斉藤斎藤「予言、〈私〉」に関する一考察

「短歌研究」2012年11月号に斉藤斎藤さんの連作、「予言、〈私〉」が掲載されました。 この連作は、なぜか作者名が二重取り消し線で消されていたり、「才能を疑いて去りし学なりき今日新しき心に聴く原子核論」という岡井隆さんの歌がそのまま載っていたりと、とにかく特徴のある連作です。 この連作について私、堂園がサブアカウント(@honwoyomud)で考えたこと、および宇都宮敦さん(@utsuno)、錦見映理子さん(@eliko38)とお話したことをまとめました。 続きを読む
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@honwoyomud

@eliko38 まとまったものが読みたい、というのは私も同意見ですね。お疲れのところ、お付き合いいただきすみません。ありがとうございます。おやすみなさいー。

2012-11-16 01:51:56
うつの @utsuno

@honwoyomud @eliko38 過去の発言は原子力への批判一辺倒ではないような気が。むしろ平和利用についての歌は「原子力は夢のエネルギー」的な内容が多い気がします。ただそれが現在の地点からみると非常にグロテスクな「恐ろしい」ものにみえるという。

2012-11-16 01:44:34
@honwoyomud

@utsuno @eliko38 あ、そうですね。先ほどようやく11月号が見つかったので読み返してみると、宇都宮さんのおっしゃる通りだと思います。

2012-11-16 01:49:32
うつの @utsuno

@honwoyomud @eliko38 @honwoyomud @eliko38 たとえば、原子力温泉の話はどこかで聞いたことある気がしたんですが、たぶんこのへんの中曽根発言が元ネタ。http://t.co/1wzsPTp2

2012-11-16 01:57:58
@honwoyomud

@utsuno @eliko38 なるほど、読んでみるとたしかに一致していますね。よく見つけられましたね…。この文脈だと、より戦後の原子力政策への批判が鮮明化しますね。

2012-11-16 02:03:27
@honwoyomud

たぶん、読み筋としては、おおまかには間違っていない気がするけど、それでこの連作が素晴らしいかどうかは、実は私もまだわからない気がする。ここまで話してきて申し訳ないですが。

2012-11-16 02:16:01
錦見映理子Info @eliko38

@utsuno @honwoyomud 原子力温泉、知りませんでした…。こうして一首ずつ誰の言葉なのか特定していくと、見えてきそうです。(それとは別にやはり、この一連を読んだとき何かもやもやするのはなぜか、時間のあるときにちゃんと読んで考えてみます。今日はありがとうございました)

2012-11-16 02:17:35
錦見映理子Info @eliko38

もっと刺さってくるでしょう?他のだと。読まなかったことにしたくなるような。それがなんで無かったんだろう?というのが気になっています。でも単に私の側の問題かもしれないから、まだよくわからない。

2012-11-16 02:20:25
@honwoyomud

@eliko38 それは僕も思いました。作品の問題かもしれないし、自分の問題かもしれない。考え中です。

2012-11-16 02:22:05
@honwoyomud

では、私も寝ます。宇都宮さん、錦見さんのおかげで、私ひとりではとりとめのない思考でしかなかったものが少しまとまった気がします。お二人ともありがとうございました。

2012-11-16 02:22:34
錦見映理子Info @eliko38

オイディプス王は、予言されたことによって自分を知ることになる。予言されてしまうことは、ものすごくおそろしいことであると思うんだけど。。。

2012-11-16 02:26:29
@honwoyomud

【後日追記】あとから考えると、やっぱり全ての歌が、そのままなんらかの引用だと思ってきました。それくらい徹底していないと、二重取り消し線の意味がないですし。

2012-11-17 00:25:44
@honwoyomud

【後日追記】おそらく、岡井さんの歌以外の多くは散文からの引用で、戦後に出た原子力関連の本から、「57577」になっている部分を抜き出したのだと思います。句点読点の多さがそれを示してます。もしかすると歌も何首かあるかもしれない。予想では、竹山広さんの歌などが入っている気がします。

2012-11-17 00:26:55
@honwoyomud

【後日追記】なぜ、註や詞書によって引用だとわかるようにしなかったのかは、それをやるとあらかじめ決められた枠の中で歌を読んでしまって、過去の言葉をそのまま現在に置いた異様さが出ないからだと思います。

2012-11-17 00:27:44
うつの @utsuno

@honwoyomud 堂園さん、あれからちょっと考えたことをメンションさせてもらいます。うざかったらごめんなさい。1.引用か出典か。僕は散文からのは出典レベルだと思いますね。あれだけ語尾がそろうのは不自然なので短歌形式に落とし込んでいるのは斉藤さんだと思っています。

2012-11-17 09:43:19
うつの @utsuno

@honwoyomud ヒントになるのは「<私>」という表記で、過去、斉藤さんはこの表記をヴァーサス11号で書いていた「生きるは人生と違う」という論考で使っています。客体用法の私は「私」、主体用法の私は<私>、あるいは人生を担うのが「私」、生きるを担うのが<私>といった感じで。

2012-11-17 09:53:15
うつの @utsuno

@honwoyomud 過去の文献群の言葉から発語者のもつ人生をはぎ取り、その場その場を生きた<私>の発言に解体し、斉藤さんが短歌形式に落とし込み(落とし込む必要のないものもあるが)、予言として連作として編纂した作品。つまり、10人の<私>とひとりの「私」によるものなのかなと。

2012-11-17 10:05:35
うつの @utsuno

@honwoyomud なので、あの作者名の表記は、作者名の否定というよりはこの役割分担(?)、私の半分しか斉藤斎藤はやってませんよ的なことかなあと(この辺は自信なし)。2.あの歌以外にほかの歌でも全文他の歌引用してないか。これ僕も思いました。結核菌の歌とか療養歌人のものっぽい。

2012-11-17 10:16:30
うつの @utsuno

@honwoyomud 3.「証言、わたし」との関係。こっちは、もしかしたら、そこにいたかもしれない「わたし」が短歌を書いてる。他人のなり代わりというよりも、私の遍在化と思いました。「予言、〜」より斉藤斎藤的な文体が強いと思うんですが、そういうことに由来しているのかなと。

2012-11-17 10:21:50
うつの @utsuno

@honwoyomud 「証言、〜」は再読できてないので間違えてるかも。それでは長々というかいっぱい@飛ばして失礼しました。やっぱりついったーで短歌のこと話すのは大変だ。

2012-11-17 10:23:11
錦見映理子Info @eliko38

「証言、わたし」について書いたやつも後でブログにでもあげておこうかなあ。どうしよう…

2012-11-17 12:18:44
錦見映理子Info @eliko38

「はじまりの対話」に入っていた連作にも、いろんな人の言葉をミックスというかマッシュアップして書いてあるすごい部分があり、それが何なのか書きたい。予言についてよりそっちに今興味が。だがあれは歌の部分じゃない…

2012-11-17 12:31:21
錦見映理子Info @eliko38

DJみたいだな。あれこれ混ぜて踊らせる。聞いた人の体に作用する。

2012-11-17 12:36:31
錦見映理子Info @eliko38

だから、座っていたい人などは、読んだ瞬間怒ったり不快になったり拒否したりする。斉藤さんの書くものは、自分がそれの何に反応するか試されるところがあるから、よく見極めないとならなくてたいへん。不快になったら、なぜ不快になったのかな…とぼんやり考えながら暮らすといいような。

2012-11-17 13:24:24