平川先生に、リスクコミュニケーションについて聞いてみました。
- kei_sadalsuud
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文章の最後に、寺田寅彦さんの言葉が引用されていたので、元の文章を読んでみました。
寺田寅彦 小爆発二件
「なになんでもないですよ、大丈夫ですよ」と学生がさも請け合ったように言ったのに対して、駅員は急におごそかな表情をして、静かに首を左右にふりながら「いや、そうでないです、そうでないです。――いやどうもありがとう」寺田寅彦 小爆発二件 - http://t.co/FjbIIbpy
2011-11-17 18:18:39今週の防災格言<68> 寺田寅彦氏
「大したことはない。大丈夫」とただ言う学生に対し、駅員が「いや、そうではない」と首を静かに横に振ったことを見聞きした寺田寅彦(てらだ とらひこ)の感想。防災の格言・名言・諺や豆知識 - http://t.co/5MTHgeEc
2011-11-17 18:19:41寺田寅彦さんは、噴火しても平気で登っていってしまった人達について批判的に書いているようです・・・。そこで、平川先生に、唐木先生の文章と寺田寅彦さんの「小爆発二件」について聞いてみました。
@kei_sadalsuud 唐木さんのはこれかな?>「放射線を正しく恐れる(PDF)」 http://t.co/oWy57Xk1
2011-11-18 00:29:45@kei_sadalsuud 唐木さんの誤りは、僕としては2つあると思っています。一つは低線量被曝問題に、不確実なことや不明なことは存在せず、専門家間で一致した確実性の高い「正解」があり、自分たちがそれを知っていて、人々に提供できるかのようにしていることです。
2011-11-18 00:39:37@kei_sadalsuud しかし、まだまだ低線量被曝問題には不確かなこと、不明なことがたくさんあります。もう一つの唐木さんの問題点は、リスクをどう判断するかは科学的なリスク理解だけでもっぱら決められるという素朴な想定に立っていることです。
2011-11-18 00:50:54@kei_sadalsuud しかし人間がリスクについて、それをどの程度警戒するか、受忍するのかしないのかを判断するときには、科学的に捉えられる「ある特定の悪影響(ガン死など)の発生確率」としてのリスクだけでなく、さまざまな心理的・社会的・倫理的な要素を総合的に判断します。
2011-11-18 00:53:27@kei_sadalsuud たとえば、本人にもメリットがあり、受忍するかどうか自分で選べる医療被曝のリスクと、メリットもないし選べもしない原発事故による被曝リスクを比べると、たとえ科学的なリスクは後者が小さくても、総合判断で後者の方が受容れ難いと判断する人は少なくありません。
2011-11-18 01:22:32@kaokou11 @kei_sadalsuud ついでにいうと、「メリットあり選択可能なリスク」と「メリットなし強制的リスク」を、そういう違いを無視して「発生確率」という面だけで比較すること自体が問題だと思う人も多いですよね。これもあららさんがずっと議論してることの一つですが。
2011-11-18 01:28:24@kei_sadalsuud つまり人間は、科学的なリスクの大きさだけでなく、利益の有無や、リスクと利益の社会の中での分配の公平性、自己決定の権利が確保されているかどうかなど、倫理的・政治的な「正義」という基準でも、リスクの受否を判断するわけです。
2011-11-18 01:01:16@kei_sadalsuud ちなみに以上のポイントは、昨日から早川先生とあららさんが議論しているリスク比較の問題であり、この前の日曜の回の、うちのNHK白熱教室のテーマでもありました。
2011-11-18 01:03:20そう、それです。RT @kei_sadalsuud: @hirakawah 確率とハザードの掛け算 だけで考えていいのか? でしょうか?
2011-11-18 01:06:52@kei_sadalsuud まとめると、唐木さんの誤りは、不確実性という点でも、リスク判断は倫理的・政治的な事柄についての価値判断を含む総合的なものであるという点でも、極めて「トランスサイエンス」的なリスク問題を、科学だけで解けるかのように扱ってしまっていることです。
2011-11-18 01:05:14この問題は、ある程度(現代日本の)自然科学・学界に暗黙に共有された認識構造でもある、といっては言い過ぎでしょうか。“@hirakawah: まとめると、唐木さんの誤りは、不確実性という点でも、リスク判断は…” @kei_sadalsuud
2011-11-18 01:14:56少なくとも唐木さんだけの問題ではないですね。311以降、多くの場面で露呈した問題だと思います。RT @no1hasgone: この問題は、ある程度(現代日本の)自然科学・学界に暗黙に共有された認識構造でもある、といっては言い過ぎでしょうか。
2011-11-18 01:18:49寺田寅彦さんの文章に関して
@kei_sadalsuud で、寺田寅彦の「小爆発二件」ですが、僕としてはこれの主題は、「正当に怖がりましょう」ではなく、そうすることの難しさそのものだと思っています。つまり、あることをどの程度怖がるかは、人によって、立場によって異なるものであり、そう一概には決められないと。
2011-11-18 01:08:58@kei_sadalsuud たとえば寺田は、自分自身の噴火についての見方も、大したものではないという印象だったが、それは「火口から七キロメートルを隔てた安全地帯から見たから」だということを書いてますよね。噴火の程度をどう捉えられるかは今後の研究が必要だとかも書いてます。
2011-11-18 01:12:23@kei_sadalsuud つまり、寺田にとっては、噴火の怖さの程度というのは、少なくても彼の時代の学問の水準では未知のことが多いトランスサイエンス的問題だったということができると思うんですね。だから「正当に怖がるのは難しい」と。
2011-11-18 01:15:49@kei_sadalsuud またここで「正当に」とは「客観的根拠をもって」ということだと思われます。つまり「噴火の怖さを確実性の高い客観的根拠でもって決めるのは難しい」が一番の主題だろうと思うのです。そんなわけで、keiくんの読み通り、唐木さんのは「誤読」だと僕も思います。
2011-11-18 01:17:45