防御についての備忘録(2)

何故か続いているようです。
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名無し整備兵 @seibihei

昨日の補足というか、攻城戦について。といってもろくな事を呟く自信がない。特に前近代のものは。

2010-08-18 00:19:42
名無し整備兵 @seibihei

前近代の野戦では、以前述べた様に、戦闘手段は防御も攻撃も似たようなものだった。それでは劣勢側が勝つ見込みがほとんど無いのは、現代の我々より当時の人たちの方がよく理解していたろう

2010-08-18 00:22:39
名無し整備兵 @seibihei

文明の発生は城壁の構築と同義というのは極論としても、「都市」に人と富が集中するようになると、それを守らなければならなくなる。

2010-08-18 00:26:13
名無し整備兵 @seibihei

富を持たず武器を持つ周辺住民から都市を守るには、まずは情報の獲得、次に近接戦闘の拒否だったろう。

2010-08-18 00:28:11
名無し整備兵 @seibihei

肥沃な平野が続き、いざというときに逃げ込める山が無い地域では、高い城壁は物見櫓と接近戦の拒否の双方を同時に達成できる手段だったに違いない。弓矢等の投射兵器は、城壁の防御を更に強力にしたろう

2010-08-18 00:31:22
名無し整備兵 @seibihei

当然、そのような城壁は構築に多大の財貨や人力が必要になる。強力な君主ほど難攻不落の城を築き、また君主より強大な城を築く家臣はやがて下克上でのし上がっただろう

2010-08-18 00:35:55
名無し整備兵 @seibihei

一方、孫子に既に攻城器械の名前が出てくる。防御が高度化すれば攻撃手段も向上するのは世の常

2010-08-18 00:37:12
名無し整備兵 @seibihei

もちろん、呉子の冒頭で言われている通り、そのような攻城器械は易々と製造できるものではない。ここにも、強国が弱者を併呑していった要因の一つがある。

2010-08-18 00:39:54
名無し整備兵 @seibihei

ここで防御の目的に戻る。防御とは敵の攻撃を破砕するものだった。では、敵は何故城を攻撃するのか。

2010-08-18 00:43:20
名無し整備兵 @seibihei

上でも述べたとおり、城壁とは都市住民とその富を守るためのものである。城を攻めるとは、それらを力ずくで奪う事である。城塞=都市国家(城邑)だった時代には、それは国家の存続を左右する最終戦争だった。

2010-08-18 00:45:51
名無し整備兵 @seibihei

都市国家から領域国家に変わっていくと、城砦=都市は国家そのものではなく、国家にとって重要な戦略拠点となる。もちろん重要な事に変わりは無いが、死活的重要性を持つ城砦は首都等に限定されていく

2010-08-18 00:48:17
名無し整備兵 @seibihei

ここにおいて、攻城戦は「戦争の最後の決」から、「戦争におけるいくつかの結節の一つ」に変化した。その一つの結節を遂行する行為と、結節の一つ一つを列ねていく行為の違いは、当時の人にも分かっていたろう

2010-08-18 00:54:39
名無し整備兵 @seibihei

その違いについて文章化されたものが兵書としてあったのかどうかは、寡聞にして知らない。あるいは兵家の奥伝とされていたのか。その後中国の兵法は政治倫理と結びつくか、HOW TOものになっていく

2010-08-18 01:00:11
名無し整備兵 @seibihei

ついでに長城について。長城は北方民族に対する防御の為に設けられたものだが、もう一度防御の目的に戻る。

2010-08-18 01:03:16
名無し整備兵 @seibihei

防御とは、攻撃を破砕する手段である。こちらから出て行くことは、限定目標の攻撃を除いてはない。つまり、長城を築いたという事は、「これ以上北には行かない」という意味でもある。

2010-08-18 01:05:07
名無し整備兵 @seibihei

もちろん、実際にこれが守られたということではない。但し、シンボル的な意味はある。

2010-08-18 01:08:37
名無し整備兵 @seibihei

即ち、長城線の北側(外側)での行為と南側(内側)での行為とは、心理的に与えるインパクトが違っていた。これは20世紀になっても変わっていない。

2010-08-18 01:10:44
名無し整備兵 @seibihei

外国勢力の動向のことです。念のため

2010-08-18 01:11:34
名無し整備兵 @seibihei

また、歴代中国王朝も、言われるほど拡張主義ではなく、むしろ内向きな政権だった。ただ、これは平和愛好という意味ではなく、国内政治の都合で外征する/しないという、かえってはた迷惑な(そして大国としては自然な)国でもあった。

2010-08-18 01:16:20
名無し整備兵 @seibihei

この態度が現在も続いているかについては、判断を保留。ここらで東方を離れる。

2010-08-18 01:22:01
名無し整備兵 @seibihei

西に行ったところで、当時の戦争は、技術的にはそんなに大きな差は無かったろう。強いて言えば、地中海の存在くらいか

2010-08-18 01:34:21
名無し整備兵 @seibihei

プラトンはソクラテスの口を借り、アテネから港湾までの城壁は不要、と言わせている。細かく検証したわけではないが、「人は石垣」のような意味だったようだ

2010-08-18 01:37:48
名無し整備兵 @seibihei

また、コミケスタッフで有名なテルモピレーの玉砕戦も、誇張はあるにせよよく知られている。やはりギリシアから始めないといけないだろう

2010-08-18 01:41:58
名無し整備兵 @seibihei

地中海世界の歴史の大きなイベントとして、ペルシア戦争は避けて通れない。オリエントの大国が欧州の小国に攻め入ったというシンボル的な戦争

2010-08-18 01:53:19
名無し整備兵 @seibihei

古代ギリシアとルネサンスの欧州との連続性は、アラビア世界を通して初めて得られるとかその辺は置いておくとして

2010-08-18 01:54:05