渡邊先生ynabe39の「自然科学者(理系科学者)と社会科学者(文系科学者)の相違 頭の良さは測れない」

自然科学者(理系科学者)と社会科学者(文系科学者)の相違 頭の良さは測れない 「科学的である」ということと「科学である」ことは違う 前半は科学論、後半は社会にどう貢献・反映するかの議論。 続きを読む
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渡邊芳之 @ynabe39

科学の定義についての議論はけっきょくその「科学に対する内部性の本質」という問題で膠着する。

2010-08-11 06:37:07
渡邊芳之 @ynabe39

自然科学者はなにによって「自分は科学者であり、自分のやってることは科学である」と信じるようになるのか。私は科学者教育、その徒弟制度がかなり本質的な役割を果たしていると思う。

2010-08-11 06:38:42
渡邊芳之 @ynabe39

思い切っていえば、科学者は自分が理学部などの理系学部に入学しそこで教育を受け、その大学院で研究者としての訓練を受けることで自分を科学者だと思うようになり、そこで訓練された方法で研究するから自分の研究を科学だと思うようだ。

2010-08-11 06:41:41
渡邊芳之 @ynabe39

そうであれば、どのような目的と方法で研究しようが、文学部で教育され訓練される心理学が科学内部とみなされることはない。すごく簡単な話だ。しかしそんな簡単でいいのか。

2010-08-11 06:42:56
渡邊芳之 @ynabe39

理系研究者が日常の問題について見せる信じられない非科学的な意見や態度も、自分は科学者なんだから自分の言ってることは(とくに推敲の必要なく)科学的であるはずだ、という信念のあらわれと見ることができる。いっぽう文系研究者は自分の態度が科学的かどうかをいつも気にしている。

2010-08-11 06:46:10
渡邊芳之 @ynabe39

自然科学者は実験などの方法によって客観性の担保を外部化しているので、自分の思考や意見の客観性や科学性には比較的無頓着だ。「どんなアイデアでも実験してみれば正誤は明らかになるでしょう」みたいな楽天性がある。

2010-08-11 06:51:25
渡邊芳之 @ynabe39

いっぽう客観性の基準を外部化していない文系研究者にとっては自分の思考やアイデア自体が客観性を持っているかが大きな問題になる。だから文系研究者は「いつもああだこうだ難しいことを考えている人」になる。

2010-08-11 06:53:01
渡邊芳之 @ynabe39

@nennpa それはシンプルな話で、140年前のドイツで学問としての心理学を最初に始めた人たちは自然科学の訓練を受けた人たちだったんです。ですから心理学と科学との関係と、他の文系の学問のそれとは事情がやや違います。

2010-08-11 07:16:00
渡邊芳之 @ynabe39

まあ私は個人的には心理学が科学であることは必須でないと考えてます。

2010-08-11 07:16:58
渡邊芳之 @ynabe39

さっきの続き。心理学は実験や数量的方法などを取り入れて客観性基準の外部化にある程度成功している。その結果心理学者は文系研究者には珍しく「難しいことはあまり考えない」人々になっている。

2010-08-11 07:18:34
渡邊芳之 @ynabe39

その「占いでも当たればいい」というのが自然科学の楽天性をよく象徴している。そこで「いくら当たっても占いじゃまずいでしょう」と考えるのが文系。

2010-08-11 07:20:07
渡邊芳之 @ynabe39

もう140年もやったんだから、そろそろ心理学も自然科学指向など捨ててもよいと思う。もう十分でしょ。

2010-08-11 07:21:11
渡邊芳之 @ynabe39

科学になる一つの方法がそれだったんですね。理系学部や理系組織に入る、理系の学位をとる。RT @wakida: 京大は霊長類研究所に心理学分野あるよね。松沢さんは文学部出身だけど理学博士だし。

2010-08-11 07:46:43
渡邊芳之 @ynabe39

ただ心理学が理系学部にあったら私みたいな人間はぜったいに心理学者になってないし、心理学が現にやってることの半分くらいは存在しないでしょうね。

2010-08-11 07:48:18
渡邊芳之 @ynabe39

もちろん、私が心理学者にならず、いまある研究の半分くらいが存在しない姿がほんらい心理学のあるべき姿だった、という意見は十分ありえます。

2010-08-11 07:49:42
渡邊芳之 @ynabe39

そうなってきたのはごく最近ですし、ある意味それは逆に英米の特殊事情です。実験心理屋さんがそういう事例を利用して心理学は科学だと主張したがるのも面白い傾向です。RT @fun9tion: それは日本や一部のEUの場合でしょ。心理学が盛んな英米では、独自の学部があるし....

2010-08-11 08:08:05
渡邊芳之 @ynabe39

@wakida 歴史的経緯や一般的傾向の議論をしているときに特殊例で反論しようとするのはとても文系っぽいやり方です。

2010-08-11 08:09:27
渡邊芳之 @ynabe39

そういうのも気になるんですが、日本の学者が日本のやり方で議論することのなにが悪いでしょう? 外国では、英米では、そういうのを出羽の守と昔よく言いました。 RT @wakida: 文系理系に分けるのは日本独自のやり方です。

2010-08-11 08:15:31
渡邊芳之 @ynabe39

日本で学び訓練された時点で私たち日本の学者の中には日本の学問の歴史が内在されています。もちろん外国の動向に無関心では学者として問題ですが、自分だけは「日本」に囚われずに考えている、と考えるのもちょっと単純すぎると思います。

2010-08-11 08:19:23
渡邊芳之 @ynabe39

教育が文系理系ではっきり分かれている国で教育された人間がその区分を前提に議論するのは当然だし、間違っていないと思います。

2010-08-11 08:21:51
渡邊芳之 @ynabe39

アメリカ人は自国語で教育を受けて自国語で論文を書くだけで文句を言われない。日本人だと自国語だけで研究してるとダメ学者と言われる。この非対称性は気になる。

2010-08-11 08:52:21
渡邊芳之 @ynabe39

アメリカの学者で英語以外の言語で論文書く能力を持つ人は非常に少ない。まあ必要ないからだけど、英米以外の学者はほぼ全員が2ヶ国語以上書けるわけで、その方がインテレクチュアルな感じもする。

2010-08-11 08:54:58
Yuichiro Nishimura @nissyyu

文学部内でも自然科学・社会科学的なディシプリン持っている研究室は当然存在。文学部は多分野のごった煮集団 RT @K_Tachibana: RT @ynabe39: そうであれば、どのような目的と方法で研究しようが、文学部で教育され訓練される心理学が科学内部とみなされることはない…

2010-08-11 11:17:06
渡邊芳之 @ynabe39

そういう「文学部の実験講座」の人々は大なり小なり心理学者と同じ悩みを持っているはずです。 RT @nissyyu: 文学部内でも自然科学・社会科学的なディシプリン持っている研究室は当然存在。文学部は多分野のごった煮集団

2010-08-11 16:49:28
渡邊芳之 @ynabe39

「科学的である」ことと「科学である」ことは違う。前者は方法によって達成することができるが、後者は「科学内部性の壁」を乗り越えなければ得られない。

2010-08-11 16:52:00
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