佐藤正美Tweet_20121201_15

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佐藤正美 @satou_masami

現実的事態の生起を見極める事はその構成条件を極める事だという、はっきりした意識がなければ、モデルを見損なう。いっぽう、「概念」は真似しやすい。「概念」は構成条件(文脈)を前提にしなくても定立できるからだ。しかし、「概念」は文脈に置いてこそ、その「意味」を確かめる事ができる。

2012-12-04 02:14:23
佐藤正美 @satou_masami

先ず表象(外界に対する反応)があって言語表現があるには違いないが、表象の「意味」はその形を、その表現をもとめる。言語表現は「意味」を調(ととの)える。感覚はもとめずとも生起するが、言語表現は生活様式の中で合意された語彙を使って構成される、或る価値意識下の行為である。

2012-12-05 20:53:28
佐藤正美 @satou_masami

現実的事態には言葉の綾など存しない。報告伝達が文(あや)をもとめるのである。文(あや)は当事者たちの努力の末の成果であって、それぞれの企業にはめいめいの文がある。なぜなら、事業は創られるものなのだから。文の意を知るに、他と似る似ていないの弁(わきま)えは無用ではないか。

2012-12-08 23:03:19
佐藤正美 @satou_masami

専門家は、専門領域が分化して、寧ろ一事のみを知りすぎて孤立しているのではないか。専門家と化して当事者意識から離れて、仲間同士で歓談し、総体的な「常識」は与り知らぬで済ませている。それを私は喜劇と考える。

2012-12-09 22:36:37
佐藤正美 @satou_masami

言語活動とは、「意味」を調(ととの)える行為である。事業活動において、言語(記号)は「行為」の意味を伝える産物(申し送りの手段)であり、「概念」の聯想に依る産物ではない。「その意も事も言も相称ふ」(本居宣長)とは、そういう現象である。

2012-12-11 18:12:07
佐藤正美 @satou_masami

私は何も事業のあるべき姿(本質? 実体? いずれの語も私には訳のわからぬ語であるが)を探すために三十年も費やしたのではない。「現実」を写像した文字(記号)に依る記述の中に、経験された(あるいは、企画された)事業条件という一大組織の存する事をはっきりと見定めたかったのである。

2012-12-12 01:07:49
佐藤正美 @satou_masami

私は、経験を報告伝達する言語(記号)にしか興味を持たなかったし、言語とは本来そういう性質のものと確信している。一人のシステム・エンジニアが事業の構成条件を創るのではない。一人のエンジニアがいてもいなくても、そんな事はどうでもいい。独りで合点している事業条件とはナンセンスである。

2012-12-12 01:08:11
佐藤正美 @satou_masami

動作は、めいめいの人に個性的で似せ難い。ゆえに、事業を営む手続きとは、人々が似せ難い動作を意識的に似せ合って繰り返す動作である。その結果、似せやすい「意味」が生まれる。我々はそういう経験から「概念」を習得する。「概念」は、その値を充足した時に「意味」を持つ。

2012-12-15 01:58:30