食べることの倫理をめぐって

牛丼屋の話から、ずいぶん話が広がりました。
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舟橋純 @junjacques

県道をドライブ中に、道路沿いに松屋を見つけて父が「牛丼を作るために、何頭牛が殺されてるんだろうなあ」とポツリと呟いた。僕と母は笑った。ありふれた疑問ではある。けれど、哲学的に重要な意味がある疑問である。

2013-01-06 21:41:34
舟橋純 @junjacques

アブラハムは、神へと応答するために、息子に刃を向ける。そこで神が、彼をを止めて、代わりに羊を差し出す。試練を乗り越えたというわけだ。けれども、代わりに差し出された羊にしてみればたまったものではないだろう。人間の代わりに動物を犠牲にしてもよいのか、という疑問。

2013-01-06 21:46:12
舟橋純 @junjacques

美味しい牛丼を作る、その対価に人がお金を払うというエコノミーは、牛が何頭も殺されることで維持されている。このような「有用性のエコノミー」の前提には、根強い人間中心主義がある。普段の生活では、それを皆知らんぷりするわけだけど。

2013-01-06 21:52:28
舟橋純 @junjacques

そういえば、母は僕が魚の身をきれいに食べると、「それだけきれいに食べれば、魚も嬉しいだろうね」と言う。しかし、魚は自分の身体を焼かれて食べてもらいたかったはずがないのだから、これは欺瞞だろう。料理を作ってもらった手前、そういう反論を、僕は直接言えないが……。

2013-01-06 21:58:45
舟橋純 @junjacques

『海辺のカフカ』にも、「有用性のエコノミー」に絡むシーンがある。ジョニー・ウォーカーが猫をたくさん捕まえて殺すシーンだ。猫の魂を集めて、大きな「笛」を作る。それは大きなシステムを成す笛である。「善や悪をこえる」システムを導入するという有用性のために、殺戮が行われる。

2013-01-06 22:14:30
舟橋純 @junjacques

ドイツの第三帝国を維持するためにユダヤ人が殺戮されたように、ジョニー・ウォーカーが笛を作るために猫を殺すように、僕たちも、牛丼を作るために牛を殺す。問われているのは、そもそも「人間」とは何なのか、「有用性」とは何なのかということである。それを改めて問い直す必要がある。

2013-01-06 22:24:46
上下左右 @jogesayuu

@junjacques 肉食の動物は人間以外にもいるので、それ自体でお説教しても仕方がありませんが、でも人間の食はやっぱり特殊ですよね。しかるべき責任が問われるべきでしょうね。

2013-01-06 22:36:16
舟橋純 @junjacques

@jogesayuu そうそう、肉を食べてはいけないって話ではないんです。おっしゃる通り、エコノミーを維持するためにとるべき責任ってあるよねっていう話でした。

2013-01-06 22:40:07
上下左右 @jogesayuu

@junjacques 地域(国)とか時代によって食べるもの食べないものとかありますよね。農耕民族か遊牧民族かとかでも食べるものが変わるというのを聞いたことがあります。そうするとそうしたエコノミーを探るのに、食物の考古学なんてのがあっても面白いかもですね。

2013-01-06 22:45:14
舟橋純 @junjacques

@jogesayuu それは面白いかもしれないですね。ある文化や民族で食べていいとされている動植物は、なぜいいとされるのか、あるいは逆に食べてはいけない動植物は……。そのエコノミーのための分割線の引きかたから、考え方を探っていく、と。

2013-01-06 22:52:39
上下左右 @jogesayuu

そういえばスピノザの倫理をドゥルーズは生態学=エトロジーといっていたな。どういうものを食べるかということから生態的な倫理というのが考えられるのかな?

2013-01-06 22:54:36
舟橋純 @junjacques

@jogesayuu スピノザの〈生態の倫理〉を絡めると難しい話になりますねぇ。というのも、そこでは「食べてもよい/悪い」という超越的な善悪による判断ではなくて、「力能が高くなるか/低くなるか」で相対的な「よい/わるい」が決まるからです。

2013-01-06 23:07:40
舟橋純 @junjacques

@jogesayuu 何かを食べてもいい/わるいというのは、やはり何か文化的な決まりごとや規則(コード)に則って決められるわけですよね。何かを僕たちが食べる前に存在する(すなわち、超越的な)決まりごとによって。例えばイスラム教では豚肉を食べるのが絶対的なタブーです。

2013-01-06 23:17:33
舟橋純 @junjacques

@jogesayuu なので、食べてよい/わるいの分割線(それに伴う責任)の話にはならなくなる。〈生態の倫理〉からいくと、「有用性のエコノミー」ではなくて、互いに食べるか食べられるかの「戦争状態」の話に繋がっていくのではないでしょうか。

2013-01-06 23:25:51
舟橋純 @junjacques

@jogesayuu 以上、長文リプライ失礼しました。スピノザの観点を絡めるのと、〈食物の考古学〉というのは本当にいいアイディアだと思います。

2013-01-06 23:27:24
上下左右 @jogesayuu

@junjacques ひとまず牛丼屋のことを忘れてものを言いますと、例えば遊牧民にとって馬は日常に近い動物なので食べない。逆に農耕民族だとそうではないので、馬を食べることもある。そうすると、そうした人々の生活環境と動物の間で食べる食べないの関係がつくられている。

2013-01-06 23:32:20
舟橋純 @junjacques

いや、でも待てよ……?「食べてもよい/わるい」の分割線というのは、常にこの「食べるか食べられるか」の〈戦争状態〉の上に(あるいはそれを経て)、成り立っているとも考えられるな……。

2013-01-06 23:33:50
上下左右 @jogesayuu

@junjacques この情報自体が授業で聞いたののうろ覚えなので申し訳ないのですが。で、そうだとすると、食における倫理や責任は、それぞれの文化における動物たちとの関係の記述によって決定される。鯨と食べる/食べられる関係をもつ人々は、その関係にしたがって責任をとる。

2013-01-06 23:37:05
上下左右 @jogesayuu

@junjacques すみません、突発的な思いつきだったので頭がこんがらがってますね…。人々が動物たちとどういう関係に入っているのかという具体的なところから倫理を考えるといいますか。それを考古学で掘り起こしてから倫理を打ち立てると、ちょっと『実践の哲学』の話っぽいかなと。

2013-01-06 23:41:28
上下左右 @jogesayuu

@junjacques 牛丼屋の話は現在の市場の在り方も関わってくるのでさらに混乱しそうですw僕もグルメ番組も多い昨今、「食」については愛憎入り混じるものがあるので、じゅんぺいさんの意見に喜んで食いついてしまいましたw

2013-01-06 23:44:00
舟橋純 @junjacques

最後に、今回のネタ元をツイートしておきます。

2013-01-07 02:01:14
舟橋純 @junjacques

犯罪でない殺害を、有用性のエコノミーを破るための殺害を、有用性のエコノミーを維持するために必要な殺害を行うすべての者に向かって、雄羊たちは走り出すだろう。(郷原佳以「アブラハムから雄羊へ」)【再投稿】

2013-01-07 02:01:27