、今読むことのできる『平家物語』は、ほとんど一つ、琵琶法師の覚一が口述筆記させた「覚一本(かくいちぼん)」系統に限られている。多様な諸本のうちの、わずか一系統だけを読んでいる。

2012-10-27 16:21:27
ごんたあや @gontaaya

かつては琵琶法師が『平家物語』の本文を形成→変化させたと信じられていた為、語り本の覚一本系統の本文が正統視された。しかし近年では、僧侶や貴族の読み本として書かれた延慶本が最も古い要素を残している事や、語り本と読み本は相互に影響しあっていた事が分かり、覚一本の優位性は失われている。

2012-10-28 09:46:23
ごんたあや @gontaaya

『平家物語』は覚一本だけではないのに、覚一本だけをもって『平家物語』が評価される。現代の『平家物語』は、覚一本の世界観一色に染まっている。その現状を憂いつつ、諸本の扱いに手間取る研究者の忸怩たる思いが、大河ドラマ『平清盛』の制作にも反映され、正面突破を図らせた気がする。 #平清盛

2012-10-28 15:23:42
ごんたあや @gontaaya

再三指摘されるように、大河ドラマ『平清盛』は、覚一本による『平家物語』をなぞらない。時に出来事・人物に対する価値観を反転させる。定型化した語りに目も耳も馴染んだひとびとの違和感を招くことは承知の上でも、新たな〈語り〉を創らなくてはならないという思いが強く感じられる。 #平清盛

2012-10-28 15:28:21
ごんたあや @gontaaya

大河ドラマ『平清盛』は、『平家物語』最新の異本である。それを目指している。中世以来、時代と目的に応じて書き手と語り手が生み出してきた『平家物語』諸本群に連なり、『平家物語』の多種多様な〈語り〉の歴史を受け継いで、今この時代にふさわしい「異本」を創ろうとしているのだろう。 #平清盛

2012-10-28 17:03:05
ごんたあや @gontaaya

覚一本における清盛と西光の対決は、最終的に清盛が西光の豪胆さを圧倒することで、清盛の怒りの激しさと苛烈な力が強調される場面である。しかしこのドラマでは、西光を踏みにじる清盛の足の痛みに、胸をえぐられる。同じ枠組みを語りながら、人物の心理に踏み込んでいく文脈がすさまじい。 #平清盛

2012-10-28 21:56:42
ごんたあや @gontaaya

『平家物語』諸本は、ニュアンスの違いはあれど、平清盛を、周囲を圧倒する超越的な力の持ち主として捉える大枠では共通している。悪左府、のように、人柄の激しさや苛烈さは「悪」と表される。清盛の強さも「悪」という言葉で表され、邪悪さのニュアンスだけが一人歩きして、清盛=悪人が定着した。

2012-10-29 18:15:04
ごんたあや @gontaaya

悪人ではない清盛を描きたい、というのが時代考証の研究者や制作側のコメントとして聞いた言葉である。それは日曜8時にふさわしいヒーローとしてのことなのかと思わせたが、そうではなかった。超越的な力の持ち主としてではなく、清濁併せ持つ生身の人間としての清盛を描くことだったのだ。 #平清盛

2012-10-29 18:20:16
ごんたあや @gontaaya

#平清盛 の清盛は、善ではないが悪でもない。後白河院も成親も西光も然り。時忠も然り。たぶん重盛も…。「面白う生きたい」は登場人物全員の願いで、それゆえに繋がり、あるいは滅ぼさずにいられない。加藤虎之介さんが生清盛で語っていたように、「業」としか呼びようのないものが軸になっている。

2012-10-29 18:26:58
ごんたあや @gontaaya

源頼朝のナレーションは、最も語るべき人でありながら、何も語ってこなかった人物による〈語り〉を意味する。『平家物語』諸本が今まで語らない・語り得なかった角度からの〈語り〉は画期的で、これを構想した刹那に、このドラマの「異本」としての軸は揺るぎないものになったのではないか。 #平清盛

2012-11-03 22:18:24
ごんたあや @gontaaya

#平清盛 では、源氏か平氏か、国の頂に立つか否か、勝者か敗者か、忠か孝か、面白いか面白うないか…という対立が繰り返し描かれる。が、その表現の本質は、いわゆる善悪二元論的な価値判断ではなく、あれかこれかの二項対立にからめとられ、それしか見えなくなるひとの悲しさを描く事にあると思う。

2012-11-05 11:01:03
ごんたあや @gontaaya

【2012年大河ドラマ『平清盛』と大河botの〈語り〉に関する一考察】完結篇

2012-12-22 23:04:57
ごんたあや @gontaaya

大河ドラマ『平清盛』の「異本」的性格についてもう少し。

2012-12-22 23:13:36
ごんたあや @gontaaya

大河ドラマ『 #平清盛 』は柔軟に出来事の取捨選択を行う。新たな設定や人物を加える事もある。エピソードの反復や対比、関連づけなど、平清盛を中心軸として過去・現在・未来を結ぶ因縁の物語を語る。このドラマは、かなり自覚的に、中世の説話の〈語り〉の方法をふまえているように思われる。

2012-12-22 23:18:35