推理小説の操りについて

推理小説の操りについてまとめました。
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巽昌章 @kumonoaruji

見立てと操りは、新本格以降の推理小説にとって特権的な意匠だった。しかし、むろんそれより前から見立てや操りを扱った推理小説はいくらもあった。また、操りに関していえば、日本の推理小説史上、いくつかのピークがあるようにも思われる。

2013-01-10 11:43:16
巽昌章 @kumonoaruji

操りの第一のピークは昭和のはじめであり、『黒死館殺人事件』『ドグラ・マグラ』によって代表される。小酒井不木『闘争』(昭和4)、乱歩『陰獣』なども含めてよいだろう。木々高太郎も、精神医学者として、操り的発想の投影された作品を残している。

2013-01-10 11:47:23
巽昌章 @kumonoaruji

この第一期の特徴は、心理学的、あるいは生理学的な決定論の色彩が濃いという点である。「犯人は××という心理学の法則によって犠牲者を操ったのだよ」という形の説明が繰り返される。いいかえれば、学問的な知見を介して、心理、生理といった推理小説外の実体に依拠しようとしている。

2013-01-10 11:51:02
巽昌章 @kumonoaruji

第二のピークは、終戦直後である。山田風太郎(『誰にもできる殺人』など)、高木彬光(『能面殺人事件』『呪縛の家』など)によって代表される。むろん、『獄門島』、『高木家の惨劇』もこの時期を代表する作品であり、『不連続殺人事件』などにも操りの影は認められる。

2013-01-10 11:55:13
巽昌章 @kumonoaruji

第二期の特徴は、心理、生理的実体を離れ、もっぱら推理小説的論理の極端化としての操りが追及された点である。超人的犯人と名探偵の対峙するゲーム盤的世界を想定し、世界の隅々まで論理を及ぼす手段として操りが用いられる。あるいは、推理に対する懐疑、探偵の破滅を演出する手段として用いられる。

2013-01-10 12:00:57
巽昌章 @kumonoaruji

新本格以後の操りは、この第二期の遺産を引き継いだといってもよいだろう。

2013-01-10 12:01:35
巽昌章 @kumonoaruji

第一期といえども、単なる心理学的知識の持ち込みにすぎないのではなく、内在的な要因、つまり、推理小説の構築をすすめるうちに操りに行きついたという面を考えることはできる。また、ヴァン・ダインやクイーンなど、海外作品の影響も考慮しなければならない。操りからみた推理小説史が必要なのかも。

2013-01-10 12:18:54
巽昌章 @kumonoaruji

つまり、私は、意匠としての操り自体が大事だと言っているのではなく、推理小説において、「論理的に謎を解く」という建前が極端化し、作中世界を特異な形に歪めてゆくひとつの兆候としての「操り」に注目しているのだ。

2013-01-10 12:21:05
巽昌章 @kumonoaruji

さらに付け加えると、社会に流布した閉塞感、不安感といったものと操りとの対応も無視できない。前にも触れたが、私は、操りと後期クイーン的(あるいは推理小説におけるゲーデル的)問題の両方を含んだ、大きな気分のようなものが推理小説を包んでいると考える。

2013-01-10 13:22:38
巽昌章 @kumonoaruji

だから、操りと後期クイーン的問題のどちらが本質的か、といった問いには意味がないと思う。「後期クイーン、あるいはゲーデル的問題は論理の基礎にかかわるからそちらの方が本質的だ」というのは錯覚にすぎない。推理小説の論理とゲーデルとのかかわりは、あくまで比喩的なものにとどまるからだ。

2013-01-10 13:25:51
巽昌章 @kumonoaruji

また、後期クイーン的問題が注目されたのも、それが「推理」の本質を突いているからというより、この問題に人々の注意を向けさせるような、より大きな気分(あるいは推理小説をめぐる空間の力学)があったからだ、と考えることもできるからだ。

2013-01-10 13:27:46