為末さんの【人は変われるという残酷さ】の話
陸上等の身体能力がかなり影響するスポーツは、正直なところ生まれた時に99%決まっている。クラスで一番速かったような子が陸上部に入りその中で競争し、市、県、国、そして最後は世界という順に上がっていく。そこまで行くのは誰でもというわけにはいかなくて、選ばれた人しかいけない。
2012-11-28 08:04:20多かれ少なかれスポーツをやっていると、天才に会う。頑張ればなんとかなると信じていた僕も、どうにもならないような巨大な才能を前にして愕然とした事がある。ああ、これはそもそも全然ものが違う。じゃあ僕には一体何ができるのか。僕はそれがハードルだった。
2012-11-28 08:06:46スポーツのいい所は実は、努力して結果を出す事ではなく、本物に会って自分の限界を知る事。どうにもならない差をはっきりと認めた上で、自分には何ができるのかと考えるきっかけをもらえる。社会に出て驚いたのは思ったより自分の範囲を知らない人が多い事。範囲の外まで努力をして鬱になる人も多い。
2012-11-28 08:08:19才能じゃない努力なんだ。一見優しくて勇気づけられる言葉だけど、ある段階からは残酷になる。努力で何とでもしようがあるという意味をこの言葉は含んでいて、諦める事を許さない所がある。それで挫折し損ねてる人もたくさんいる。
2012-11-28 08:10:39トップ選手は努力の割合を高く言うけれど、実はトップが見ている風景はもう相当に淘汰が終わったような世界。ほとんどがふるい落とされて才能がある人だけで戦っている段階では確かに意思と努力の勝負になる。でも、その前に土俵にすら上がれなくて諦めた無数の人がいる。
2012-11-28 08:12:38【終わり】才能ではなく努力。その言葉に責められている人もいる。僕はそういう人に話をしたくて、”努力でどうにもならない事はあって、でもどうにもならないと気付くとこまでできた事自体がすごく財産になる”と言いたい。人生は不条理、それを知った後の世界は随分違う。
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