〔AR〕その23
「手紙を出すにしても、謝罪したところで、かつての『Initial A』と『Surplus R』の関係が戻せるとは思えません……謝れるのならば、どのような形であっても謝りたいです。でも、今は何をやろうとしても、己の行動に自信が持てないんです……」
2012-11-07 21:51:20祭りが終わってから、本当に考え続けていたのが、それだった。しかし、考えるほどに、自分には手立てが無いことを痛感することの繰り返しだった。 阿求は、無力さと共に唇を噛み締める。 「……重傷ね」 「……そうみたいです」
2012-11-07 21:51:58紫は隙の無い表情のままだ。久しぶりに、いや、今代の御阿礼の子としては初めて見た、戯れを纏わない八雲紫だった。 飛び飛びの記憶とは言え、長い付き合いだ。紫は紫なりに、自分のことを心配してくれるのだと、阿求は実感する。
2012-11-07 21:52:29「これが貴方の命に関わることなら、私も躊躇なく手を出すでしょう。けれど、貴方が抱えている問題は結局、個人間の領域を出ない。貴方も、さとりも、あらぬ他者の介入など望まないはず。ならば私は見守るしかない」 突き放す物言いだが、真理だと阿求は思う。これもまた、紫なりの阿求への助け船だ。
2012-11-07 21:54:28「時間を割いて頂いて申し訳ありません。しかし、実際その通りです。今は、紫様のお力を借りても、良くなる気はしないのです」 「いいのよ。元より私は万能でも全能でもない……いや」 阿求のものも含め、ティーセットが全て虚空に消える。そして紫は、己の背後にスキマを形作った。
2012-11-07 21:54:56「仮にそうだったとしても、私は人様の心の問題に首を突っ込むほど、くだらない妖怪じゃないわ」 「お帰りですか?」 「バイオネットが休止して少し落ち着いたとはいえ、まだ仕事は残ってるからね。もしかしたら、今年はもう人里に来ないかもしれないわ」
2012-11-07 21:55:22「そうですか……どうぞ、お疲れの出ませんように。そして、ありがとうございます」 「阿求、落ち着いて周りを見なさい。私なんかよりも、貴方を導いてくれる存在は、確かに居るはずだから」 その言葉を最後に、紫は阿求の前から姿を消した。 阿求は、また改めて庭を見る。
2012-11-07 21:56:06ただ、そこに見るべきものはない。一週間以上見続けてきたのだ。日ごとの変化を照合していくことにも飽いた。 まだ、先は見えない。しかし、紫が訪れてくれたことは、阿求にとって間違いなく救いとなった。 「……少し、出かけましょうか」 引きこもりすぎて、足が萎えてしまってないか不安だった。
2012-11-07 21:56:34一方、地霊殿では。 「こいし様、これでどうでしょうか」 「いいんじゃないかな。あと、ゴミは後でちゃんと分けておいてね」 こいしは、ゴミを片っ端から猫車に乗せるお燐と共に、部屋を見渡す。
2012-11-07 21:57:30ここは、さとりの部屋だ。いや、今は部屋だった、と言うべきかもしれない。 もう一週間以上前、この部屋は見るも無惨に壊れてしまった。部屋に置かれていた様々な調度品は破損し、今日、ようやくそういった損壊物が撤去され、清掃も終わった。
2012-11-07 21:59:46残ったのは、倒されなかったいくつかの棚と衣装箪笥、傷みの少なかった書斎机、そして最も綺麗な姿を保った、天蓋付きベッドだ。こいしの目算では、この部屋にかつてあった格調高い調度品の内、三割以上はがらくたとなり果てたのではないだろうか。都合良く代替品が存在しているということもない。
2012-11-07 22:03:36おかげで、部屋の様子は変にすっきりして、落ち着かない。単純に空間が存在するだけでは居心地の良さにはならないということが実感できる。この空間の広さは、自分の部屋に近いはずなのだが。 「でもま、寝室としては十分かな――」
2012-11-07 22:03:52こいしは天蓋付きのベッドを見て、あくびを抑えられなかった。このベッドは、天蓋こそ外しているもののこいしの部屋にも同じものが置かれている。ダイブした時の心地よさは骨身にしみている。 しかし、自分の部屋のベッドに寝ている人物のことを考え、こいしはそれを実行には移さなかった。
2012-11-07 22:04:21「そもそも、しばらくこの部屋使わないかもしれないしね――」 「そうだ、こいし様」 「なあに?」 「本と紙類はなるべくまとめておくのはいいとして、バイオネット端末の残骸はどうしましょう。見た感じ、木と金属とガラスが混ざってるんですが」 ああ、それか、とこいしは頭をひねった。
2012-11-07 22:05:03こいしはバイオネットについて詳しく知らないうちに時を過ごしてしまったが、あれは元々スキマ妖怪から押しつけられるように貸与された物だという。破壊したときの責任の所在は、おそらくさとりに聞いてもわからない。 いや、今のさとりに対しては、バイオネットがらみのことを聞くのもはばかられた。
2012-11-07 22:05:46「とりあえず、それの残骸だけわかるようにひとまとめにしておいて。何を言われるにしろ、現物の名残があった方が少しは印象も違うでしょ」 部屋が凄惨な有様となっていた間、さとりはこいしの部屋に移って時を過ごした。
2012-11-07 22:09:17あの日の夜は、さとりの部屋で眠りについた姉妹であったが、流石にずっとあのような状況で過ごすわけにもいかなかった。 とはいえ、部屋の片づけが済んだとしても、さとりがまたすぐ部屋に戻るかは疑問だった。
2012-11-07 22:09:36「……こいし……こいし……どこにいるの?」 か細い声が、ドア越しに聞こえてくる。 「……お姉ちゃん、起きたみたい。お燐、後は任せるわ」「あ、はい、わかりました……」 こいしはお燐に軽く頭を下げた後、部屋を出た。 頭を巡らせると、左方向から、おぼつかない足取りのさとりが姿を現した。
2012-11-07 22:10:58「こいし……」 さとりはすぐにこいしに気づき、よたよたと駆け寄ってきた。 そして、食いつくように、こいしの体に抱きついた。 キスができてしまいそうなくらい近づく姉妹の顔。半泣きで安堵の表情を浮かべる姉の顔を、こいしは気づかれないような角度で悩ましげに見る。
2012-11-07 22:11:33さとりの顔面はガーゼと絆創膏に覆われていた。隙間から、自傷の跡が未だ生々しく残っているのが見える。化膿こそしていないが、爪でひっかいた痕は赤いペンキの刷毛を振るったかのようだ。また、こいしの服の背中を掴む手は、包帯でぐるぐる巻きだ。
2012-11-07 22:12:00「ああ、ごめんねお姉ちゃん。寝ている間に終わらせるつもりだったけど、時間がかかっちゃった」 「うん……うん……」 「大丈夫だよ。私はどこにもいかないから」 あやすようにこいしは言う。さとりはそれに応え、一層こいしに体を密着させた。
2012-11-07 22:12:24祭りの日が過ぎてから、さとりはずっとこの調子だった。とにかく、一時たりともこいしから離れようとはしない。最初の数日は、視界にこいしが存在していないと赤子のように泣き出し、夜泣きさえ起こしていた。
2012-11-07 22:12:35このため、こいしは祭りの日から今日まで、さとりが起きている間は彼女に付きっきりにならざるを得なかった。自由に動けるのはさとりが寝ている間のみであり、さとりの部屋の片付けが遅くなった遠因でもある。
2012-11-07 22:13:04こいしはそれ自体はかまわなかった。今のさとりには誰かが寄り添っている必要があると、誰よりも感じているからだ。 それでも、暗泥としたものが溜まっていく。 この先も、ずっとさとりがこのままでは、遠からず無理が生じてくるだろう。その時になって、自分たちだけで地霊殿を維持できるのか?
2012-11-07 22:14:22