「大正教養主義vs平成実益主義」という二項対立はどうなんだろう~。理屈としては分かるんだが、大学進学率がかなり異なる時代(したがって大学に行くことの意味が違う)を比較しても・・・という気はする。
2012-11-19 12:54:49私は一般教養は要らない派なのだが、たぶん教養1年、専門3年みたいな制度化は可能だろうし、事実上そうなっているところは多い。で、何が問題かというと文科省が「教養」という言葉に幻想を抱いているというのと、教養重視だろうが、専門重視だろうが、教員の負担は極めて大きなものになるということ
2012-11-19 12:59:39文系の場合、隣接分野との関連性が高いので(例えば文・法・経済・教育あたりの各学部の内容はそれなりに関連してる)、まともに研究していたらある程度周辺知識というか他分野の動向も入ってくる。だから「専門ばっかりやっていたら、専門バカになりましたw」みたいなことにはならないと思うんだが。
2012-11-19 13:04:39専門外の学識には確かに触れる機会が多いのだが・・・問題はその入ってくる学識が元の領域ではマイナーだったり(やや旧式も含む)する場合が少なくないという事がありそうな・・・これは「目的の違い」が引き起こしている事象のようにも思われるが・・・こういうのが「専門バカ」とされるのかも・・・
2012-11-19 13:22:18教養(知)と専門(知)が対立関係にあると見なされるのは大元の欧州の知に対する考え方がそうだから、という背景があったりする。まあ、ある種の「貴族主義」なんですよね、教養という考え方は・・・
2012-11-19 13:28:14「問題はその入ってくる学識が元の領域ではマイナーだったり(やや旧式も含む)する場合が少なくないという事がありそうな」という問題は、良く分かります。耳学問のレベルだと起こりがちという気もします。ただ、当該分野の先端研究に目を通せば、ある程度回避可能なのではないかととも思います。
2012-11-19 13:31:22ただ逆に、うちの分野の知識・知見が他分野で(もとの文脈から見れば)誤解を招くような書き方で紹介されている場合が少なくなりません。逆もまた然りなんだろうな~とかを考えると恐ろしいですが…ただ「お前の○○の使い方は間違ってる」とかいう問題は専門バカということとは若干違う問題のような…
2012-11-19 13:33:53教育学者ではないのですが、政治学者から見ると「貴族的教養主義」を教養(知) vs 専門(知)という対立軸で捉えること自体がある種のイデオロギーではないかと思ってしまいます @oyaziMK2 教養(知)と専門(知)が対立関係にあると見なされるのは大元の欧州の知に対する考え方がそう
2012-11-19 13:37:23@toruoga0916 実際問題、イデオロギーと見てよいと思います。ただ、学問の歴史等から書き起こしていくと、東西共に教養知>専門知の構図が出てくるのも確かです。全てを俯瞰する知/細部に拘泥する知みたいな・・・
2012-11-19 14:18:09@oyaziMK2 いくつかの要因があるのですが、まず「教養=全てを俯瞰する知」という定義が、貴族主義的教養と近代化以降の市民的教養の間でいったん断絶、つまり「俯瞰する知」としての教養と、「職業に関わりなく最低限知っておくべき知見」としての教養との間に断絶があるのではないか(続)
2012-11-19 16:25:43@oyaziMK2 (承前)もし貴族主義的教養を復権するなら帝王学でもやったほうが良いと思いますが、貴族主義的教養のようなフレコミで実際には市民的教養(つまり最低限の知識)という意味で教養教育が行なわれている。つまり教養の定義自体が理念と実態で乖離しているという話です。
2012-11-19 16:28:17@oyaziMK2 (承前)あとは政治学みたいにかつては貴族主義的教養に属していたが今日では専門知になっているものもあれば、その逆もあります(個人的には神学がこれに該当する気がしますが)。つまり、「教養知の専門化」と「専門知の教養化」がそれぞれ別個に起きている。
2012-11-19 16:31:00@oyaziMK2 (承前)そう考えると、教養知/専門知という分け方自体がもはやナンセンスで、教養知>専門知といった場合の「教養」、「専門」の意味合いがもはやかつてあった図式とはかけ離れたものになってしまっている。そこでもまだ教養教育に拘るべきか?ということです。
2012-11-19 16:34:09@oyaziMK2 (承前)そのように考えると現在一般教養課程で教えられている程度の知識を本当に「教養課程」という場で教える必要があるのかというのが私の問題意識です。長々と書いてしまいましたがこれで最後です。お読み頂き有難うございました!
2012-11-19 16:36:37@toruoga0916 確かに、現状の「教養」は専門知へのイントロダクションか薀蓄みたいな状態になってますからねぇ・・・そういう意味では、教養知/専門知のモデルが現状と適合していないのは事実です。
2012-11-19 20:10:18@toruoga0916 なお、個人的には、建前/本音/実態の3区分で考えてみた方がしっくりきます。つまり、建前≒市民的教養、本音≒貴族的教養、実態≒最低限の知≒義務教育の延長という形です。まあ、アメリカ型教養、欧州型教養、現実・・・という区分けでもよいかと思いますが・・・
2012-11-19 20:13:45@toruoga0916 下記の3区分は大賀先生の言う「断絶」の部分の個人的な補足です。少なくとも日本では、欧州型の大学構造にアメリカ型の大学(高等教育理念)を接ぎ木した関係上、両者の教養理解がごちゃ混ぜになっている部分があるのは確かだと思います。
2012-11-19 20:16:22まあ、現状の大学は「義務教育の最後の砦」みたいなところも多いですからねぇ・・・そういう所では「教養」どころの話では無い・・・
2012-11-19 20:19:21追加分
アメリカ型教養と欧州型教養が混ぜこぜにされ、建前/本音/実態が乖離しているというのは良く分かります。 @oyaziMK2 建前/本音/実態の3区分で考えてみた方がしっくりきます。つまり、建前≒市民的教養、本音≒貴族的教養、実態≒最低限の知≒義務教育の延長という形です。
2012-11-19 21:08:05@oyaziMK2 その上で、まあ建前と本音が互換的なところはありますが、実態を如何に建前/本音に近づけていくのかを考える必要があると思います。職業柄、制度的を考えてしまうのですが、①4年間をすべて専門課程にして、但し他学部の授業もある程度取らないと卒業できないような形にするか、
2012-11-19 21:13:09@oyaziMK2 ②一般教養課程をなくし、専門課程2年間は今のままで、ダブルディグリーしないと卒業できないようにするか、③または教養1年、専門2年、教養1年っていう構成にして、最初の教養は義務教育的な教養やって、専門を経た最後の教養で貴族的教養をするっていう方法もありますね。
2012-11-19 21:15:52@oyaziMK2 個人的には②が好みなのですが、文科省が言うような教養とかアクティブ・ラーニングとかを本気で考えるんだったら③のような編成にしないと厳しいかな、と思います。ちなみに現場教員の負担を考えると①>②>③でしょうけどね。
2012-11-19 21:17:26