アーツ前橋アートスクールSコース第一回黒沢伸さんレクチャーのまとめ

水戸芸術館・金沢21世紀美術館の立ち上げに関わった黒沢伸さんの、美術館サポーター組織についてのレクチャーです。黒沢伸さんが関わった事例から、体験に裏打ちされた深い言葉が紡がれています。「できるだけ現場の自由裁量を愛すること」など、様々な名言が含まれています。
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@MaeBunsui

地域アートプロジェクト制作補助 たとえば、展覧会だけでなく、ダンスのワークショップやさまざまな制作の補助や、会場設営、受付など。

2012-11-18 13:28:53
@MaeBunsui

定例会、サポーターミーティングを月一回程度開催して、サポーター間の情報共有をはかっていく。

2012-11-18 13:30:48
@MaeBunsui

九冨さんからの、アーツ前橋サポーター案は終了。続いて、黒沢さんのレクチャー。

2012-11-18 13:31:50
@MaeBunsui

黒沢さんが所長をつとめる、金沢湯涌創作の森についての説明。

2012-11-18 13:35:05
@MaeBunsui

水戸芸術館と、金沢21世紀美術館のサポーター制度の立ち上げにも関わる。

2012-11-18 13:35:40
@MaeBunsui

サポーターについての考え方 大勢の人がかかわるので、すったもんだがある。でも、「たのしむ」ことが重要。楽しむことがないと、支えることもできない。

2012-11-18 13:38:03
@MaeBunsui

「支えるとは?」今日の中心的なテーマ 誰が何をサポートするのか?

2012-11-18 13:38:39
@MaeBunsui

「ひろがる」ことの重要性。あと、「つがながる」ことの重要性。そのために必要なことはなにか?

2012-11-18 13:39:46
@MaeBunsui

そして、それらの原動力になる、「楽しめる」いい環境作りが最重要になる。

2012-11-18 13:40:22
@MaeBunsui

最近では、アート系のサポーターというと、美術館だけでなく地域アートプロジェクトのサポーターが注目を浴びている。

2012-11-18 13:40:58
@MaeBunsui

時間を遡って、黒沢さんの体験から。水戸芸術館の立ち上げ バブルのなごりがあったころ。 かなり先鋭的な思想のもとにたちあげられた。

2012-11-18 13:42:29
@MaeBunsui

東京中心ではない、地域からの発信を重視した。東京とは違った先鋭性を、確信をもって作られた施設であった、水戸芸術館。

2012-11-18 13:43:15
@MaeBunsui

発信とは、提案である、という思想のもとに、作られた水戸芸術館。ホールに、劇場に専属の活動団体が。音楽・演劇・美術を複合的に扱う。

2012-11-18 13:45:43
@MaeBunsui

美術館なのに、コレクションをしない。美術館のアイデンティティーをどうやって作っていくか。現代美術を扱う美術館自体がまだ少なかった。

2012-11-18 13:46:54
@MaeBunsui

1990年に水戸芸術館オープン。美術教育ボランティアを募集。もともとは担当者不足から。

2012-11-18 13:48:16
@MaeBunsui

ベーシックに普段来ている観客の人と、作品をつなぐことができていなかった。そこに、声をかけるスタッフが必要なことを痛感。

2012-11-18 13:49:18
@MaeBunsui

展示室の中で、はじめて作品を作る現代美術。それは、それまでの専門的な運送屋さんの仕事だけでなく、多くの人がサポートでき、多くの人の学びの場でもあったりする。

2012-11-18 13:50:42
@MaeBunsui

展示の試行錯誤の作業の中で、作品や作家への理解があったりする。そして、それを鑑賞者に伝えることが、市民と作品をつなぐきっかけになったりする。

2012-11-18 13:51:52
@MaeBunsui

より深く鑑賞を共有するための美術教育ボランティア。意外と多くの応募があった。特別なワークショップや企画ではなく、普段の展示室の中で観客とどうつながるかが課題だった。

2012-11-18 13:53:20
@MaeBunsui

水戸の美術館なのに東京から通ってくる人もいた。なかなか連絡がとりにくかったので、ボランティア内の申し送りノートのようなものがあり、それが面白くて広報紙へと発展。

2012-11-18 13:54:43
@MaeBunsui

施設の引き渡しから開館までひと月しかなかった水戸芸術館。いろんな準備がまにあわなくて放置された書類などを、みるにみかねたボランティアスタッフが整理する。

2012-11-18 13:55:54
@MaeBunsui

90年代はじめはインターネットがまだ普及していなかった。公式ホームページは95年に。それもボランティアスタッフが勝手に作り始めた。

2012-11-18 13:56:49
@MaeBunsui

はじめは個人でやっていたものを、水戸芸術館が採用していき、有給の仕事としていった。

2012-11-18 13:57:24
@MaeBunsui

少数精鋭だった。募集の際にも面接や文章をかいてもらったりした。専門性を重視した。その最初のスタッフは、今、様々な分野で活動している。

2012-11-18 13:59:42
@MaeBunsui

かならずしも単なる安い労働力ではないボランティアスタッフ。単にギャラリートークや広報誌制作の作業代だけを考えるなら専属のスタッフを一人雇う方が効率がいいかも?しかし、そこで生まれる楽しさは、金額に還元できない。

2012-11-18 14:03:33
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