左衛門佐殿による戦国武将語り#1 「真田信繁」
- Yukarin_7TP
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真田 信繁(さなだ のぶしげ)は、安土桃山時代から江戸時代初期の武将だ。永禄10年(1567年)とされる生年は没年齢の49歳から計算されたものだ。月日は不明とされている。
2012-12-30 22:20:01武田信玄の家臣であった真田幸隆の孫でもある。大坂夏の陣では寡兵を持って徳川家康の本陣まで攻め込み、徳川家康を追いつめたという。
2012-12-30 22:21:20ここまで読んで、真田幸村のことじゃないか?と思ったそこの君、安心して大丈夫だ。江戸期以降、小説などで、宿敵である徳川家康に果敢に挑む英雄的武将・真田幸村として取り上げられたからな。本名は真田信繁ということになる。
2012-12-30 22:24:10@saemonza_rekijo 少し先走ってしまったようだなwとなるとあの伊達政宗公が英語を話すアニメでは信玄公と幸村がじゃれあっていたがw
2012-12-30 22:27:00夏の陣での死の2ヶ月前に「幸村」と改名したという説もあるのだが、大坂冬の陣と大坂夏の陣の半ばの慶長20年2月に叔父にあてた手紙や兄姉にあてた手紙にも「信繁」と記されている。つまり、歴史的裏付けは無い、ということになるな。
2012-12-30 22:27:25私も額に付けている旗印は真田信繁ものだ。その旗印は、冥銭を表しているといわれている。 冥銭とは、亡くなった人を葬る時、棺に入れる六文の銭の事で、三途の川の渡し賃のことである。これを旗印にすることは「不惜身命」(仏法のために身命をささげて惜しまないこと)を意味するといわれている。
2012-12-30 22:31:26主君は上杉景勝→豊臣秀吉→秀頼 家族構成などは 父母父:真田昌幸 母:宇多頼忠の娘・山手殿(異説有) 兄弟信之、信勝、昌親 ほか 妻正室:大谷吉継の娘・竹林院 側室:豊臣秀次の娘・隆精院、 堀田興重の娘、高梨内記の娘 という感じになっている。
2012-12-30 22:38:08官位は従五位下、左衛門佐だ。このうちの左衛門佐は、私のソウルネームにもなっている。 渾名は『不思議なる弓取り』私も弓道を嗜んでいる。
2012-12-30 22:41:37また、余談だが、私の好きな花である竜胆は真田家ゆかりの地、長野県の県花でもあるぞ。 長くなってしまうのでこれぐらいでやめておくが、少しでも真田信繁(幸村)のことを分かってもらえたなら、幸いだ。
2012-12-30 22:46:47