14の夕べ 8/30 手塚夏子 「ただの「実験」がメディアになるのか?の実験」
え?そうだったの? “@jpai2: @kenjirookazaki @sakuraikeisuke 2人とも別のパフォーマンスのことを語っているはずなのに(手塚夏子と高嶋晋一)何故かお互い同じモノをみたかのように収束してしまっているのはおかしくないですか?
2012-09-01 23:09:49@kenjirookazaki @sakuraikeisuke 2人とも別のパフォーマンスのことを語っているはずなのに(手塚夏子と高嶋晋一)何故かお互い同じモノをみたかのように収束してしまっているのはおかしくないですか?
2012-09-01 23:00:39.@sakuraikeisuke その通りです。「作品」ではないんです。そこら辺は意識して分けてツイットしたつもりです。それしても、この議論に乗り遅れてしまって残念ですが、岡崎さんと桜井さんの議論は大変興味深く見させて頂きました!
2012-09-01 19:57:23@kenjirookazaki @sakuraikeisuke 横から失礼します。岡崎さんのおっしゃっていること、具体的なことはわからないのですが、『そうだ!その通り!」って思います。既成の箱の中で自ら(無意識に)規制をかけているような表現にげんなりすること多々。
2012-09-01 13:46:59僕の見たところでは、作家は観客を是非とも前提、必要として(観客の意識への介入、揺さぶりとかではなく、普通のダンス上演の場合と同じ「応答」を求めて)あれを行ったと思います。@kenjirookazaki
2012-09-01 13:40:26@sakuraikeisuke 閉鎖された部屋で、なかば監禁された(出てもいいのだが)客の反応にこびようと(客を集中させようと)モチフダの芸をこれでもかと押し付けてくるのもあって嫌だったな。というのもあった。集中したくもないのに集中させようという仕組みはかえって客の反感を買う
2012-09-01 13:37:46客がいようといまいと実験をおこない、わざわざ客席らしい客席をつくる必要もなかったのでは。また出演者はこの実験の場=自律的なルール(法)によって統御された場、をいかに設定、確保するかまで責任をもってやるべき@sakuraikeisuke
2012-09-01 13:27:32.@kenjirookazaki でも、そうした実験のチェック機能として観客を必要とするのなら、逆にギャラを払って観客を募集しないといけないのでは?
2012-09-01 13:26:35@sakuraikeisuke 今回の問題はフレーミングにあると思います。つまり部屋に客を幽閉し、いわば不退転の覚悟で作品を見ろと強制してしまっているとこ。にもかかわらず例えば本日の公演はこれで終わり、という挨拶、指示を作家自らにさせ、この空間時間枠の画定(責任)が曖昧にされてる
2012-09-01 13:25:03はい。@kenjirookazakiその実験が正当か否かは、その実験プロセス(行為、結果、判断までの過程の回路)が、その実験あるいは技術外の思惑評価などの曖昧な要素の介入影響なしに(いかなる利害関係からも離れ)自律的基準を保持し厳密に遂行されているかによって問われるものでしょう?
2012-09-01 13:22:11@kenjirookazaki @sakuraikeisuke だとすればあえて客席を作り、あえて美術館でやる必要はないと思います。自分のアトリエ(職人の工房)でひっそりとやればいいし、それを見たい人はアトリエにいけばいいだけです。
2012-09-01 13:16:24@sakuraikeisuke その実験が正当か否かは、その実験プロセス(行為、結果、判断までの過程の回路)が、その実験あるいは技術外の思惑評価などの曖昧な要素の介入、影響なしに(いかなる利害関係からも離れ)、自律的基準を保持し厳密に遂行されているかによって問われるものでしょう?
2012-09-01 13:15:15僕の考えは先に述べた通り、お客は「金返せ!」が言えないので、タダだからってナメんなよ!って逆ギレ状態になるw @kenjirookazaki 前提として入場料などもらえば、客が集中できるように演出しろとか文句もでるが、
2012-09-01 13:09:15@sakuraikeisuke 前提として入場料などもらえば、客が集中できるように演出しろとか文句もでるが、金をもらわなければ作家=職人が自分で自分を律し仕事に集中できているかどうか、芸の自律的質(規律)を示せるかどうかが基準にもなる。
2012-09-01 13:03:05@kenjirookazaki あと、実演芸術は公開、観客を前提、というか必要としていますよね?応答をしてもらう存在えを。
2012-09-01 13:01:55@sakuraikeisuke 金をとらないほうがいいと思う。仕事に熱中する職人の仕事ぶりを通行人が思わず見とれてても職人が本当の職人なら視線に関わらず、もちろん見られてなかろうが仕事に集中し全うするはず。金を貰えば視線に応える義務も生じ応えるため仕事の質を妥協責任転嫁させたりも
2012-09-01 12:52:01.@aRanmeno いや、あれは「作品」「パフォーマンス=上演」じゃないよ。「公開実験」としかいいようがない。そういうものに対して、たくみな/たくまざるとか、(一見)テキトー(にみえて実は)周到、とか、あたかも「作品」であるのような評言を行なうのは、あまりよろしくないと思う。
2012-09-01 11:33:38なるほど。劇作家の三野新さん@aRanmenoが手塚夏子さんの実験をどういう興味でみているのか帰り際に聞きそびれてしまったので、満足です。「こんなに失敗する空間を感じたことがなかった」ですか…!面白い!
2012-09-01 07:04:06(手塚夏子4)手塚さんのエクストリームが視えました。伝統芸能、3.11以後の怒り、ダンスという到底こじつけ無理な行為を失敗してしまうその空間の共有体験について。それ気付けば、別にいつ帰ってもいいんですよね。こんなに失敗する空間を感じたことがなかった。だからこそ本当に素晴らしい。。
2012-09-01 06:00:11(手塚夏子3)「舞台」の完成度で言うと、僕は怒り狂うくらい酷いわけなのですが(田んぼの写真の扱い方雑過ぎ、とか)、この「実験」では、そもそもそんなことは無効で、失敗するかもしれない、が濃厚になった時にクライマックスを迎える空間でした。だからこそ、その瞬間(続く)
2012-09-01 05:55:31