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遠野九重@『20年後』コミカライズ版重版 @Six315
遅ればせながら『アベンジャーズ』を見てきた。あちこちで言われているとおり、ヒーローたち仲悪いな……。一緒の場面に出ると大抵口喧嘩してる印象。だからこそ、1ファンとしてキャプテン・アメリカに声援を送るエージェント(フィル・コールソン)が出てくるとホッとする。
遠野九重@『20年後』コミカライズ版重版 @Six315
また、口喧嘩ばかりだからこそトニー(アイアンマン)とバナー(ハルク)がそこそこ仲良くやりとりしているだけで嬉しくなってしまう。(それは一種のカタルシスだ) ひときわ仲の悪かったトニーとスティーブ(キャプテン・アメリカ)が共闘するところなどは胸が熱くなる。
遠野九重@『20年後』コミカライズ版重版 @Six315
「ヒーローが一堂に集って戦う」という状況をより感動的にするため、その前段階に対となる状況――仲間割れを置く。それは基本中の基本と言える作劇だけれど、じっさいそれをうまくおこなうのは難しい。”仲間割れ→共闘”の”→”の部分があっけなければ、見る側(ぼくら)は失望してしまう。
遠野九重@『20年後』コミカライズ版重版 @Six315
『アベンジャーズ』の”→”を印象深いものにしたのは、間違いなく、フィル・コールソンだろう。彼は見る側に好かれるキャラクター造形だった。いい年をしてそれなりの職に就いている男性が、実は熱烈なヒーロー(キャプテン・アメリカ)のファンでグッズまで蒐集している。
遠野九重@『20年後』コミカライズ版重版 @Six315
他の登場人物(ヒーロー)がお互いに負の感情を向け合う中にあって、彼だけがそうではなかった。コールソンが画面に出てくるだけで緊張した空気が和らぐのだ。仲間割れの緩和という意味では、彼の存在じたいが小さなカタルシスだったといえよう。その彼が、団結への引き金になる。
遠野九重@『20年後』コミカライズ版重版 @Six315
けれど翻ってみれば、ヒーローたちの仲間割れがなければ、フィル・コールソンはただのオタクおやじ、ヒーローの信奉者でしかない。彼が魅力的に映ったのは、他の登場人物が喧嘩ばかりしていたからともいえよう。
遠野九重@『20年後』コミカライズ版重版 @Six315
”仲間割れ→和解”という流れの『アベンジャーズ』において、フィル・コールソンの存在は重大だ。”仲間割れ”パートにおける緩和剤、見る側の見る気を保つための小カタルシスとして機能しつつ、”和解”に至る”→”を担う。名助演といえる。(具体的に何がどうなるかは本作を見て欲しい)
遠野九重@『20年後』コミカライズ版重版 @Six315
ただ『アベンジャーズ』全体を通して振り返るといくつかひっかかりを覚える部分が無いでも無い。それはひとことであらわすなら「製作側の照れ」である。「いい年してコミックのヒーロー映画なんか作ってますけど現実逃避してませんよ、ちゃんと現実ってものを知ってますから!」そんな声が聞こえるのだ
遠野九重@『20年後』コミカライズ版重版 @Six315
例をいくつかあげよう。悪く言えば、ヒーローたちはニューヨーク市民の被害を減らしただけにすぎない。敵に最大の損害を与えたのは彼らではなかった。アメリカがニューヨークに向かって放った核ミサイルだった。
遠野九重@『20年後』コミカライズ版重版 @Six315
敵の目論見を頓挫させたのは、1人の科学者の良心だった。ヒーローは成果をあげていない。クライマックスまでを仲間割れに費やし、後手後手にまわるばかり。「ヒーロー(幻想)ばかり追っかけてません。現実(最大の武器は核・問題を解決したのは科学者)を観てます」という”照れ隠し”を感じる。
遠野九重@『20年後』コミカライズ版重版 @Six315
さらに言えば、ヒーローたちを集めた組織、S.H.I.E.L.D.が大量破壊兵器を開発していたいという設定自体が大きな”照れ隠し”だろう。「正義の組織なんて幻想です、どんな組織も裏があるんです。そんな現実をちゃんと把握していますよ」という。
遠野九重@『20年後』コミカライズ版重版 @Six315
ちなみに、「主人公の所属する組織には実は後ろ暗いところがあって……」というのは日本でもゼロ年代あたり(というかエヴァ以降か?)に流行した設定である。まぁゼロ年代じたい、大きな”照れ隠し”の時代だったから当然だが。自分の言動を”中二病”なんて単語で客観視してるフリしたりね。
遠野九重@『20年後』コミカライズ版重版 @Six315
エロゲーひとつやるのに文学的だとか批評的だとか言ってみたり、ラノベ読むのにただの萌えじゃない燃えもあるなんて言ってみたり……ゼロ年代は照れ隠し年代だった。『アベンジャーズ』の端々に、それと似た空気を感じてしまうのだ。
遠野九重@『20年後』コミカライズ版重版 @Six315
そして、一番感動的なはずの、ヒーローたちが団結するに至る場面においても水を差すようなくだりが挿入されている。SHELDの司令官がある人物の死に脚色を施してヒーローに伝え、力を合わせる流れに持っていくのだ。(具体的には映画館で実際に見て欲しい)
遠野九重@『20年後』コミカライズ版重版 @Six315
『アベンジャーズ』の悪役たるロキが、いまひとつ強そうな印象を受けない演出になってしまったのも”現実”を意識した結果ではないだろうかと思ってしまう。
遠野九重@『20年後』コミカライズ版重版 @Six315
「人と人とがそう簡単に分かりあえるものか。そんな現実はちゃんと把握しているんだ」そう主張しているかのようである。ちなみに、同様の傾向はゼロ年代前半の平成ライダー(もとい龍騎と555)に見られる。現実を意識するあまりに和解という展開を描ききれなかった(かもしれない)脚本。
ぺんでゅらむ@大阪 @pendulumknock
うーん、どうだろうなあ。SHIELDと大量破壊兵器の関係は「世界を守るのは兵器ではなくてヒーローである」というニック・フューリーの強固な意志を反映させるためのギミックだと自分は思った
ぺんでゅらむ@大阪 @pendulumknock
SHIELDって結構クセのある組織で、ヒーローそのものでないのは明らかなんだけど、「後ろ暗いところのある組織」としてはバランス悪いほどにアベンジャーズに肩入れしてるんですね。ニック・フューリーに至っては実力行使を伴ってまで「ヒーローの舞台」を守ろうとしている
ぺんでゅらむ@大阪 @pendulumknock
コールソンにアメコミファンの視線が託されてるのはもう明らかなんだけど、SHIELDにはそれを実現させるための裏方、編集者だったりプロデューサーだったり映画監督だったりが反映されてると思うんですよ
ぺんでゅらむ@大阪 @pendulumknock
で、その長官たるニック・フューリーが「現実」に対して引き金を引いたってことは、現実の流れに逆らってでもヒーローの価値を世に作る、という彼らの意思を表明してるのではないか、とそう思った次第で
ぺんでゅらむ@大阪 @pendulumknock
キャップは「気高い意思に力が追いつかなかった」、社長は「有り余る力をどう使っていいか解らなかった」という設定的な対比があって、だからこの二人の対立はある種のコンプレックスに下支えされてると思うんですよね。
ぺんでゅらむ@大阪 @pendulumknock
お互いがお互いを認めてるから対立するし協力もできるってことで、特に終盤の社長は「キャップみたいにやってみた」な部分が結構あるのでその辺楽しかったです
ぺんでゅらむ@大阪 @pendulumknock
ハルクとソーはチーム内での「非人間」として共通の立場なんだけど、「神」の立場のせいで人間の関わりに立ち入れないソーに対して、「怪物」であるが故に人間の関わりに絡め取られてしまってるブルースということでこちらも対比になってたと思う
ぺんでゅらむ@大阪 @pendulumknock
特にハルクはブルースの変身前のセリフで、「ハルクの能力」「ハルクの人間社会での扱われ方」「ロキの不遜な目的」がハルクのヒーローとしてのオリジンと一直線に繋がった感じがして凄く綺麗だったと思ってます
ぺんでゅらむ@大阪 @pendulumknock
あ、「アベンジャーズ」つうタイトルもか。ブルース・バナー/ハルクが何故Avengeするのか、という所ですね
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