坂上秋成さん、ボーカロイドオペラ『THE END』について語る。

まとめました。
アート YCMA 渋谷慶一郎 山口 ボカロ 初音ミク 岡田利規 オペラ
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坂上秋成@11/25『Keyの軌跡』発売 @ssakagami
深夜にテンション上がってきた。96年の東さんは、三角形ではなく、ミサトを加えたコミュニケーション障害の4人の物語としてエヴァ見てたんだな。これは見落としてた。。。
坂上秋成@11/25『Keyの軌跡』発売 @ssakagami
12月1日から3日まで山口県行ってきた。とらふぐとか出てるのに旅館安すぎ。山口いいとこや!
坂上秋成@11/25『Keyの軌跡』発売 @ssakagami
すげー元気なので、岡田利規さん脚本、渋谷慶一郎さん音楽、出演初音ミクのボーカロイドオペラ『THE END』についてバーッと書きたい。ホントはがっつり記事とかにしたかったけど、1回しか観れなかったんだよ!!
坂上秋成@11/25『Keyの軌跡』発売 @ssakagami
すげー素朴なとこから書けば、映像から音楽、キャラクターの魅せ方まで、オペラって言葉から連想する表現形態からぶっ飛んでた。俺はミクパのように舞台中央にミクのホログラムがあって、横で渋谷さんがピアノ弾いてるイメージで行ったんだけど、そのレベルじゃなかった。
坂上秋成@11/25『Keyの軌跡』発売 @ssakagami
ザックリ言えば、視覚的なレベルでも一本のハイスペックなアニメを観ているような印象だった。そこに音圧まですごく気を遣ってるのが分かる渋谷さんの音が乗り、抽象的なモチーフと共にキャラクターにとっての死とは何かという問いに対する回答が描かれる。とにかく圧倒される空間だった。
坂上秋成@11/25『Keyの軌跡』発売 @ssakagami
その前提の上で、僕としてはキャラクターとしての死を岡田さんや渋谷さんがどう捉えるのかに非常に興味があった。山口まで行っちゃうくらいにあった。実はこれってすごいハードル高い問題で、ミクの場合、2008年に『初音ミクの消失』っていう楽曲の中で彼女の死のイメージが強烈に語られているから
坂上秋成@11/25『Keyの軌跡』発売 @ssakagami
ポイントは3つあったように思う。「ミクの記号性について」、「人間とキャラクターとその隙間について」、「キャラクターから世界を(俗に言えば社会)切り取る仕組みについて」。
坂上秋成@11/25『Keyの軌跡』発売 @ssakagami
順番に行くと、ミクが記号的っていうのはまあボカロ文化に多少詳しい人なら分かることだと思う。初音ミクはクリプトンから始めに発表されたイメージを抜け出し、pixivやニコ動で投稿される多様なイメージを取り込んだ上で、「初音ミク」という固有名を成立させている。
坂上秋成@11/25『Keyの軌跡』発売 @ssakagami
だから「初音ミク」って名前から人がイメージする図像はバラバラだし、多くのPもそれを分かった上で作品を作ってる。しかし、今回のTHE ENDは、健全化するボカロ文化の中で、イメージがばらばらであること自体を本質的に気味の悪いものとして捉えていたように思う。
坂上秋成@11/25『Keyの軌跡』発売 @ssakagami
その象徴が「緑の髪のオバケ」だった。綺麗な図像として舞台に存在する初音ミクに対し、オバケは精神攻撃を加える。アペンドミクとかの例外もあるけど、緑の髪というのがミクのアイデンティティなのは確かだし、裏を返せば、「緑の髪さえあればだれでもどこでも初音ミクになれる」ような世界が、
坂上秋成@11/25『Keyの軌跡』発売 @ssakagami
今すでにネット上で実現している。つまるところ、俺も含め、ミクを愛する人たちは彼女の記号性とそれに起因する表現の自由度の高さや流動性に夢を見ている。しかし、キャラクターを主体として見れば、それは彼女を入れ替え可能な存在として扱うことでもある。
坂上秋成@11/25『Keyの軌跡』発売 @ssakagami
そのことによって、「キャラクター自身が傷つく」感覚を、舞台ではオバケと音楽によって表現していた。ここでキャラクターが傷つき得る=人間的になり得るというのはラストの伏線になっていたように思う。
坂上秋成@11/25『Keyの軌跡』発売 @ssakagami
で、2番目のキャラと人間とその隙間ということなんだけど、舞台には3つの存在がいるんですよ。ドラえもんとディズニーと村上隆的なイメージがぐしゃっと合わさったような謎のマスコット、人間として音を奏でる渋谷慶一郎、どちらにも近寄れないキャラクターとしての初音ミク。
坂上秋成@11/25『Keyの軌跡』発売 @ssakagami
ここで面白いのは、舞台でマスコットとキャラクターが分離している点だと思うんですね。僕たちはもう生活の中に当たり前にキャラクターという単語が入ってくる世界に生きているんだけど、少し前までは人間的な造詣に対してキャラクターという言葉を使うのは一般的じゃなかったはず。
坂上秋成@11/25『Keyの軌跡』発売 @ssakagami
その意味で、30年前とかだったらミクはキャラクターって呼ばれてなかったと思うんですよね。キャラクターという言葉で僕らは今ミクを捉えているけど、この舞台では彼女はマスコットレベルのキャラクターとしては扱われない。マスコットにも人間にも属せない隙間にいるわけです。
坂上秋成@11/25『Keyの軌跡』発売 @ssakagami
だからこそ舞台ではミクが「臭い」ものになり得る(=人間化してしまう)可能性が示唆されるし、彼女の死について思考することができる。おそらく、ここで提示されたイメージは「何かが提供されなければ隙間としてのキャラクターは死を迎える」ということだったんです。
坂上秋成@11/25『Keyの軌跡』発売 @ssakagami
で、このイメージだけだと、それは『初音ミクの消失』で提示されたものだからそこまで新しくないわけです。しかし、そこでオペラという芸術だからこそ可能な表現が用いられた。人間である渋谷慶一郎はある瞬間に舞台から姿を消します。そもそもこの舞台でミクに与えられていたものは何か?
坂上秋成@11/25『Keyの軌跡』発売 @ssakagami
それは渋谷さんによって作られた音であり、それを歌う権利です。しかし、そこで人間としての渋谷が消えることで、彼女はマスターに見捨てられ、存在価値を瞬間的に失う。いわば、キャラクターが死ぬ瞬間は舞台途中ですでに残酷に描かれていたわけです、他のジャンルでは表現困難な形式で。
坂上秋成@11/25『Keyの軌跡』発売 @ssakagami
そもそもこのオペラにおいてミクはあまりにも幸福な環境を与えられている。オペラに関する知識が間違っていたら申し訳ないんですが、現代オペラでレチタティーヴォとして役者が朗読するようなことってあまり歓迎されてないと思うんですよね。しかし、ミクには朗読が許される。何故か。
坂上秋成@11/25『Keyの軌跡』発売 @ssakagami
それは前提として、彼女がキャラクターである以前に楽器だから。音声合成ソフトとしての身体を持つ彼女にとって、喋ることはそのまま奏でることなんです。だからこそ、朗読すらも言語的機能よりも音楽的機能を持ったものとして受け入れることができる。人を魅了することができる。
坂上秋成@11/25『Keyの軌跡』発売 @ssakagami
けれど、これは人間がいなければ彼女は何もできないことの証明にもなってしまう。最高の環境は与えられているが、それは人間である渋谷慶一郎の支配下にある。その彼が舞台を去る瞬間が持つ意味はあまりにも大きい。残されたミクは何をするのか、臭い人間になるのか、キャラとして死ぬのか。
坂上秋成@11/25『Keyの軌跡』発売 @ssakagami
そこで舞台では、空を舞う動物のイメージが挿入されます。これにどんな意味が込められていたのかを探るのはとても難しかった。ただ、僕はここで動物というイメージが出されたのはあくまでも一例に過ぎないのだろうと感じた。選択肢は多数ある、それは動物かもしれないし、幽霊かもしれない。
坂上秋成@11/25『Keyの軌跡』発売 @ssakagami
宇宙人かもしれないし、外国人かもしれないし、山賊かもしれない。キャラクターがキャラクターという枠組みの中で自由になることと、その枠を超えて別のイメージを獲得することはまったく異なる。だからこそ、サブカルチャーから生まれたミクをハイカルチャー的に表現することには重要な意味がある。
坂上秋成@11/25『Keyの軌跡』発売 @ssakagami
いわばオタクに拒否反応を起こさせること。ヴィトンを着たミクで違和感を覚えさせることで、場合によっては嫌悪させることで、操作可能なキャラクター的身体から解き放つこと。それがこの舞台の最大のテーマだったのかなと感じました。
坂上秋成@11/25『Keyの軌跡』発売 @ssakagami
ミクに関してはしばしば海外輸出の問題が語られます。ミクが海外で受けても、それはボカロ文化の面白さとは別物だと。それはその通りなんです、ニコ動的なシステムまで含めないと現在消費されているミクの面白さは伝えられない。しかし、それはキャラクターの願いや祈りとは無関係でもある
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コメント

固有名 @tuitanix 2012年12月6日
まとめを更新しました。
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