アイヌ語の方言差・標準語と言語学者の政治的行動
「トゥ」か「トに○」か、「ヤッカ」か「ヤ<ク>カ」か,という問題には比較的簡単に合意が得られた。「トに○」は強硬に支持する意見があったが、その意向を見開き2ページだけで尊重しようということで全体としてはあっさり話がまとまった。
2012-10-30 13:38:19なお、その後JISの文字のカタカナに「トに○」や「小さいク」などが加えられたのは、佐藤知己氏の大きな功績だ。こうした文字が当時もしすでにあれば、「トに○」が標準的な表記になったかもしれない。
2012-10-30 13:39:24むしろ表記の点で難航したのは、「ハポ」か「ハボ」か「プ」か「プー」かのようなレベルの問題だった。言語学者は濁音や長音を用いない、より音韻論的に整理された表記を主張したが、「ハポ」や「プ」では何だか変だ、という意見は根強かった。
2012-10-31 21:42:40これまで母語話者が工夫してきた表記でも、条件によって異音を書き分けているように見えるものは多い。いわゆる緑本もカタカナは音韻ベースではない。
2012-10-31 22:24:47言語学者から見れば、異音の書き分けといっても日本語や英語の音韻が弁別している範囲だけだということになるが、耳慣れている音声的実質が表記に反映できるなら反映すべきだという意見が切実なことも理解できる。
2012-11-02 12:37:33しかし結局は言語学の論理がとおった。今回の教科書には音声がつかないし、各教室の作成した教材でもすでに母語話者の音声が確認できないものもあるので、音声的実質を表記に反映しようとしても根拠が不確実になるという説得によってだったと記憶している。
2012-11-02 12:40:36ただこの点はその後もしばしば、むしろ注意深く学ぼうとしている人たちと言語学者とのあいだの溝になった。今から考えれば、どのような表記法があの段階で「政治的に正しかった」のかは難しい。あるいは音声レベルを推定してでも折衷的なカタカナ表記を採用しておくべきだったのかもしれない。
2012-11-02 12:50:13いずれにせよこうして、方言が共存するなかでの「復興」運動というその後の政治的方向性が決定づけられ、そのための現実的な条件が整備された。
2012-11-02 12:53:04残念ながらその後しばらくして、各方言・各地域の共同体の持っていたアイデンティティー模索へのエネルギーの多くは、法律と補助金という天から降ってきた力に打ち負かされて「統制された民族意識の主張」に変容した。
2012-12-03 22:21:37今度こそ、その「主張」によりかかっていれば「非政治的」で「保守的」なままでも「当事者に同伴」できるようになった。かつて手を引いた研究者が戻ってきたのはこの段階だった。法律以後に「現地入り」した研究者たちは、あるいはこの構造自体に無自覚かもしれない。
2012-12-03 22:23:06こうしたなかで方言差は、もはや地域のエネルギーの表れとしてではなく、想定された「標準」にいつでも変換できる「統制された従順な多様性」として、法律と補助金に手なずけられつつあるようだ。
2012-12-03 22:27:37まとめ2言語学者が政治的に中立なままで現地と接触できるというのは、あるいは「アイヌの方々はどうしたいと思っているのか」という問いに答えが得られると思うのは、実は権力が用意した「非政治的な牧柵」のなかしか視野に入れていないということだ。
2012-12-04 10:40:49