渡邊芳之先生@ynabe39の「その「環境や状況の構造」を何も考慮しないで「お前は間違っている」「間違っているから変えろ」といくら言ったところで変わらないということはある。 」

人間がやっていることには必ずなにかの理由があると思うんだよね。間違ったことを言うのには間違ったことを言う理由がある。間違っているか正しいかよりも「それを言う理由」のほうが気になるのが人文系。by 渡邊芳之
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渡邊芳之 @ynabe39

むしろ「なぜ人は自分や他者の行動についてそのような意味のない構成概念を用いて語るのか」のほうに興味を持ったのが俺。

2012-12-06 07:32:39
渡邊芳之 @ynabe39

人間がやっていることには必ずなにかの理由があると思うんだよね。間違ったことを言うのには間違ったことを言う理由がある。間違っているか正しいかよりも「それを言う理由」のほうが気になるのが人文系。

2012-12-06 07:35:21
渡邊芳之 @ynabe39

AとBのうちでBが嫌いだからAを選ぶという選択をしてあとでAの欠陥に気づいて嘆くというのが人間の常。

2012-12-06 07:36:43
渡邊芳之 @ynabe39

「間違ったことを言うほうがよい結果になる」「正しいことを言うと不適応になる」という環境や状況はいくらでもあるわけで,「その人の言っていることが間違っている」ことよりむしろ「間違ったことを言わせる環境や状況の構造」のほうが気になる。

2012-12-06 07:39:44
渡邊芳之 @ynabe39

その「環境や状況の構造」を何も考慮しないで「お前は間違っている」「間違っているから変えろ」といくら言ったところで変わらないということはある。

2012-12-06 07:41:02
渡邊芳之 @ynabe39

人文学的なテーマでは究極的には「この人の言っていることは正しい」「この人の言っていることは間違っている」という主張は「政治」や「運動」の文脈のもので,「学問」や「研究」の文脈での問いは「この人はなぜそういうことを言うのか」にしかなりえないようにも思う。

2012-12-06 07:51:55
渡邊芳之 @ynabe39

人文学者がなにか特定のものを「正しくない」として批判したり,それを排除するような行動に出たとしたら,それはもう「研究」や「学問」から一歩踏み出して「政治」や「運動」の領域に入っているのだろう。その境目を越えることは各人の意思によるが,越えていることの認識は必要だと思う。

2012-12-06 07:58:40
渡邊芳之 @ynabe39

しかし人文学者がその「政治」や「運動」の領域に踏み込まないことはとても難しい。人文学者の大多数がなんらかの「運動」に関わっているのだと思う。私もいろいろ関わっている。

2012-12-06 08:00:47