14の夕べ 8/30 手塚夏子 「ただの「実験」がメディアになるのか?の実験」
(手塚夏子2)でした。手塚さんが最初にプレゼンで「どう言えばいいのかなぁ」とか言ってる時からウキウキしていたのですが、お子さんの国を作る話ではもう大興奮なわけです。これ、別に「舞台」のクオリティの話云々ではなくて、「実験」について、の話です。(続く)
2012-09-01 05:50:25さて、問題の(手塚夏子1)ですが、大変評判が悪いのです。個人的には、小田原のどかさん@tabekko_animalの話に納得しているのですが、僕はこの実験が大変刺激的だったのです!(小田原さんにはどこが?と言われましたが今答えます)これ悪魔のしるし『桜の園』の時に似た戦慄(続く)
2012-09-01 05:45:43パフォーマンス公演の入場無料の件。まず、業界問題としては価格破壊なわけで、本来なら公取法違反だよ。それとは別に、アーティストは、有料公演よりも上演のクオリティに対するハードルが上がるって考えるべき。お客は「金返せ!」が言えないので、タダだからってナメんなよ!って逆ギレ状態になるw
2012-09-01 02:03:54(承)その問いは身体表現者としてはもっともだが、311とは祈るしかない「天災」なのか、出来ること・やらなくてはいけないことは色々あるのではないか。あと、デモする身体を「怒り」として「祈り」の対で提示(仮定)したけど、「怒り」は動機であり、デモは除染や瓦礫除去と同じ具体的実践だよ。
2012-09-01 00:06:57昨日の近美の手塚夏子の「実験」。検索するとみんな怒ってるね健全だ。「入場無料」が逆にマズかったと思う。それはそれとして、「民族芸能=祈りの身振り」=「あまりに圧倒的災難に対する身体的反応(表現)」という仮説から、311を持ってしまった今日の身体(表現)にそれが可能か?と問う(続)
2012-08-31 23:54:14昨日の手塚夏子@近代美術館、濃かった。あまり共感できない上に、釈然ともしないのだけど、ここまでされるとなあ…という感じではある
2012-08-31 13:04:40昨日の手塚夏子さんの実験は、いろいろうまくいっていないように見えたけれど、うまくいくかどうかはどうでもいいのかもしれない。スリリングな空間だった。手塚夏子さんは容赦ない人だと思った。
2012-08-31 12:32:17その「付き合い」を、観客という立場でやるのは難しいのか。手塚さんは2人の実験の観客でありながら、昨日のパフォーマンスの責任者でもあった。私が予備校で講評する時は観客目線だけど、彼らの受験に対してある程度責任を負ってる。信頼関係はリスクを負うことによるか。
2012-08-31 11:01:46昨日の実験も、三時間あって、前半の彼らのワークショップは謎&退屈で暴力的でしかなかったけど、だんだんと赤裸々になり、面白いと思える瞬間が増えてった。それは手塚さんの上手さなんだろう。 そこから危険なフェーズに行かないこと。
2012-08-31 10:48:49→それは、その「国づくり」に参加しなくても観客自身の生活、生命に直接関係ないからだが、各地に伝わるまつりや芸能も、それ自体何かの生産物を生み出すものではない。でもそこに地域の人々を「参加しなければ」と感じさせるモノは何なんだろう?と考えた。
2012-08-31 09:58:11昨日の近代美術館 「14の夕べ」手塚夏子さんの実験の中で、子供(手塚さんの息子さん)を王さまにした架空の国を作ってみよう、というのがあった。観客の多くは”国づくり”に消極的で傍観しているのも「日本人的だなあ〜」と思いながら、そこには何か”切実さ”が欠けているのだと感じた→
2012-08-31 09:54:59きのうの手塚夏子さんの「14の夕べ」、交わらなさもそのままに、そのあいだの距離ごと抽出し、時間軸で串刺しにするよな“実験”。きのうは田仲桂さんの福島の声と 井手実さんのデモの声。祈りの音と 怒りの音。消したいものと守りたいもの。無と衝動。そのあいだに反響する 声と音。
2012-08-31 06:08:44東京国立近代美術館 14の夕べ / 14 EVENINGS 8/30 手塚 夏子 。。これだけ話題?批判?されてるのだから、企画者や出演者からみれば成功したイベントなんですよね。。。 日替わりの「パフォーマンス」を空の展示室で行う必然性って何だろう? 東近美研究員のお慰み?
2012-08-31 01:17:35手塚夏子@国立近美。うーん‥‥。なんかグダグダ。あれって一種の「ワークショップ」? その割には練り込みが不足というか。原発事故で実家の田んぼを汚されたという圧倒的リアリティと、行われている「実験」のショボさとの間に、どう折り合いを付ければいいのかわからなかった。
2012-08-31 01:05:16「実験」とか「試み」、あとは「一考察」とかいうことばの使い方はデリカシーのなさが露呈してしまう、一種のデリカシーホイホイですね…。そんななか手塚夏子さんは非常にスマートに実験されてるなあと思っています。新作も見に行きます。
2012-08-31 00:26:12あの二人をどう観察するか、ということが手塚夏子さんの存在を通して観客に淡々と意識化される、という構成は面白かった。しかし「淡々と」続くセミナーの内容の貧困さにいたたまれず途中退場する人が多く、そういう人達へのフォローのなさは気になった。
2012-08-31 00:17:24今日の手塚夏子のイベントは、途中で人がばんばん帰っていくのが面白かったなー。美術館で絵を見るみたいに、ある一定の時間だけ作品と対峙し、そこを去る時間は自分が決める。そんな空間。
2012-08-31 00:11:19手塚夏子『ただの「実験」がメディアになるのか?の実験』@国立近美。「これは作品ではなく、実験なのです」という作品を美術館で見せることについて考えた二時間半だった。質の低いセミナーを繰り広げているお二人を"連れてきた"手塚夏子さんを観客はどうみるのか、という作品として私は観賞した。
2012-08-31 00:08:15手塚夏子「実験」@近代美術館を観る。かなりの数の客が途中で帰っていったが、客に対して帰るという選択肢を積極的に用意している(様に思われた)辺り、無料であるからこそ敷ける枠組みかという事も含め、興味深かった。木箱セッションは楽しかった。退屈も含め、最後まで残ってみて良かったと思う。
2012-08-31 00:06:03そしてまた、美術館という場所とそこに集まる人々が、今起きているコンテンポラリーな現実に対していかに微力かということも、考えさせられました。そこから何が生まれるのか。/東京国立近代美術館 「14の夕べ」http://t.co/plj6X6vn
2012-08-30 23:40:04ただその民俗芸能の<形>を派生させ伝えて来た、人々の暮らしそのものが現代的な、コンテンポラリーな社会の動きによって変わりつつある時に、その寄り添いやすい<形>を捨てて、寄る辺ない現状から何かを考え始めるというのは、もどかしくも意味のある実験だったと思います。
2012-08-30 23:33:16民俗芸能の<形>の持つ、個人の表現では太刀打ちできないような強さ。それは個人的な悲しみの一つが身近な人の死だとすれば、それを幾世代も受け継いで伝わって来ているのが民俗芸能なんだな〜と思いました。
2012-08-30 23:30:15東京国立近代美術館 【14の夕べ】http://t.co/plj6X6vn手塚夏子さんの回に行ってきました。最近民俗芸能を気にしているという手塚さん、民俗芸能の孕んでいる<身体性・精神性・社会性>を大きな意味でとらえ直す試みだったと思います。
2012-08-30 23:26:20悪しき参加型アートとはああいうのを言うのだろうか。ああいう「実験」をやることやそれに観客を参加させることの政治性を手塚夏子さんはもう一度考えられた方がいいんじゃないかな。
2012-08-30 22:58:36このような形式のものを、近美のようなパブリックな場で、しかも200人規模イベントで行うのは、貴重な機会だし刺激的だったと思う。
2012-08-30 22:51:11