1.東日本大震災後の専門家。2.専門家の問題。3.良い専門家って?。4.市民的知性。5.大学の役割。6.責任とresponsibility。章分けするならこんな感じ。自分用にワードでまとめるので、要る人いたら声かけて。
2012-11-23 16:33:40ノーベル賞受賞の小柴さんが徳島大学で講演した時、「自分の研究が兵器に使われる可能性について科学者としてどうお考えですか?(そういうことも講演内容にあったので)」って思いきって聞いたことがある。答えはちょっと意外なものだった。
2012-11-23 16:42:29「科学者は自分の研究がいかに使われるか分からない。それを決めるのは政治家だったり、別の専門家。だから科学者は政治家や別の専門家と仲良くしないといけない。」。物理学の研究を志してた高校生には衝撃だった。
2012-11-23 16:44:41そして今回鷲田先生講演。「良い専門家とは高度な知性を持ってる人や最後に責任と取ってくれる人では"ない"。一緒に考えてくれる人だ。」「専門家は自分の専門を尖らせる一方で、他の専門との共同作業をする知性を持たないといけない。」
2012-11-23 16:48:50今日NFで、有名な哲学者である鷲田清一氏の講演を聞いた。「知性の公共的使用について-専門を志す人に-」という題、テーマは要するにいい専門家とはどのようなものか、というもの。
2012-11-23 18:49:37以下、鷲田清一講演「知性の公共的利用についてー〈専門〉を志す人たちにー」の私的メモです。もし事実誤認や解釈の間違いなどがあれば、同講演会に参加したかたなど、是非ご一報ください。
2012-11-23 19:20:58特に、哲学的termを日常語と捉えてしまっているケースや、語の定義を取り違えているケースなどがございましたら、ご教示宜しくお願いします。
2012-11-23 19:21:54講演ログここから
鷲田氏「3.11の際、私は正確な情報(特に、放射線がどの程度の影響を及ぼすかについての情報)を得るために、様々な専門家の話を見聞きしたが、人によって全く見解が違った。『この事故は3日で収束する』とおっしゃっていた方すら居らした」
2012-11-23 19:23:57鷲田氏「そこでまず私は、学会の統一見解を得ようとした。しかし驚いた事に、原子力工学を扱う学会は見つからなかった。あったのは、素人でも寄付金さえ払えば入れる社団法人、業界団体であり、アカデミックトレーニングを積んだ人間をフィルターする仕組みは無かった」
2012-11-23 19:26:11鷲田氏「専門家として発言しているひとはたくさん居た。しかし、彼らは特定の領域のスペシャリストであった。『電気工学の立場では』『システム工学の立場では』『原子核物理学の立場では』という意見は聞けたが、原子力発電全体に対する見解は得られなかった」
2012-11-23 19:29:05鷲田氏「我々は、専門家が自身の専門領域以外について発言しないことを、美徳だと捉えている。例え隣接している近い領域であっても、それを語る事はよしとされない。大きな賞を取った科学者が突然教育論などを語り出すと、我々は『ん?』と思う」
2012-11-23 19:33:11鷲田氏「しかし、専門家が専門領域のみを語ろうとする姿勢は本当に美徳と言えるのだろうか。これは、いま科学哲学が『トランスサイエンス』と呼んでいる問題の一側面であり、今日のテーマのひとつである」
2012-11-23 19:35:53鷲田氏「以前我々は、専門家の意見というものに全幅の信頼を寄せていた。しかし、3.11を通して、専門家の意見というものが強い不信が持たれるようになった。さらに今、我々は強力なリーダーを求めている。これは、自分で判断しない方向を求めているという意味で、揺り戻しと言える」
2012-11-23 19:38:43鷲田氏「3.11直後、『テレビに出ている人の言っている事は信用できない』と言って、我々素人は勉強をはじめた。しかし、専門家ですら意見が分かれる内容であるのに、素人がにわか勉強をしたくらいで、果たして本当の事が分かるだろうか」
2012-11-23 19:42:22鷲田氏「だいたい、人々は、専門家に完全な見通しを求めているわけではない。科学者として現時点で確定的に言えること、あるいは言えない事を伝えて欲しいと思っている」
2012-11-23 19:46:39鷲田氏「さて、仮に科学者が専門知識を集結し、『福島第3原発の爆発の可能性は0.01%ある』と統一見解を出したとする。しかし、本当の問題はここからはじまる。我々は、この極めて低確率で事故が起きる原子力発電所に対して、対策を打つべきか、あるいは打たぬべきか」
2012-11-23 19:48:55鷲田氏「命に関わる問題であれば、仮に極めて低確率であっても対策を打つべき、という考え方もある。対策に投じる巨大な予算を、大局的に見てより重要な他分野に投じるべきだ、という考え方もある。これは科学には決定できないことである。社会的な価値選択、判断だからだ」
2012-11-23 19:51:20鷲田氏「このように、科学者が問題提起することができるが、科学者が解決できない問題をトランスサイエンティフィックな問題と言う」
2012-11-23 19:53:00