アーティスト/お笑い芸人/サッカー選手

まとめました。 ツイートを使わせていただきました。問題ありましたら対応しますのでご連絡ください。
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Takuma Ishikawa @ishitakuma

アーティストをお笑い芸人に例えるのと、サッカー選手と例えるのでは意味するものが違うなと思った。どちらもよく引き合いに出されるけれど。

2012-11-02 01:34:55
おかざき乾じろ @kenjirookazaki

お笑い芸人のほうがえらいかな。お笑い芸人とサッカー選手では、世界に出て行く、という幻想(があったとしても)の様相が大部ちがうな @ishitakuma

2012-11-02 01:37:05
おかざき乾じろ @kenjirookazaki

@ishitakuma はじめから、世界の始源にいる、という実感(笑いが時間=間を生み出し=つまり支配している)をもっていれば、その外に出て行く世界はもはやない。世界のフチにたっているのは、こちらだから。なんて考えているお笑いタレントがいるかどうかしらないけれども。

2012-11-02 01:40:03
おかざき乾じろ @kenjirookazaki

@ishitakuma 何人か、そういう人を知っている。林家三平とか、アンディ・カウフマンとか。

2012-11-02 01:41:25
𝖸𝗈 𝖮𝗄𝖺𝖽𝖺 @yoookd

@kenjirookazaki @ishitakuma 横からスミマセン。売りとなるキャラクター(芸風)を固定した上で既成概念をずらした視点を提案してゆくという点ではお笑い芸人と近い様相ですが、世界共通ルールで戦うという意味ではサッカーの方が共通するように思えます。続く

2012-11-02 01:47:28
𝖸𝗈 𝖮𝗄𝖺𝖽𝖺 @yoookd

@kenjirookazaki @ishitakuma 続。アーティストだと思える実験的なお笑いに挑戦する素晴らしいお笑い芸人はたくさんいるのですが(モンティパイソンもそうです)、お笑いは文化背景/政治背景によっては全く笑えなくなるので世界進出が難しい分野だと考えています。

2012-11-02 01:50:23
Takuma Ishikawa @ishitakuma

@kenjirookazaki @yoookd 返信遅れました。お笑い芸人とサッカー選手の例えるは、やはり意味合い違うんだなと思いました。岡崎さんがすべて書かれていますが補足すると、海外/日本にいることが問題なのではなく、グローバルという幻想が問題なのだと思います。

2012-11-02 08:18:57
Takuma Ishikawa @ishitakuma

@kenjirookazaki @yoookd 世界進出の憧れと具体的な海外とのネットワークの形成の違いは、美術業界への憧れと具体的な活動の違いと同じです。前者は評価されるフィールドの想定が安定してる。そのフィールドがなんであるのか、それをいま疑わないと先に進めないのは明らか。

2012-11-02 08:34:51
𝖸𝗈 𝖮𝗄𝖺𝖽𝖺 @yoookd

@ishitakuma @kenjirookazaki そうですね。しかし私はグローバルが幻想か否かの議論はおいておいて(もちろん大事な問題提起ですが)、似てそうな要素を並列して似てない部分をあぶり出しアーティストの特徴をむしろ顕著にさせるレトリック遊びのような作業に惹かれます。

2012-11-02 08:36:06
Takuma Ishikawa @ishitakuma

@kenjirookazaki @yoookd 売りとなるキャラクターの固定=作家印の形成は確かにイメージしやすいですね、それは小さな業界をイメージしやすいので気をつけます。活動は一つのフィールドに統合できない。作品や作家の活動の大きさは、結果ではなく、結果に対する イメージ

2012-11-02 08:41:52
𝖸𝗈 𝖮𝗄𝖺𝖽𝖺 @yoookd

@ishitakuma @kenjirookazaki 共同体への懐疑の必要性、同意いたします。

2012-11-02 08:43:20
Takuma Ishikawa @ishitakuma

@kenjirookazaki @yoookd になりやすい。と、いった時に作家たちの活動ははじめにフィールドがあって、美術史に必然的に回収されるように見えてしまう。いまは中心という考え方が機能しないので、いま考えられることは大きい。面白い時代だと思います。長々失礼しました。

2012-11-02 08:49:56
𝖸𝗈 𝖮𝗄𝖺𝖽𝖺 @yoookd

14年前、松本人志がお笑い共通一次という公開テストをした時「算数:原宿=『 』括弧に入る言葉とその理由は?」という問題の解説で、「これはつまり『原宿とかけましてAととく。そのこころはB』という古典的謎かけと同じ論法なんですよ。」とお笑いの構造的なことを指摘してて目から鱗だった。

2012-11-02 08:51:55
Takuma Ishikawa @ishitakuma

@yoookd 通勤中に書いてしまい、話が一方通行ですみませんです!

2012-11-02 08:58:47
𝖸𝗈 𝖮𝗄𝖺𝖽𝖺 @yoookd

@ishitakuma 大変興味深く拝聴いたしました。僭越ながら進言させて頂くと、確か大きな中心や文脈はないように見えますが、小さな中心は世界中に散らばっている印象です。イギリスのアートにはイギリスの小さな中心と文脈があり、ここで発生し得る「笑い」が他国で通用するとは限りません。

2012-11-02 09:05:27
𝖸𝗈 𝖮𝗄𝖺𝖽𝖺 @yoookd

@ishitakuma いえいえ、朝のお忙しいところにお返事いただいてありがとうございます。どうか良い一日を!

2012-11-02 09:06:39
Takuma Ishikawa @ishitakuma

林家三平は残念ながら、どうもすみませんというあのフレーズしか、知らないほど知識が無いのですが、カウフマンのほうは、『マン・オン・ザ・ムーン』などを通して少し知っています。観たのはだいぶ昔ですが。で、カウフマンの実験的な試みは、同じ国の人間も笑えなかった。 @yoookd

2012-11-02 12:10:49
Takuma Ishikawa @ishitakuma

彼の関心、目的は単に観客を笑わせることではなかったと記憶しています。そして、外部がなぜ国外である必要があるのかという問題があります。それは国内が内部と規定することの疑問とも同じです。カウフマンは自らが外部としたと思います。すると内部は周りにはなくなってしまう。 @yoookd

2012-11-02 12:17:20
Takuma Ishikawa @ishitakuma

自分の話に戻します。自らが外部となること。そこで何ができるかを考えると。これはなかなか難しいです。生活しているとあなたは社会の構成員であり、私たちと置かれている状態は同じだ、従ってもらわないと困ると社会は要求される。芸術は自由が許されているようでこれの表裏です。 @yoookd

2012-11-02 12:30:29
Takuma Ishikawa @ishitakuma

外部の外にあるのは内部ではなく、別の外部です。にもかかわらずそれは内部であることを要求してくる。「今はバラだけの庭ではありません、いろんな品種の草花の庭なのです」と。このイメージによって、中央は形を弱めているようで消えないというのはおっしゃる通りだと思います。 @yoookd

2012-11-02 12:58:19
Takuma Ishikawa @ishitakuma

そういうゲームを壊すもとして、あるいは露呈されるものとして、笑いの実験性はありえるのではないかと思いました。外部に通用するモチベーションではなく、自らを外部とし、外部に外部であることを飲ませる(内部を成立させる)ことを考えました。ちょっとイミフかも知れませんが @yoookd

2012-11-02 13:13:15
Takuma Ishikawa @ishitakuma

ここの部分は間違ったな。あと、僕は岡崎さんの言葉を代弁してるわけではなく、違うこと言おうともしてないけど、無責任に言ってるだけです。 QT@ishitakuma: そういうゲームを壊すもとして、あるいは露呈されるものとして、笑いの実験性はありえるのではないかと思いました

2012-11-02 17:22:40