山本七平botまとめ/【アパリの地獄船②】/意志に反して手が動く「餓」「鬼」になる”飢え”/~他人の「飢え」を飢えることが不可能であることを判らない飽食の民~

山本七平著『ある異常体験者の偏見』/アパリの地獄船/155頁以降より抜粋引用。
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山本七平bot @yamamoto7hei

1】ジイは実に自主的であった。もちろん自主的な人は「自主的」などという言葉は口にしない。彼は実に無口であった。そして、彼のA少将への態度を人が批判しようと嘲弄しようと、一向に意に介せず、自分で決めた自分のやり方通りに全てをただ黙々とやっていた。<『ある異常体験者の偏見』

2012-12-11 05:27:52
山本七平bot @yamamoto7hei

2】ある時彼がトラッシュ缶に入った残飯を重そうに運んでいたので私はそれを手伝った。その時彼は、重い口を開いて、不意に次のような話をした。 ある日、一般収容所から、草とりか何かのため十数人の使役が来た。

2012-12-11 05:57:40
山本七平bot @yamamoto7hei

3】彼らの一人がこの残飯の缶を見つけると、あっという間に全員がそれにむらがり、我先にと夢中でそれに手をつっこんで残飯を口に運んだ。 熱地の残飯である。もちろんすえてどろどろになっている。

2012-12-11 06:27:48
山本七平bot @yamamoto7hei

4】彼らは手から腕から口のまわりまで残飯の汁でベタベタにしながら、無我夢中で手を動かしていた。 ジイはしばらくあっけにとられてそれを見ていた。 そのとき不意に一人の男と視線が合った。 それはかつての上官である一曹長であった。

2012-12-11 06:57:43
山本七平bot @yamamoto7hei

5】その瞬間その曹長は、ちょっと腰をかがめ、残飯の汁でベタベタの両手を合わせ、おがむような態度で彼に哀願して言った。 「ジイ、どうかむこうを向いていてくれ、どうかこの浅ましい姿を見んでくれ。どうにもならん、どうしても手が動くんじゃ」と。 この言葉に、私は非常に感動した。

2012-12-11 07:27:54
山本七平bot @yamamoto7hei

6】「自分の意思に反して自分の手が動く」という意識、この意識は人間にしかない。動物にはその意識はない。そして一個人であれ一民族であれ、この事を忘れれば人間の資格を失い、それが行きつく先は自滅であろう――例えそれが飽食によって失われようと、更に徹底した飢餓で失われようと…私は思った

2012-12-11 07:57:39
山本七平bot @yamamoto7hei

7】この言葉にそのように感動した事自体、読者には奇妙に感じられよう。 実はそれには理由があった。 自分の意思に反して手が動く、そして手が動くため、その手が逆に自分を殺してしまう、という奇妙な体験を、私は既にしていた。それがこの言葉に強い共感を感じ、かつ感銘をうけた理由であろう。

2012-12-11 08:28:05
山本七平bot @yamamoto7hei

8】それは、はじめて婦人収容所に出勤した日に起った。…私は通行証を見せて中に入った。私の仕事の報酬は、表向きには何もないのだが、実際は炊事場に入って、自由に食べてよろしいということであった。これは、被収容者にとっては、夢にもかなえられない一大特典であった。

2012-12-11 08:57:43
山本七平bot @yamamoto7hei

9】当時私の体重は40.8キロ、骨と皮で、背骨の一節一節が…外部からはっきり見え、ひどい栄養失調と貧血で視点が定まらず、眼球がすぐ動いてくれないので絶えず映像が二重に見え、動悸がするので50mぐらい歩いては腰を下ろし、足があがらないので幅30cmの溝が跨げない有様であった。

2012-12-11 09:27:59
山本七平bot @yamamoto7hei

10】そういった人間が…一般配食の少し前、炊事場に入って、何年ぶりかで大きな正方形の容器に入った「人間の食物」がずらりと並んで湯気を立てているのを目にしたのであった。香り、湯気、そして微笑、満ち足りたような雰囲気、私はしばらく、あっけにとられて、この別世界の中でたたずんでいた。

2012-12-11 09:57:44
山本七平bot @yamamoto7hei

11】アメリカはレディーファーストのお国のゆえか、それともジュネーヴ条約に忠実なお国柄のゆえか、非戦闘員収容者は確かに特別待遇で、その点では将官以上であった。…ここは別世界、夢の世界、お伽話の魔法の世界だったのである。

2012-12-11 10:28:04
山本七平bot @yamamoto7hei

12】だが現実はあくまで現実であった。 それから二十分後、私は、仕事のため与えられていた小さな幕舎の中で、七転八倒していた。 当然といえば当然で「断食」をしたら、まずうすめた果汁、重湯、粥と進まねば大変なことになるであろう。

2012-12-11 10:57:44
山本七平bot @yamamoto7hei

13】一般収容所の食事、顔がうつるので「メグマガユ」の名があった水のような粥が、偶然の「健康食」だったかもしれない。 ところが極端な飢餓感は、そういった人間の思考力は止めさせて、ただ「手が動く」のである。

2012-12-11 11:28:00
山本七平bot @yamamoto7hei

14】私はまるで夢の中で何か食べているように、また今にも目の前から御馳走が消え去るのを恐れているかのように、ベーコンやコーンビーフやらを次から次へと狂ったように胃袋につめこみ、ついに食物が本当に喉まで来た。 もう入らなくなった。 しかし「手が動く」。

2012-12-11 11:57:43
山本七平bot @yamamoto7hei

15】「餓鬼」という言葉があるが、この状態は確かに「餓」「鬼」であって「人間」ではない。 ところが喉までつまり、もう押し込んでも入らないという状態になった時、不意に、自分の異常な状態に気づき、はっと我にかえった。心臓が早鐘のように打ち出し、額からはタラタラと冷汗が流れ出した。

2012-12-11 12:28:05
山本七平bot @yamamoto7hei

16】「しまった、これで死んだヤツがいる」――だがもうおそい。 私は毒を食ったネズミのように、自分の幕舎までたどりついた。 その時はすでに全身汗ぐっしょり、心臓どころか腹部全体が狂ったように波打ち、目はかすみ、息がハアハアして、今にも絶息しそうになる。

2012-12-11 12:57:43
山本七平bot @yamamoto7hei

17】ついに目の前が真っ暗になった時、体内から突き上げてくるような異様な衝撃に思わずのけぞった瞬間、食べたものを全部吐き出した。カーッと頭に血がのぼったような感じだ。一瞬気を失いかけたが、どうやら持ちこたえているうちに、波がひくように、あらゆる鼓動が徐々に静まってきた。

2012-12-11 13:28:01
山本七平bot @yamamoto7hei

18】このような状態で死んだという話は、復員してからも多くの人から聞いたが、おそらくそういった死の一歩手前だったのであろう。 平静にもどった私は後始末をした。それから何をしたか。驚くなかれ、いま死にかけたくせに、また食器をぶら下げて、配食の列の最後尾に並んだのである。

2012-12-11 13:57:43
山本七平bot @yamamoto7hei

19】胃が空になってホッとすると同時に、また異様な飢餓感が襲ってきた。 この状態は、残飯に手をつっこむのと、本質的には変らない。 「飢えの力」はそれほど強い。

2012-12-11 14:28:01
山本七平bot @yamamoto7hei

20】しかしこの絶対的ともいえる「飢えの力」も、飽食し満腹した瞬間、いわば「ゲーッ」ということになった瞬間にゼロになり、同時に「飢え」というものが、その人には全然わからなくなるという、実に奇妙な要素がある。

2012-12-11 14:57:41
山本七平bot @yamamoto7hei

21】「欲望」いわば性欲も食欲もそういったものかも知れぬが、これが「食」では、決定的と言いたいほど強烈である。 婦人収容所に二、三日通うと、もう同じ収容所の同じ幕合の人の「飢え」が理解できなくなってしまう。

2012-12-11 15:27:56
山本七平bot @yamamoto7hei

22】これは実に奇妙で、一昨日まで私も同じように飢えていたのに、それが、もうどうしても理解できないのである。 「飽食しながら、他人の『飢え』を飢える」ことは人間には出来ない。 もちろん「他人の『痛み』を自らの痛みとする」ことなどは、それ以上に出来ないことである。

2012-12-11 15:57:41
山本七平bot @yamamoto7hei

23】出来ないことを出来るような顔をし、深刻ぶりを顕示して、何を演じたところで、それは「飢えてない人」「痛んでいない人」をごまかすことができるだけで、本当に飢え、本当に痛めつけられている人をごまかすことは、絶対にできない。

2012-12-11 16:28:01
山本七平bot @yamamoto7hei

24】私は自分の飽食を同じ幕舎の人に全然語らなかった。しかしそんな事はすぐわかる。私はつとめて控え目に振舞い、出来る限り目立たないようにし、何か悪事でもしているように息をひそめていた。 日に日に私への一種の敵意とも言うべきものが醸成されて行く事は、よくわかっていたからである。

2012-12-11 16:57:42
山本七平bot @yamamoto7hei

25】もちろん私は、飽食しながら「『他人の飢え』を自分の『飢え』にしている」などとはいわなかった。 この言葉は「兵隊さんのことを思え」あるいは「アラブ難民のことを思え」と同質だが、こんな言葉を一言でも口にすれば、すぐさまリンチに会っただけだろう。

2012-12-11 17:27:59