「生きる」の反意語は「考える」。週末・芦田×本間哲学談義
RT @toshiro: 「「生きる」の反意語は「考える」。週末・芦田×本間哲学談義」をトゥギャりました。 http://togetter.com/li/41981
2010-08-14 14:04:45安心しました。 RT @jai_an 目的的な学校教育の創始者として有意味。 http://ht.ly/2pwmh
2010-08-14 14:10:35ありがとうございます。 RT @jai_an: バカな人、自分で自主的に勉強しようとしない人、バカだのに自分は賢いと思って勘違いしている人、こんな人たちが大好きじゃないと「先生」はやってられません。
2010-08-14 14:11:11僕自身は「教育提供側」でない立ち位置を模索しているのですね。学習者の一人として、他の学習者と切磋琢磨するリーダーシップをとるような。バカかも。 RT @jai_an: それは私たち教育提供側の人間が語るべきことではありません。そんなロマンは「第3者」に語らせておけばいい。
2010-08-14 14:13:01私学の、国立大学にない特長は、「建学の理念」があることです。RT @learnologist: 安心しました。 RT @jai_an 目的的な学校教育の創始者として有意味。 http://ht.ly/2pwmh
2010-08-14 14:14:30それはありえない。学習学も提供側の思想です。RT @learnologist: 僕自身は「教育提供側」でない立ち位置を模索しているのですね。学習者の一人として、他の学習者と切磋琢磨するリーダーシップをとるような。バカかも。 RT @jai_an: それは私たち教育提供側の人間が
2010-08-14 14:15:30かつて、私塾には、教育提供側の「塾長」「師範」の他に、塾生の中のリーダーとして「塾頭」という役割がありました。僕が志向しているのはそれかも知れません。自己研鑽し続け、最終額種歴を更新し続ける。ただ、そんな生き方、他の人に押しつけられないですけどね。 RT @jai_an
2010-08-14 14:15:41これが(国立大学にない)私学の意義。RT @nogamiyukie: 在学中とても嫌いだった母校立教女学院。(諸先生方申し訳ございません)しかし、その建学の教えを多分に受けて生活しているような気が致します。
2010-08-14 14:16:25ありえない、と断言されると「ありうる」とお答えしたくなります。バカかも。 RT @jai_an: それはありえない。学習学も提供側の思想です。@本間 僕自身は「教育提供側」でない立ち位置を模索している。学習者の一人として、他の学習者と切磋琢磨するリーダーシップをとるような。
2010-08-14 14:19:04「自分の知見の拡張」も学ぶことの非常に大きな柱ですね。ここに学校の大きな役割があると思います。ただ、一斉授業(とりわけバカな教員による)ばかりで、他者との出会いが限定されているのが現状ですね。 RT @jai_an: 他者と出会うということが自分の知見の拡張契機
2010-08-14 14:24:10もし学習学が提供側の思想でないとすると、それは本間先生が「私はこうして勉強しました」という自己経験をお話になってる場合のみです。RT @learnologist: ありえない、と断言されると「ありうる」とお答えしたくなります。バカかも。 RT @jai_an: それはありえない。
2010-08-14 14:25:21芦田先生が「バカ」という言葉を使った時には、「大好き」と読み替えさせていただきます。 RT @jai_an: これはバカな人は嫌い、と「先生」が言ってるだけのこと。先生失格です。
2010-08-14 14:25:24その通りです(笑) RT @learnologist: 芦田先生が「バカ」という言葉を使った時には、「大好き」と読み替えさせていただきます。 RT @jai_an: これはバカな人は嫌い、と「先生」が言ってるだけのこと。先生失格です。
2010-08-14 14:25:47いえ、一斉授業は、他者性の大きな契機です。過疎地域の学校で偏差値の高い学校を見たことがありません。RT @learnologist: 「自分の知見の拡張」も学ぶことの非常に大きな柱ですね。ここに学校の大きな役割があると思います。ただ、一斉授業(とりわけバカな教員による)ばかりで
2010-08-14 14:27:54話を元に戻すと、芦田先生のお考えでは、「学ぶ」の反意語は「生きる」、「生きる」の反意語は「考える」。教育提供側の意図と目的とその評価方法が明確なものが「学び」で、そうでなければ「学び」ではない、あるいは乱用ということですね。 RT @jai_an
2010-08-14 14:28:23僕は、隠岐の海士町の実験に注目しています。 RT @jai_an: いえ、一斉授業は、他者性の大きな契機です。過疎地域の学校で偏差値の高い学校を見たことがありません。
2010-08-14 14:29:58反意語遊びは、基本的に連結させると意味がありませんが、それでいいと思います。RT @learnologist: 話を元に戻すと、芦田先生のお考えでは、「学ぶ」の反意語は「生きる」、「生きる」の反意語は「考える」。教育提供側の意図と目的とその評価方法が明確なもの…
2010-08-14 14:30:03RT @jai_an: もし学習学が提供側の思想でないとすると、それは本間先生が「私はこうして勉強しました」という自己経験をお話になってる場合のみです。RT @learnologist: ありえない、と断言されると「ありうる」とお答えしたくなります。バカかも。 RT...
2010-08-14 14:32:15大概の場合、自己満足な教育が多いのですが、東大に入学する生徒が一人でも出てくれば、見に行きます。RT @learnologist: 僕は、隠岐の海士町の実験に注目しています。 RT @jai_an: いえ、一斉授業は、他者性の大きな契機です。過疎地域の学校で偏差値の高い学校はない
2010-08-14 14:32:36ライバルが多いことと多種多様な人間がいることが教育環境では必須。RT @masahirok_jp: 先生が教え切れない範囲は自主的に学友同士でカバーしあうからですか? RT @jai_an: いえ、一斉授業は、他者性の大きな契機です。過疎地域の学校で偏差値の高い学校を見たこと
2010-08-14 14:33:54ちょっとまとめ方が違う。RT @masahirok_jp: 芦田先生と本間先生の会話を見ていると、原理原則論と経験則論の押し問答を繰り返しているように見える。お互い一歩も引かないけど、そろそろお流れになった、ご対談を渋谷USTとかでやってみるとかどうですかね?あそこなら借りきって
2010-08-14 14:34:23競争原理のないところで互助原理、多様性原理ははたらきません。左翼はここがわからない。RT @masahirok_jp: 多様な価値観のなかでライバルと切磋琢磨することこそが成長につながると。競争原理が自動的に働くわけですね。納得です。RT @jai_an: ライバルが多いことと…
2010-08-14 14:38:07でしょ。RT @ryusei_m: 地方出身だけに同感です。RT @jai_an: ライバルが多いことと多種多様な人間がいることが教育環境では必須。RT @masahirok_jp RT @jai_an: いえ、一斉授業は、他者性の大きな契機です。過疎地域の学校で偏差値の高い…
2010-08-14 14:38:43