「一度限りの死」(ゼーガペインネタバレ)
誰もが思い思いの美に殉じて死ねたら、どれほど幸せなことだろう。義務や、仕事や、権利のために死ぬなんて、ばかばかしいとは思わないか。
2010-04-26 21:30:35今、『ゼーガペイン』をキャラクターたちに届けよう。一度きりの甘美な果実を、キャラクターに与えよう。失う準備はできている。キャラクターに死を。人間に尊厳を。
2010-04-26 21:53:07『ゼーガペイン』第3話を見た。キョウのメンタルと以前のキョウのメンタルとは断絶した別個のものだが、身体は“データ的”に同一性が保たれている。どれだけ「キョウ」が失われても身体が残り続ける限り新たな「キョウ」があらわれる。何度でも「キョウ」は死ぬ。
2010-04-26 22:34:49身体だけが残りどんな「キョウ」もあらわれなくなる日まで「キョウ」は死に続ける。この世界でキャラクターに未来はない。いや、想起しえない経験=未来などは、じっさい人間には無いのだけど、想起できる過去が虚構だったことを知れば、漠然と「未来」を描くことさえもできない。
2010-04-26 22:41:25キョウの外形はどの「キョウ」の意思があっても変わらないが、「キョウ」は何度でも死ぬ。身体だけが否応なく残る。これこそが「キャラクターは死ねない」ということで、そこを露骨にキョウと「キョウ」が引受させられている。
2010-04-26 22:54:53あーと、「キョウ」はオケアノスのクルー全員の代表としてとかそういう感じで。「キョウ」とていつかは帰ってこなくなる、というのは一歩『ゼーガペイン』が踏み込んだところで、キャラクターが帰ってこなくなるのは「カミナギ」にあったようにキャラクターが個を喪失したとき。
2010-04-26 23:01:50外見と内面はキャラクターとして絶対になくてはならないが、内面は交換可能。それがキャラクター。「キャラクターの死」とは交換可能性の死、外見=身体の喪失。しかし外見のないキャラクターはキャラクターではない。だから『ゼーガペイン』でもそれは描けない。
2010-04-26 23:05:25一度限りの死だけが私たち人間に与えられている。死の瞬間、「私」を演じる私の基盤になっていた身体が失われる。『ゼーガペイン』の物語は一度限りの死に向けて走る。死を肯定する。
2010-04-26 23:11:08カミナギやキョウ、イェル・シズノの死を語れるのは、僕がかれらにたいして神の立場にいるからだ。この作品に向き合うことが、すなわち僕と死の関係について光を当てることにつながるのかもしれない。
2010-04-26 23:37:17「キャラクターの死」の描けなさに直面しながらもがき苦しんだ『ゼーガペイン』を、「ゼロ年代」「SFアニメ」の金字塔と呼ばずして、なんだというんだ?この作品が残したものはあまりに大きい。
2010-04-26 23:50:08