まあ「迷惑を我慢する側」が「自分が迷惑を我慢することに納得できる物語」を必要とするのは当然なんだけど,「自分の納得のための物語」と「皆が守るべきルールや道徳」とがイコールとは限らないよねという話。
2012-11-22 10:05:10けっきょく「一言ことわり」がないと「自分の迷惑が無視されている」と思うわけです。迷惑そのものより無視が不快。 RT @a_bms: 「一言ことわりを入れる」ってのをやれば、大抵は丸く収まる。それがあれば怒ってないと思う。ネットは「一言」なくても我慢しろと「正論」をぶつ人多いけど
2012-11-22 10:06:36@ynabe39「手を尽くして恐縮し困り果ててる母親」と、「できるのに何もせず放棄している母親」が区別できない・・・ですか?
2012-11-22 10:08:36あなたは「自分にAと見える母親は許せるが,Bと見える母親は許せない」と言ってるだけです。自分の納得の問題について述べている。 RT @wefunk2004: 「手を尽くして恐縮し困り果ててる母親」と、「できるのに何もせず放棄している母親」が区別できない・・・ですか?
2012-11-22 10:10:19その構築を自分でしようとする人/する時もあれば,構築を相手に要求する人/する時もあるということですね。 RT @takashi7zzfe: 納得できる物語の構築がうまい方がよい。ということですか? この場合は他の解決策がなさそうですが
2012-11-22 10:11:20まさにまさに。「そもそも赤ん坊を飛行機に乗せるべきなのか」的なことも含めて。 RT @wefunk2004: つまりさかもと氏の目には、「この母親はやれることを放棄している」と見えていた?
2012-11-22 10:12:39それこそ「あらゆる迷惑や苦難に耐えてこそ人格が磨かれる」と考えてすべてを我慢するというのだってひとつの「物語」であるわけです。宗教的哲学的な理由からそういう物語を選択し,それによって迷惑を納得する人だって少数はいるでしょう。
2012-11-22 10:15:19@ynabe39 記事中に「お母さんもどうにもできなくてホトホト困っているのがわかる。」とあるので、そうは見えてなかったようです。
2012-11-22 10:16:12それは「子どもが泣いていることを我慢するための物語」があなたとさかもとさんで違うのだと思いますよ。 RT @wefunk2004: 記事中に「お母さんもどうにもできなくてホトホト困っているのがわかる。」とあるので、そうは見えてなかったようです。
2012-11-22 10:17:30@ynabe39 がいじめいじめと連呼してるが、この人の「いじめ」の定義とはなんなのだろうか。てかいじめに遭つた経験あんのかね?と、元経験者が気になってみた。今の日本人は群れて保守る民族だから、良かれ悪かれ周りに合わせる訳で。
2012-11-22 10:17:43自分が「子どもが○○で親が××していれば子どもが泣いても我慢できる」と思う基準はあくまでも「自分が我慢するための物語」であって,それと「その条件のもとでは一般的にみんなが我慢すべき」というのは別の話です。それを混同して議論してるからわけがわからなくなる。
2012-11-22 10:20:13「自分がいじめられた人」は概して「自分がされたようなこと」だけをいじめだと思っている。他人が「いじめられている」というと「そんなのいじめじゃない」「あなたにはいじめがわかってない」などと言い出すこともある。
2012-11-22 10:23:26「現実」というのもひとつの物語です。 RT @kanmin765: いいえ、物語ではなく現実の1つだと思います。子育てを放棄された元子どもの立場の視点での話ですが。
2012-11-22 10:24:16@ynabe39 「自分が我慢するための物語」と言うよりも、人によってブチ切れるポイントが違うって言った方がわかりやすいような…、自分にとっては受容の限界でも、他人によっては取るに足らないことって結構ある。
2012-11-22 10:30:19子育てしてたら他人の子育てがわかるわけじゃないし,結婚してたら他人の結婚がわかるわけじゃない。自分がいじめられていたら他人のいじめについてわかるわけでもない。
2012-11-22 10:32:08あなたも「いじめ以外の自分の経験」については「自分が経験したからと言って他人のことまでわかるわけではない」とごく自然に考えると思うんですよ。 RT @kazuma_77: …自分の経験として語ると、こういう決めつけや「どうせ」という揚げ足をとられるという可能性もある…
2012-11-22 10:34:19@ynabe39 子どもが泣きやまないのは本人にはどうしようもない点で民族や人種といった属性と変わらないと見なす人にとっては、「泣き声が耐えられない」は「外国人は耐えられない」に等しいので、単なる好き嫌いではなく道徳の問題として論じるわけです。
2012-11-22 10:37:50多くの場合好き嫌いは「単なる好き嫌い」として道徳より「下位なもの」として位置づけられている。そういう意味では自分の好き嫌いを道徳にすり替えることは「自分の好き嫌いを他者に受け入れさせる」ためには良い方法なのだろう。
2012-11-22 10:39:56