「1杯のコーヒーにまつわる3ツの掌編 / twosome's three short stories with cup of coffee 」 - 3rd shot.
- chicken_edda
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からん、からん、と 店主の耳に馴染んだ軽やかなドアベルが揺れた。仏頂面でドアを押し開けた客人よりも先に、晩秋の夜風がひゅうっと勢い吹き込んで、店内の気温を無遠慮に下げる。平素よりもやや熱を持った店内で、その冷たさは、ひととき心地よくもあった。
2012-11-17 22:35:38いらっしゃい、とカウンターの内側から振り向いた店主――客は気の抜けた顔だと評している――は、会釈代わりに、ひらりと手を振って見せた。む、と客人が微かに眉間を詰めたのはおそらく店中に充満している甘い、甘い匂いのせいだろう。
2012-11-17 22:36:38バニラやチョコレートの匂いに、すこし違和感のあるにおいが混じって――いる、のに、店主も心持ち眉を寄せる。 が、ずっと焼き菓子だのいろいろの強い匂いのなかにいる自分の鼻はあてにならない、と結論付けた。
2012-11-17 22:36:59指摘されるまでもない。ドアの外には"close"がかかっていた。それでも、閉店後の時間をこのカフェにいることも多い彼を、常連客は当然のように知っている。 そして彼がとりわけ気分を悪くすることなく、平素の営業時間中のようにしてくれることも当たり前に、承知していた。
2012-11-17 22:42:31身に纏いつく夜気を払い散らすように、客は迷いなくカウンター前のスツールに腰を下ろす。ぎょ、と店主が一瞬おどろいたように目を見開いたのを視界の端にはとらえつつ、まったく気には留めなかった。ポケットから抜き出した煙草のパッケージを、カウンタテーブルの面でトントンと叩く。
2012-11-17 22:42:40『――ですよね。明日で10月も終わり。肌寒さを感じる日も多くなってきました――。 男性は、失礼ながらあんまり変わり映えがしないなーって思ってしまうんですけど、女性はストールとか、あったかいものを着ける人が日に日に増えてるように感じますねぇ―――』
2012-11-17 22:43:21聞き覚えのない声が、時折低いノイズを混じらせる。とりたてて甲高くも低くもない声――今日のBGMはこれらしい。決して新しくはない、灰色の四角いラジオが、どこぞのFM局に周波数を合せている。
2012-11-17 22:43:58毒にも薬にもならないトークを聴くともなしに聞き流す。電波の良し悪しよりも、さほど音質の良くないスピーカーの音量を大きめに流しているのか、音割れがしていた。
2012-11-17 22:44:18思いがけずカウンターに鼻からのめって顔面を打ち付けかけるのをかろうじて堪えた。取り落とした煙草がカウンタを転げる。勢い、身を起こすに留まらずガツンと音が立つほど拳を叩き付けてスツールを立つ。いったい何を頓狂な事を言い出すのかと店主の胸ぐらをエプロンに皺がたつほど掴みあげた。
2012-11-17 22:47:53カウンタ越しに無理矢理ひねりあげたもので、店主はかなり無理な体勢でばたばたと暴れたが、解答次第では五体満足で居させまいと誓う。問答無用でも構わない程度だ。 「いだだだだだだ!! ちょ、ちょっ と! 話を、」 「ほぅ?」 「あたま!!きみの!」
2012-11-17 22:48:43上客相手にあたまがおかしいだの、天使を相手に妖精だのと、もはや狂ったのはこいつの頭の方でしかない。 叩けば叩くほど正気に近づくか試してもいい。というか試してみるべきだろう。それでなんだか解決しそうな気もするという適当な理由でもう1度拳を振り上げた。
2012-11-17 22:49:37頭の上? といささか興をそがれたような 緩んだ手元を幸い、隙をついて距離を取る店主。 「払ってみなよ?」 言って、掴まれたエプロンの皺をいじるのとは反対の手でついっと客人を指差して見せる。指を差すなとそれでも噛みつくように言いながら、2度ほど髪を撫でつけた。
2012-11-17 22:50:34と、その端からぽろぽろと落ちてくる、つかめないほど小さな何か。 カウンタの上に落ちた数粒は花のかたちがこころばかりかゆがんでいた。萎れているのかもしれない。小指の爪先よりも小さい、橙色の小花。 あの噎せ返るようなにおいが、記憶をかすめる。あのにおいの、大元だ。
2012-11-17 23:04:11