「コンテンツ選択における直接民主制」が生んだ選択の自由とは
日本の政治における間接民主制は議会制民主主義のことを指しているが、これは代議士という代理人を選挙民が選んでいるという点が「間接」たる所以である。
2012-11-30 17:16:40では直接民主制とはどのようなものか。簡単にいえば、それは国会議事堂に全国民が集まって議論するようなものであって、そんなことは物理的に不可能なことである。
2012-11-30 17:17:16ただ、わずかな例外として、現状の政治的状況に対する拒絶の意思を表明する行為が投票によって可能なシステムがあり、これを直接民主制と呼称してきた。これに該当するのが地方自治におけるリコールやイニシアチブである。
2012-11-30 17:17:41しかしながら、このリコールやイニシアチブとて直接民主制と呼ぶのは欺瞞に近いのではないかと思われる。首長の解職請求や条例の発案などといったものは、個々の人間の行為の総計によって実現し得るものではない。
2012-11-30 17:18:12ところがWebの出現によって新しい状況が生まれた。コンテンツの閲覧数ランキングによる選択である。閲覧数ランキングは投票ではなくコンテンツの閲覧という行為そのものが生み出す。そこには自発的な意思表示といったものは必要とされない。
2012-11-30 17:18:58この閲覧数ランキングの上位になったコンテンツはより多くの人々が閲覧する機会を与えられることになり、閲覧数はさらに増大するという過程に向かう。場合によっては数字の上ではプロフェッショナルによる作品の発行部数を超えることも起きる。
2012-11-30 17:19:19結果としてコンテンツを閲覧/享受した受け手はコンテンツに対するある種の支持表明をしたことになり「選挙民」としてのポジションを獲得することになる。すくなくともコンテンツの「選択」に関しては代理人を介在せずに直接関与していると感じることが可能になる。
2012-11-30 17:19:41ランキング上位になるまでの過程においては、個々のユーザーの判断による「直接」選択の要素が強いが、ランキングが上昇するにつれてユーザーの判断は他者の判断に依存してゆく形に変化する。
2012-11-30 17:20:26選択に関与したコンテンツが無名の作者によって生まれたものである場合、ピックアップされたコンテンツは「選挙民」に強い共有感を抱かせやすいという特徴がある。自分たちがそのコンテンツを直接「見出した」「支持した」という実感をともなっているからだ。
2012-11-30 17:21:08だが、その一方で弱点もある。多くの「選挙民」に支持されているからといって、必ずしも質の高いコンテンツであるとは言い難いケースもあるからだ(この場合の『質の高さ』とは時間をかけてさまざまな角度から評価を重ねた上でなお高い評価が揺るがないものを意味する)。
2012-11-30 17:21:29ともあれ、多くの閲覧数を獲得したコンテンツは作者のステータスを向上させる。それがいわゆる「業界」の有名人に匹敵するものではないとしても、継続的な支持者を集めることも可能になる。
2012-11-30 17:22:08「業界のプロ」が介在しないフィールドでのこうした有力コンテンツの形成をCGMと呼ぶ人もいる。ただあえて言うならば、もともと芸能活動というものは金銭を得るためのものとして生まれたものではない。
2012-11-30 17:23:35コンテンツの選択行為について業界の一握りのプロフェッショナルが主導権を握り、コンテンツサービスをリードしてきたこと自体が実はきわめて特殊な状況だったのだと解釈することだって可能である。
2012-11-30 17:24:14ただ、閲覧数ランキングを中心としたWeb上メディアの枠組みは必ずしもコンテンツの供給体制に関する「進歩」を意味するわけではない。その枠組み自体もまた「選択の対象」なのである。
2012-11-30 17:24:48Web上メディアのコンテンツ選択決定プロセスを直接民主制と称するなら、従来型の間接民主制や封建制(君主制)に相当する選択決定(ないし意思決定)プロセスもまだまだ健在である。
2012-11-30 17:25:30この状況下においてなお選択の自由を担保しようとするなら、より多くの選択肢から決定を下す必要に迫られてしまう。今後の私たちは「いかにして選択肢を狭めるか」という方策についても考える必要もあるのだろう。
2012-11-30 17:27:49