権門体制の理解について

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ITO Toshikazu @toshiitoh

権門体制論は中世は天皇が権力を持っていたとする理論と曲解されているのか。

2012-12-24 14:47:59
ryo @issengorin

@toshiitoh 失礼しました。今谷さんの批判にやや引きずられ過ぎたかもしれません。ただ、「東国国家論」や「いくつもの王権論」に比べて中央集権的・天皇中心的な印象を与える議論に「見える」というところはあるように思います。そこを変な形で通俗化したのが「平清盛」ではなかったかと。

2012-12-24 14:50:21
G座Y一先生の親友@空想上 @syakekan

知識が不十分なのですが、権門の頂点に天皇が君臨する(不適切だったらすいません)というのが、国家主義的にも見えるのですが。 @toshiitoh @issengorin

2012-12-24 14:51:27
ITO Toshikazu @toshiitoh

君臨はしていません。古代国家の象徴として存在しているだけです。中世の権門の枠組みは律令制を前提としているので。RT @syakekan: 知識が不十分なのですが、権門の頂点に天皇が君臨する(不適切だったらすいません)というのが、国家主義的にも見えるのですが。

2012-12-24 14:56:40
ITO Toshikazu @toshiitoh

中世の権門は中央集権的ですが(武家も)、それと天皇中心ということとは別です。RT @issengorin: @toshiitoh 失礼しました。今谷さんの批判にやや引きずられ過ぎたかもしれません。ただ、「東国国家論」や「いくつもの王権論」に比べて中央集権的・天皇中心的な印象を与え

2012-12-24 15:01:12
ryo @issengorin

@toshiitoh 私自身その点がうまく咀嚼できていないのですが、儀礼的・象徴的ではあっても、天皇を頂点とした律令制の秩序を前提にした体制は、どうしても「天皇中心」に見えてしまいます。権威と権力が全く別の論理で機能するというメカニズムが掴めない、といえばいいでしょうか。

2012-12-24 15:05:37
ITO Toshikazu @toshiitoh

世の中は全く別原理で動き、律令的秩序の意味はかろうじて国家のまとまりを保つ程度です。RT @issengorin: @toshiitoh 私自身その点がうまく咀嚼できていないのですが、儀礼的・象徴的ではあっても、天皇を頂点とした律令制の秩序を前提にした体制は、どうしても「天皇中心

2012-12-24 15:14:30
ITO Toshikazu @toshiitoh

中世では天皇と王家を分ける思考が必要で、中世では王家も一権門に過ぎないが、天皇は超権門的な存在。それも後期には怪しくなるが。

2012-12-24 15:17:41
ryo @issengorin

@toshiitoh なるほど、ということは、当事者たちは「天皇を中心にして国家が動いている」という感覚はほとんどないということでしょうか?また、そうなると王家や治天の権門としての「権力」の源泉はどこに由来すると考えるのでしょうか?荘園など経済的な部分が主になるのでしょうか?

2012-12-24 15:18:18
ITO Toshikazu @toshiitoh

院政期に荘園制を成立させて近臣を主従制的に編成したところに中世的王家の権力の源泉がありますが、すぐ武家が台頭します。それと権門体制で言う超権門的な権威として天皇とを混同するからやこしくなります。RT @issengorin: @toshiitoh なるほど、ということは、当事者た

2012-12-24 15:22:55
ryo @issengorin

@toshiitoh 律令制的な廷臣から主従制的な近臣へ、という流れは理解できます。ただ、それとは別に「超権門的な権威」が成り立ちうる、というのがなかなかイメージできないんですよね。宗教的・観念的な領域における「祭祀王」的な存在ということなのでしょうか?

2012-12-24 15:27:07
ITO Toshikazu @toshiitoh

個人的には超権門的な権威なんて無かったと考えても良いと思います。ただ王家も武家も摂関家も律令制を前提とした同一の文書体系を使い、官位官職による序列付け共有します。RT @issengorin: @toshiitoh 律令制的な廷臣から主従制的な近臣へ、という流れは理解できます。

2012-12-24 15:32:08
ryo @issengorin

@toshiitoh そうなると、天皇に権威があったというより、とってかわるような権威体系が発生せず、前例踏襲的に律令制的秩序を使い続けた、ということになるように思うのですが、そのように考えていいのでしょうか?

2012-12-24 15:35:22
ITO Toshikazu @toshiitoh

@issengorin 権門間で共有する権威体系としてはそう考えて良いと思います。権門体制の眼目はそこじゃなくて「権門」の方なのですが。

2012-12-24 15:38:18
ryo @issengorin

@toshiitoh 「(中央集権的な)権門の分立」に力点があって、王家はその中の1権門にすぎない、ということですね。しかも、国家としてのまとまりもかなりユルく、天皇が現実的なナショナル・シンボルとしても十分機能しない、と。

2012-12-24 15:41:49
ITO Toshikazu @toshiitoh

ご理解の通りと思います。RT @issengorin: @toshiitoh 「(中央集権的な)権門の分立」に力点があって、王家はその中の1権門にすぎない、ということですね。しかも、国家としてのまとまりもかなりユルく、天皇が現実的なナショナル・シンボルとしても十分機能しない

2012-12-24 15:43:41
ryo @issengorin

@toshiitoh ありがとうございました。大河ドラマの関連で「権門体制論」に基づく歴史叙述はいろいろと読んでいたのですが、いかんせん専門外なので理解が不十分でした。丁寧にご教示いただき感謝いたします。

2012-12-24 15:46:31
ITO Toshikazu @toshiitoh

@issengorin どういたしまして。ただ黒田俊雄氏の原論文には天皇と王家の分離ははっきりとは書かれて無くて、その後の古文書学・荘園史研究の進展や私の解釈も入っています。

2012-12-24 15:51:25
ryo @issengorin

@toshiitoh なるほど。黒田氏の議論で曖昧だった部分を今谷氏に曲解されてしまった、という側面もあるわけですね。そして、今回大河でまた「独裁者・白河院(および後白河院)」などという新たな曲解が生まれてしまったわけで。。。

2012-12-24 15:54:10
ITO Toshikazu @toshiitoh

@issengorin そうですねえ。まあ白河・鳥羽の頃は独裁者だったとは思います。摂関家や大寺院対策に苦労したとは言え、武家が権門化するとは想像もしてなかったでしょう。

2012-12-24 16:00:28
ITO Toshikazu @toshiitoh

中世の体制を今に引き写すなら、国家が総務省と防衛省と文科厚労省に分割されていて、各省が出先機関を全国に配置して徴税しているイメージ。内閣府・財務省・外務省は存在せず、宮内庁は総務省の隷下。

2012-12-24 16:20:52
G座Y一先生の親友@空想上 @syakekan

戦前の軍部ってそんな感じもー RT @toshiitoh: 中世の体制を今に引き写すなら、国家が総務省と防衛省と文科厚労省に分割されていて、各省が出先機関を全国に配置して徴税しているイメージ。内閣府・財務省・外務省は存在せず、宮内庁は総務省の隷下。

2012-12-24 16:30:53
お菓子っ子 @sweets_street

@toshiitoh 名目上は日本国政府が存在してることになってるけど、実質的な権限はほとんど無くて、皇室や大臣の家政機関と、防衛省と警視庁を兼ねる役所が各地に配置した治安部隊と、宗教法人がそれぞれ勝手に徴税して税金を自分の懐に入れてる状態状態かなあって思ってます

2012-12-24 16:58:30
中世の古文書 @kojima_sakura

頼朝以後の武家は、公的な権威としては朝廷に依存する形で権力を維持する。律令国家という前提があまりに強大で、中世が「古代の長い崩壊過程」になるのが日本史の特色。よく比較される西欧中世は、古代ローマが完全に崩壊し、教会の権威を借りて新たな中世王権を生みだすので、そこがかなり違う。

2012-12-23 16:38:55