『学び合い』においては、ただ乗りは起こりません。しかし、どうしたら『学び合い』が成立するか、という問いだとしたら。それは「一人も見捨てず大人にする」と教師が踏ん張れるかが、一番大事だと私は思っています。現在の『学び合い』の姿は、その願いの結果です。
2010-01-26 07:51:51ありがとうございます。私は、教師がどう踏ん張るのかをぜひ知りたいです。 RT @jun24kawa: …どうしたら『学び合い』が成立するか、という問いだとしたら。それは「一人も見捨てず大人にする」と教師が踏ん張れるかが、一番大事だと私は思っています。…
2010-01-26 07:53:08@daisukef 実り多い議論、感謝です。なんか精神論みたいですが、結局、子どもは教師の「腹」を見透かして行動すると考えています。だから、授業名人の指導案で授業をやっても失敗するのは、そのあたりだと思います。だから、『学び合い』では、教師の心を大事にしています。
2010-01-26 07:56:23こちらこそ感謝です。教師の心がどう実践に現れるのかも興味深いです。 RT @jun24kawa: …子どもは教師の「腹」を見透かして行動すると考えています。だから、授業名人の指導案で授業をやっても失敗するのは、そのあたりだと思います。だから、『学び合い』では、教師の心を…
2010-01-26 07:58:01おそらく、目指す方向性は同じだと思います。ただ、子ども達の能力の高さの捉えが違うと思っています。実際の授業を見ると全然違います。RT @mike0913 上越教育大の西川純先生が提唱する『学び合い』と、東京大の佐藤学先生の『学びの共同体』は同じもの?ふと疑問に感じました。
2010-01-26 07:59:25明確な根拠は持っていませんが、私も同じような感じがします。具体的な根拠があれば知りたいです。 RT @jun24kawa: …子ども達の能力の高さの捉えが違うと思っています。…RT @mike0913 …『学び合い』と…『学びの共同体』は同じもの?…
2010-01-26 08:02:55『学び合い』に対して懐疑的な人に限って現場を見に行こうとしないのは何故?「機会があれば…」って言うけども、それだけ言うなら何故「機会を作って…」にならないのだろう。なんて呟く僕は悪い人かなー?
2010-01-26 06:01:44考えるための道具を持たないままの協働学習を「学び合い」と言ってやってきた時期があったので、それと同じだと思っているからではないでしょうか。 RT @symphonicity 『学び合い』に対して懐疑的な人に限って現場を見に行こうとしない
2010-01-26 07:38:52私のことをおっしゃっているなら全然違いますよ。 RT @IshihataAi: 考えるための道具を持たないままの協働学習を「学び合い」と言ってやってきた時期があったので、それと同じだと思っているからではないでしょうか。…
2010-01-26 08:16:33@daisukef この議論はハッシュタグ決めてやってみてはいかが?私も興味深くTL拝見しています。
2010-01-26 08:11:57私もハッシュタグを決めればよかったかなと思っているのですが、今からだとどうでしょう? 「学び合い」で検索すればけっこう追えるようですし。 RT @stoyofuku: @daisukef この議論はハッシュタグ決めてやってみてはいかが?私も興味深くTL拝見しています。
2010-01-26 08:18:27@daisukef 『学び合い』の議論,興味深く拝見しています。私も2度しか授業を参観したことはないのですが,その実感や文献並びにやりとり等を総合すると,「協力ゲーム授業」という言葉が,私も一番しっくりきます。授業をチームビルディングのアクティビティ感覚で捉えられそうです。
2010-01-26 10:56:47ありがとうございます! RT @dhfutures: 『学び合い』の議論,興味深く拝見しています。私も2度しか授業を参観したことはないのですが,その実感や文献並びにやりとり等を総合すると,「協力ゲーム授業」という言葉が,私も一番しっくりきます。…
2010-01-26 12:17:17@dhfutures その人その人の感覚なのだとは思うのですが「協力ゲーム」というのはなんとなく雰囲気はつかんでいるようですけど『学び合い』を狭く閉じ込めてしまう感じの表現とわたしは受け止めてしまいます。「考え方」「哲学」のように捉えたいのですよね。生活レベルに広げて考えたい。
2010-01-26 22:02:04@dhfutures 「ゲーム」という言葉で説明してしまうと「勝ち負けがある」「かけひきがある」「その時だけのこと」という感じになってしまいます。『学び合い』も人によって捉え方は様々なのでしょうが、わたしは『学び合い』はもっと全人的なものと考えています。ととと遅刻しちゃう!
2010-01-27 07:39:22@iabetaka 「協力ゲーム」というのはゲーム理論の用語で、プレイヤーが互いに連携することが可能なゲームを意味します。実践的には「ゲーム」という語は忌避されるかもしれませんが、「学び合い」の学術研究としては、ゲーム理論を援用することが検討されてよいのでは?
2010-01-27 07:56:13@iabetaka 付け加えます。「学び合い」は、子どもが相互に協力できない「非協力ゲーム」としての授業を否定しているのだと思います。だから「協力ゲーム」なのです。協力ゲームとしてとらえることで、協力の利得や非協力(裏切り)の利得がどうなっているのかの検討へと進めます。
2010-01-27 08:02:19なぜ、『学び合い』は今までの教育論に比べて、格段に説明力が高いのか?それは、個々の子ども達の動きを追っているのではなく、子ども集団を追っているからです。水蒸気の水分子の個々の動きを予想することは不可能でも、氷の水分子の個々の動きを予想することは可能です。
2010-01-27 06:55:33@jun24kawa 「学び合い」を氷にたとえると、個々の子どもたちの自由な動きが制限されるような誤解を与えると思います。個々の気体分子の動きを予想するのは困難でもある空間全体の分子の動き(つまり温度)を予想することができるという統計力学の比喩のほうがあたるのでは?
2010-01-27 08:12:37「学び合い」について考えるには、個々の子どもが自由に動きつつ学級全体では一つの方向に力強く動いていくあり方がいかに成立するかを検討することが必要では? 少しヘビーかもしれませんが『もっとも美しい数学 ゲーム理論』という本が参考になります。 http://ow.ly/10L3I
2010-01-27 08:16:36氷は『学び合い』をしている子ども集団の比喩です。一方、分子は子ども個人の比喩です。それぞれの比喩は妥当だと思いますが、論点が違います。RT @daisukef @jun24kawa 「学び合い」を氷にたとえると、個々の子どもたちの自由な動きが制限されるような誤解を与えると思います
2010-01-27 09:56:41そうでしょうか。だって、氷が「学び合い」の集団ということは水分子を個々の子どもとしてとらえることになりますよね? そうしたら、個々の子どもは予想可能な状態で不自由に活動していることになりませんか? 論点は違わないと思うのですが。
2010-01-27 10:01:03@daisukef すみません。そういうことは私自身もわかっていましたが、あくまでも比喩は比喩で、ということでご理解ください。まあ、分子間の結合力が強まって、という比喩を使おうかと思ったのですが、難しくなると思ったので避けた次第です。ご理解ください。
2010-01-27 10:01:03