渡邊先生ynabe39の「自然科学者(理系科学者)と社会科学者(文系科学者)の相違 頭の良さは測れない」

自然科学者(理系科学者)と社会科学者(文系科学者)の相違 頭の良さは測れない 「科学的である」ということと「科学である」ことは違う 前半は科学論、後半は社会にどう貢献・反映するかの議論。 続きを読む
渡邊芳之 科学哲学 帯広畜産大学 科学史 ynabe39
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渡邊芳之 @ynabe39
西周は「科学」という言葉を「いろいろな分野(科)に分かれている学問というもの全体の姿」を示す言葉として考案し、Scienceには別に「理学」という訳語をあてた。Faculty of Scienceが「科学部」ではなく「理学部」になっているのはそのためだ。
渡邊芳之 @ynabe39
西周のアイデアからいえば、自然科学は「自然の科学」ではなく「自然科の学」、社会科学は「社会の科学」ではなく「社会科の学」、人文科学は「人文科の学」であって、それらすべてを総称したものが「科学」ということになる。
渡邊芳之 @ynabe39
心理学という言葉を作ったのも西周だが、これが「理学」であることも問題を複雑にする。もっとも西は最初Psychologyには「性理学」をあて、心理学はMental Philosophyの訳語だった。
渡邊芳之 @ynabe39
Mental Philosophyに「理学」をあてたのはNatural Philosophyとの関係からだろう。
渡邊芳之 @ynabe39
そうはいっても現在の「社会科学」は Social Sciences の訳語だからそこにはScienceが含意されている。いっぽう「人文科学」と対応する英語はふつう Humanities であってそこにはScienceは含意されていない。なぜ人文「科学」なのか。
渡邊芳之 @ynabe39
とにかく西周はすごい。哲学、帰納、演繹、理性、技術、芸術など学術用語で彼が考案したものは数えきれず、その多くは漢語の母国中国にも輸出されて用いられている。
渡邊芳之 @ynabe39
その「文部省の役人」とはおそらく西周のことです。 RT @kaitsac それについては文部省の役人が、「それっぽい訳語」にするためにあえて「科学」の文字をつけたと聞いたことがありますが、真相はどうなんでしょうね。
渡邊芳之 @ynabe39
ちなみに Human Sciences はふつう人文科学でなく人間科学と訳す。これも実に困った言葉だ。
渡邊芳之 @ynabe39
いえ、イメージしたのは質的心理学のようなものです。認知心理学は少なくとも方法論的には行動主義を捨てたことは一度もないと思います。 RT @noin0220: これは行動主義を捨てた認知心理学のことを言ってるのかな・・・
渡邊芳之 @ynabe39
失礼しました文脈を読み違えました。「人文科学」のことですね? RT @kaitsac それについては文部省の役人が、「それっぽい訳語」にするためにあえて「科学」の文字をつけたと聞いたことがありますが、真相はどうなんでしょうね。
渡邊芳之 @ynabe39
確かに昔の教養教育の学問分野は自然科学、社会科学、人文科学となっていて、これは文部省が大学設置基準で決めていたものですね。犯人は文部省か。
渡邊芳之 @ynabe39
反証不能な心的存在を科学の中に取り込む、というのは認知心理学以前から心理学の専売特許ですよ。 RT @noin0220: .....方法論的行動主義を使いながらも、心や認知システムという現時点では反証不能なものを扱う認知系のことだと、
渡邊芳之 @ynabe39
欧米の学問を「欧米人から習うもの」ではなく「日本人によって研究され教育されるもの」にするためにはタームを漢語化することは必須でした。欧米語で学んでいる限り大学教授はずっと外国人だったでしょう。明治政府のその判断は私は正しかったと思います。
渡邊芳之 @ynabe39
知識そのものと学問との違いか。学問はまず職業であるということと、学問には方法があるけれど知識そのものは方法を持たないことかな。
渡邊芳之 @ynabe39
目的にするだけでよければ星占いだって現象の予測と制御を目的にしているから自然科学とかも言えちゃう。 RT @Yoshi_DD: @Mihoko_Nojiri オイラはシンプルに、現象の予測と制御を目的とする学問が自然科学 ということでイイんぢゃないかと思っています
渡邊芳之 @ynabe39
けっきょく学問のある種類を定義しようとすると方法について語らないとならない。しかし方法からの定義は多くの場合、その学問を現にやってる人たちにとってひどく窮屈になる。
渡邊芳之 @ynabe39
自然科学と数学との関係。科学哲学者が考えてきた科学の定義のかなりの部分は数学にはあてはまらない。じゃあ数学は科学ではないのか。むしろ科学も突き詰めると科学でなくなるということなのか。あるいは科学の定義が間違っているか。
渡邊芳之 @ynabe39
心理学者の私は学部生のときに科学の目的は「現象の記述、予測、制御」であると習った。そんなことをわざわざ習うのも心理学の特徴。
渡邊芳之 @ynabe39
学問の定義は「その学問が現にやってること」からしかできないが、それで定義すると「いまやってないことを新しくやろう」とすると自分の学問の定義に抵触してしまうことになる。現場の研究者が学問の定義をはっきりと嫌うのはそのためか。
渡邊芳之 @ynabe39
命がけという言葉を文字どおり「その行為が直接死につながる」こととしか取らないのはやや想像力に欠けると思うし、それでは死を想定しないと命がけでないことになる。実際には生物は死なないために命をかけている。
渡邊芳之 @ynabe39
まったく同じことを言ってる心理学者がいます。心理学の工学的洗練と。 RT @simoji: なんとなくですが、それは工学に近い感じがしますね。 @ynabe39 心理学者の私は学部生のときに科学の目的は「現象の記述、予測、制御」であると習った。
渡邊芳之 @ynabe39
記述、予測、制御と並べたとき、究極目標は制御で、記述や予測は制御のために必要なステップだということが含意されている。本当にそうだろうか?と思う人は多いと思う。記述と予測の間に「説明」が入っている場合についてもそうだ。
渡邊芳之 @ynabe39
少なくとも、学者は学者として死なないために学者としての命をかけている。学者としての命、学者として死ぬこと、などの言葉の意味を共有している者が学者だ。
渡邊芳之 @ynabe39
人文学がどうやって客観性を担保するか、ということについては以下の本で延々と書いた。それを140字にまとめるのはさすがに私の能力を超える。箴言家を探さないと。 http://bit.ly/aR4bOn
渡邊芳之 @ynabe39
おまえのやってることはこれこれだろ、と外部から言われると怒る、という傾向はかなり普遍的だ。先日はそれをマーケティングについて経験したけれど、科学についても同じことが起きる。
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コメント

MATSUOKA Hiroshi @matsu_hiroshi 2011年1月24日
今更ながらクソおもしろい(w 二留の馬鹿物理学生だったけども、教授との交流が多かったし、心理学、文化人類学も大好きだったし、何より大学に戻ってくるには否応なしに『大学を考える』機会があった訳で(w
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