→大仰に言えば、鑑賞中、脳裏には生政治だの生権力だのといった問題が浮かんでいた。それはさておき実に感動的な舞台だった。手塚夏子振付『私的解剖実験ー6』
2013-01-14 17:25:31神がかっているというのは今回の手塚夏子のようなものを指すのだろう。いつもこうなのかしらん。とにかく初めて観ることができてよかった。『私的解剖実験ー6 虚像からの旅立ち』
2013-01-14 17:34:47横浜。STスポット。「私的解剖実験-6」。超社会的パフォーマンス。祭礼の枠組みを使い「個」をほじくる。横の連帯やエロス的なものが希薄で、説明不可能性にあふれた「個」。そこにある微細な規範を維持したままで、狂騒、狂乱、混沌の「全体」へと移り変わる瞬間を見せる。
2013-01-14 17:39:59手塚夏子『私的解剖実験6 虚像からの旅立ち』 @ STスポット観てきた。その内容に全神経が過剰反応してしまい、現在大変憔悴している。
2013-01-14 17:46:06むむむ、雪すごい。しかしずっと気になってた手塚夏子さんの公演を見に横浜に向かう。足びじゃびじゃ。東北はもっとすごいのだろう、明日は新幹線かな。
2013-01-14 18:02:20手塚夏子さん、「私的解剖実験6」、大変疲れる公演だった。でも最終的には、それは悪い疲れではなかった。興奮する場面がいくつもあったし、上演中にいろいろ考える公演だった。また、捻子ぴじんさんが素晴らしいダンサーなのだとわかった。
2013-01-14 18:17:40手塚夏子『私的解剖実験6』、『Living』のきっかけとしての音を自意識の絡む発語によってやろうとしていたのだとしたらすごいことだとおもった。なんだかすごく遠くにいけそうだとおもったけど、あくまでいけそうなのだとおもった。
2013-01-14 18:26:49手塚夏子『私的解剖実験-6 〜虚像からの旅立ち〜』STスポット。都市の住民が自分の言葉で神を降ろすべく祭礼を催そうとするとこうなるのか。大澤さんの次回出演予定はいつでしょうか。癖になりそうなキャラクターでした。
2013-01-14 19:25:08捩子ぴじんさんに「お下がりください」キックをかました女傑、自分も体を動かしたくなってウズウズしている某役者、が印象に残った客席。
2013-01-14 19:25:44そういえば、手塚夏子さんの公演、雪で結局行けませんでした。ごめんなさい。僕は手塚さんの作品を、恐れ多くも、すごい僕と近い感覚の人なんじゃないかと勝手に思っています。他人事ではないと思わせる人は、なかなか多くないのですが、やっぱり、それは重要なのです。
2013-01-14 20:21:07生きていくのに必要なものって、そう簡単には手に入らないと思う。だけど、今日の手塚夏子さんの「私的解剖実験」の公演の場には、私にとってのそれがあった。それが、何なんだかは、ことばに変えにくいのだけど。
2013-01-14 21:29:04私的解剖実験-6『虚像からの旅立ち』振付:手塚夏子、鑑賞。見方が分からず混乱したが、終わってみれば、まさにタイトルどおりの内容だった。出演の大澤寅雄さんがいい味出してた。役者ぽかった。作品を通して、「ええじゃないか」成立を描いたのかなと思った。雪道を駆けて靴はしっとり濡れている。
2013-01-14 21:36:51STスポットにて手塚夏子(ダンサー)の「私的解剖実験-2 虚像からの旅立ち」、見てきました。 なんというか。表現に至るスイッチを目の当たりにした。圧迫面接のあと発狂する、みたいな感じ。見てるこっちまで受け止めきれなくて別の部分から噴火しそうになる。途中、ほんとしんどかった。
2013-01-14 21:37:59かつてないカタルシスで未だ自分がどういう出来事に遭遇したのか整理ついてません。>手塚夏子『私的解剖実験 - 6 虚像からの旅立ち』
2013-01-14 22:14:43神を降ろす、「ええじゃないか」を成立させる、表現に至る――要するに手塚夏子はエネルギーの起源あるいは根拠に拘っているわけだけど、でも最初のあのウーンと圧を高めてく部分は普通に振付(または指示)だよなーと思った。エネルギー資本の本源的蓄積、とでもいうか。
2013-01-14 22:24:05手塚夏子さん『私的解剖実験―6』、パフォーマーと観客の集中力をあまりに近くに浴びてどっと疲れた。隣の観客と足が触れていて、イライラしたりリラックスしたり、体が反応しているのを感じた。そのビリビリな空間の中で、子供君が入っていくようないかないような微妙な距離を取っていたのも、
2013-01-14 22:35:16その子供君と接触してから、若い女性のパフォーマーがリズムが狂った様子で泣きながら集中する作業を繰り返していたのも、体が勝手に感じ取った。自分の体が周りの人の体に反応して勝手にこわばったりリラックスするという、その距離感を初めて味わったような気がする(手塚夏子『私的解剖実験―6』)
2013-01-14 22:39:33実験というかある種の訓練のようにも思える。何かを麻痺させるのではなく、何かを覚醒させ解放するような。咳が出たり震えたりしていたパフォーマーに、シンクロしない程度の距離を取れるとしたら、それは鑑賞者としての訓練を受けた(した)人だろうと思った(手塚夏子『私的解剖実験―6』)
2013-01-14 22:47:36手塚さんの作品は、その麻痺した体を解放しろという声が聞こえるくらい近距離に迫ってきた。解放のための訓練をした人の体を持って。おそらく身体表現の作品を見慣れた観客ばかりだったSTスポットで、反対のベクトルに訓練した身体達の攻防を体感したのだと思った。
2013-01-14 23:08:05