- kiyo_stillman
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【「デザインと非デザイン」番外編1】突然ですが授業を始めます。「デザインと非デザイン」は多摩美で行っているゼミなのですがこれからやるのは番外編なのでゼミ生を対象にはしていません。では誰が対象なのでしょうか。それは僕です。なんだそれ。へんなの。でもまぁいいじゃないですか。
2012-11-24 02:44:06【「デザインと非デザイン」番外編2】読みたくもない長いツイートが鬱陶しければリムーブすればいいだけなので続けます。「デザイン」というこの胡散臭い概念をいかに相対化するかということが「デザインと非デザイン」の当初の目的でした。デザイン学科に入ってデザイナーを目指すのはいいとして…
2012-11-24 02:49:32【「デザインと非デザイン」番外編3】…「デザイン」は移ろいとともにあるので定義などしているうちにどんどん姿を変えていきます。ではどこからどこまでがデザインでどこからどこまでがデザインじゃないのか。そういうことを具体的に扱ってみるといい認識のトレーニングになると思って始めました。
2012-11-24 02:55:43【「デザインと非デザイン」番外編4】でも今日は番外編ということでちょっと違うアプローチで考えたいのです。最近まで「デザインするようになる」ことと「デザイナーになる」ことはほとんど同じ意味でした。けれども今は違います。だいたいの人が何らかのかたちで「デザインしている」と考えていい。
2012-11-24 02:59:52【「デザインと非デザイン」番外編5】すると「デザイン」は職能の対象として考えない方がこれからは自然になっていくんじゃないか。そんなことを漠然と思うわけです。たとえばデザイン史のようなものを考えた時に今までだと人名を挙げるようなこともできた気がします。しかしじつはそれはおかしい。
2012-11-24 03:12:55【「デザインと非デザイン」番外編6】これはデザインだけではなくアートの方面でも言えることですがこのあたりの業界の人々は歴史概念についてあまりにナイーブです。そもそも歴史というのはどこに存在しているのか。1960〜70年代にはすでに「歴史というフィクション」に対する懐疑が生まれ…
2012-11-24 03:17:06【「デザインと非デザイン」番外編7】…「文献に残っているもの」だけを結び繋げて「歴史」とすることを覆すアプローチが生まれました。誰かが意識的にかくあるべしと決めていることと実際にどうであるかは別。現実に生きていればアタリマエの認識です。しかし「歴史」で採用されているのは前者です。
2012-11-24 03:33:28【「デザインと非デザイン」番外編8】…「実際にどうであるか」。これはしかしリアルタイムの事象に対してすら見誤りがちです。自分がやった仕事に対しては「うまくいった」と思いたい。「まるで意味がなかったようだけれどよしとしよう」と思う人は滅多にいないでしょう。では「うまくいった」とは?
2012-11-24 03:43:12【「デザインと非デザイン」番外編9】デザイナーの中でもとくに感覚の鋭い人は今まさにそこらへんを探っているはずです。が言語化までデザイナーにしろというのは酷な話でそこはやはり批評家のような人の仕事になってくるんじゃないかと思います。というわけで長々と書いたわりには凡庸な結論ですが…
2012-11-24 03:48:52【「デザインと非デザイン」番外編10】…もともと自分に対して書いているものなので何かを期待して読んでしまった人には申し訳ないですが。今「デザイナーの中でもとくに感覚の鋭い人は」と書きました。デザインは職能的なものではなくなるのでは?とも前に書いたのに。このちょっとした矛盾の中に…
2012-11-24 03:55:04【「デザインと非デザイン」番外編11】…次のことを考えるための動力のようなものがあると思っています。ではおやすみなさい。
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