@Ishiiyukari 20121227 Tweet

〜「ワガママ」についての考察 〜
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石井ゆかり @ishiiyukari

子供の頃はガマン辛抱が「正しい」と教わったが、大人になって実感したのは、自分のワガママを自然に優先できる人のほうが、継続的安定的に自分を律する事ができやすい、ということだ。世間や「内なる他者」の評価を怖れて願望を押さえ込むタイプの努力は、最終的に依存や言い訳の海に流れ込みやすい。

2012-12-27 08:32:15
石井ゆかり @ishiiyukari

どこかで「あることがうまくできない人は、自分が感じている(はずの)不快感に対して鈍感」みたいな一文を読んだ。自分が今まさに不快だと感じている、ということに気づかない、というのは、つまりワガママを無視してきた結果なんじゃないかと思った。

2012-12-27 08:35:46
石井ゆかり @ishiiyukari

大人になってから「自分が不快だと感じている事に気づけるようになる」のは結構難しそうだが、でも、それを少しは気にすると、もうすこしうまくいくんじゃないか、と思える人も、たまに目にする。

2012-12-27 08:36:24
石井ゆかり @ishiiyukari

ワガママ、という表現に抵抗がある人もいると思う。身近に、自分を無視して自分勝手なことを平気で押しつけてくるような人がいたとして、その人を「ワガママだなあ、いやだなあ」と思わされていたら、ワガママなんか憎むべき最低のことだと思えると思う。それは当然だ。

2012-12-27 09:58:56
石井ゆかり @ishiiyukari

でも私が敢えて「ワガママ」をいいふうに使うのは、ごく主観的に、人が自分の中に「これはワガママかも」という望みのようなものを見つけたときに、それを罰しなければ!と反応する感覚を、ゆるめたほうがいい場合がある、ということを言いたいからなんだと思う。

2012-12-27 10:00:12
石井ゆかり @ishiiyukari

「ワガママ」という表現は、すでに罪や罰を含んで使われている。それを自分で自分に使う時は、何らかの対立が起こっているということだと思うのだ。その対立を解除するほうがいい「場合がある」ということを言いたいときに、ワガママ、って、いい意味で書いてしまうんだと思う。

2012-12-27 10:00:37