仮想と現実とゼーガペイン

2006年の放映以来、ひとりでゼーガペインが好きだったのですが、最近、twitter でゼーガペイン好きのコミュニティに出会いました^^。そこで、自分が考えて来たゼーガペインのテーマについての考察をまとめました。最初の4つの書き込みは一般論ですが、それを下敷きにゼーガペインの世界を考察して行きます。まだ、ゼーガペインを見ていない方は本当に素晴らしい作品ですので、是非、全体像が見え始める6話までをまずご覧になられることをお薦めします。^^ バンダイチャンネルで第一話を無料で見れます。
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三宅陽一郎MiyakeYouichiro @miyayou

仮想と現実の区別ついて。仮想は、それを作り出した者の深さしか持っていないという点で絶望的である。一方で現実は、世界が許す最大限の深さと可能性を持っている。それがどんなに僅かなものであっても、その人が直面する現実がそれ以上ない世界の根底であるという点において満足をもたらす。

2010-01-01 02:42:58
三宅陽一郎MiyakeYouichiro @miyayou

デジタル空間における仮想空間がその枠を設計者によって決められている点、そして、それを制御する力を外部から持つというはっきりとした特徴は、現実世界にはない。しかし、もし、あらゆる世界の原理と物理法則が解き明かされ、かつその完璧な工学的応用が完成されたと想像してみよう。

2010-01-01 02:45:37
三宅陽一郎MiyakeYouichiro @miyayou

その時点で、仮想空間と現実空間の特徴的な区別はなくなる。デジタル空間を仮想空間と呼ぶことも、現実空間を仮想と呼ぶことも同じ意味になるだろう。つまり、仮想と現実の区別というものは、現実がある超越性を維持しているという点に多く拠っているのである。

2010-01-01 02:49:48
三宅陽一郎MiyakeYouichiro @miyayou

そして、この超越性が人が希望と呼び可能性と呼ぶものに直結している。

2010-01-01 02:49:54
三宅陽一郎MiyakeYouichiro @miyayou

つまり、ゼーガペインにおいて量子コンピュータの世界に閉じ込められる事象と、肉体を取り戻して実体化する事象との対比において、それぞれのキャラクターが持つ希望と絶望の原理が根ざすところは何だろうか?

2010-01-01 02:53:36
三宅陽一郎MiyakeYouichiro @miyayou

この問題はゼーガペインの中では解決されない。なぜならば、作品内のセリフにあるように、どちらがよいかという問い答えがなく、作品を前に進めるために、一方の選択肢の可能性を失わせるという手法を取っているからである。

2010-01-01 02:55:48
三宅陽一郎MiyakeYouichiro @miyayou

現実の中に安全な箱庭を造ることは、人類の歴史そのものである。集落を作り、街を作り、都市を築き、仮想デジタル空間を作り、量子コンピュータ世界を作る。そして、あらゆる段階で、その中に留まろうとする者と、その外に出ようとする者の対立があったのだ。

2010-01-01 02:59:53
三宅陽一郎MiyakeYouichiro @miyayou

ゼーガペインにおいて身体を取り戻そうとする者の絶望とは、あらゆる世界が仮想であるという点に加えて、自分たちの世界が脆弱で仮想空間の自分たちで守れないという身体性の欠如であって、その意味でセレブラントとは、実際に身体を取り戻す事に先立って、身体=ゼーガペイン、を取り戻した者である。

2010-01-01 03:05:05
三宅陽一郎MiyakeYouichiro @miyayou

一方で仮想空間に生き続けようとするものの希望とは、最終的な逃避の空間として量子仮想空間を受け入れるものである。そこでは、一定の恒常性が維持される。その世界は超越性を失った世界であり、存在は記号列で、行動は演算の序列に還元される。

2010-01-01 03:09:28
三宅陽一郎MiyakeYouichiro @miyayou

量子の事象平面は、現実が還元され得ないぎりぎりの平面である。そこではもはやはっきりとした量によって単一の事象を表現できない。統計的な一事象として解釈される。

2010-01-01 03:12:41
三宅陽一郎MiyakeYouichiro @miyayou

肉体の再生を選ぶものの根底にある仮想世界に捉われる絶望は、超越性の喪失に起因しており、仮想空間を選ぶ者は、超越性について無価値か諦観を持つものである。つまり、仮想空間を選ぶものは、ガルズオルムに対して自らの存在の根底のあるんものを受け渡すことでもある。

2010-01-01 03:18:03
三宅陽一郎MiyakeYouichiro @miyayou

そして、最後に残る問題は、肉体を取り戻そうとするものの、積極的な希望である。仮想世界がガルズオルムのエミュレーションであることへの絶望があるにしても、肉体を取り戻すことに対する積極的な希望は何だろう?

2010-01-01 03:27:35
三宅陽一郎MiyakeYouichiro @miyayou

物語の中で「こんな偽者ではなく、いつか本物の…」とレトリックは強力である。しかし、その中には現実世界に対する信頼、本来そうあるべきものへの自然な世界への回帰の欲望が含まれている。それは人間にとって本来的な欲求である。それこそが、読者をこの物語に乗せる根本的な装置である。

2010-01-01 03:31:44
三宅陽一郎MiyakeYouichiro @miyayou

つまり、ゼーガペインの最も根本にある対立とは、人間の安全な世界へ逃げ込もうとする欲求と、本来的な世界へ属していたいという欲求の対立がある。

2010-01-01 03:37:06
三宅陽一郎MiyakeYouichiro @miyayou

ところが、ゼーガペインの仮想世界の面白さは、それが完全な世界ではなく、いくつものほころびを持っている点である。サーバーは機械でありいずれ劣化し、データの爆発はリセットをもたらし、転送は情報の欠損を生み出す。そこで示されるのは、量子サーバーが決して楽園などではないということである。

2010-01-01 03:41:21
三宅陽一郎MiyakeYouichiro @miyayou

キャラクターたちは総じて(人間にとって)不完全な二つの世界のどちらかを選ぶという岐路に立たされる。ゼーガペインの終盤はこの二つの世界の価値と可能性をシーソーのように揺らがせながら、キャラクターと読者に選択を迫るのだ。これがゼーガペインが与える最高にエキサイティングな体験である。

2010-01-01 03:50:04
三宅陽一郎MiyakeYouichiro @miyayou

ゼーガペインが現実を選ぶ理由を求めて考察して来た。この問題に結論を出す前に、エヴァンゲリオンと対比して見る。碇シンジは存在の境界が全て消失したLCLの海の中で、現実へ戻ることを選択する「もう一度みんなに会いたいから」。TV版最終話はこれを概念的に辿ったものである。

2010-01-01 04:01:27
三宅陽一郎MiyakeYouichiro @miyayou

他者に形を与えるのはある程度自分であり、ある程度、世界=他者である。相対的には自分もまた他者から見れば同様である、ということを意味する。エヴァンゲリオンの特徴と魅力はこの個人の内面的葛藤を全世界的展開へ広げた点にある。一方、ゼーガペインではそれが人類的、社会的な次元で展開する

2010-01-01 04:07:10
三宅陽一郎MiyakeYouichiro @miyayou

碇シンジの独白は、ゼーガペインではキャラクター同志の意見の衝突という形で表現される。シマ、キョウ、クロシオ。物語の設定はその葛藤に広がりと深みを与える。そして、どの意見が客観的に正解ということはない。だからこそ敢えてキョウの選択を選ぶところに、ゼーガペインのメッセージ性がある。

2010-01-01 04:19:21
三宅陽一郎MiyakeYouichiro @miyayou

キョウが目指す世界とは思いを積み重ね、痛みの記憶を持ち続け、前へ進むことが出来る世界である。我々が現実と呼ぶものの中に自然に含めているこの性質を肯定することがこの作品の個性である。 同時にその性質を失った世界の奇異さを描く。それがリョーコに仮想世界で感情の喪失させている理由である

2010-01-01 04:35:53
三宅陽一郎MiyakeYouichiro @miyayou

キョウが目指す世界は同時に一瞬先が破滅かもしれない世界である。同時にそれゆえに拓かれた可能性を持つ世界である。それが希望だ。その希望は身体の復活と深く結びついている。

2010-01-01 04:39:22
三宅陽一郎MiyakeYouichiro @miyayou

情報社会の中で情報フローの中に身体を忘れて没入しようとする現代人の姿は、仮想世界で生き続ける存在に似ている。自らを幻体とし、マシンを通して現実を生きているつもりの存在。そこでは何が積み重なっているのか?自分は前へ進んでいるのか?

2010-01-01 04:43:54
三宅陽一郎MiyakeYouichiro @miyayou

ゼーガペインは単に現実を肯定する物語ではない。仮想世界とのぎりぎりの干渉(=行き来可能)と対比を通して、現実を変容させる。現実にける情報的側面を浮かび上がらせ、同時に決して情報に還元されない実存を直視させる。

2010-01-01 05:01:14
三宅陽一郎MiyakeYouichiro @miyayou

情報から取り残された実存には希望がある。そして絶望もある。ただそれは決してループする情報処理に取り込まれることない実際の世界の運動と深く連動したものである。世界の超越性と繋がり生を前へ前へと進める原初的な力と結合し発展して行く生き方、それは計算シミュレーションを超えた現象である

2010-01-01 06:24:25
三宅陽一郎MiyakeYouichiro @miyayou

情報になるという事は還元され操作され書き換えられるものになるということである。同時に半永久で不老不死の存在となることである。身体を取り戻すことは、森羅万象の実体に繋がりとなることである。同時に「束の間の存在」になることである。それに対してキョウは迷うことなく空しくない、と宣言する

2010-01-01 06:44:52