ドイツ・マインツ大学の Take R. Saito(齋藤武彦)教授 東北へ出張授業
今の髪の毛の色は青と黄色のウクライナ色。約23年間の海外生活(デンマーク、アメリカ、ドイツ)の後に2019年1月に日本に本拠地を移す。理化学研究所主任研究員(齋藤高エネルギー原子核研究室)、ドイツGSI研究所グループリーダー、中国科学院近代物理研究所客員教授、大阪大招へい教授、筑波大客員教授。
Take R. Saito(齋藤武彦)といいます。
ドイツ在住の大学教授です。5月24日から6月1日まで宮城と岩手の津波被災地で行った子供たちへの科学の特別授業のボランティアについて書いています。女川、石巻、大船渡、釜石、大槌、宮古、久慈、盛岡でのべ14カ所で計16の授業を1000人以上の生徒にしてきました。沢山に人たちに被災地の子供たちに目を向けて欲しいと思っています。
[[http://ameblo.jp/takehikosaito/entry-11276661787.html]]
2013年1月後半にも2週間かけて福島、宮城、岩手の子供たちに授業をしに行かせて頂きます。
良く専門は何って聞かれるので書きますね。原子核物理学者です。基礎研究です。小さな世界を研究しています。実験屋です。放射線測定は一応プロです。
[[http://www.uni-mainz.de/presse/52256.php]]
5月に僕が訪れたときは震災から1年3ヶ月弱が経過していましたが、それでも被害の状況を見たときは言葉が出ませんでした。そして様々な方々と話をさせて頂き、自分なりに問題点を考えさせて頂きました。
ドイツ在住です。名前はそのまま本名です。ドイツの大学で教授をしていて、研究所では研究グループを率いたりしています。
2013-01-04 12:05:36東北地方の被災地で子供たちに科学の授業などをして色々と話すと言うボランティアをしています。前回は2012年5月23日から6月1日まで宮城県と岩手県の学校を回りました。次回は今月の19日から2月2日まで、福島県、宮城県、岩手県の学校で授業をさせて頂きます。
2013-01-04 12:07:25このアカウントではそれらの授業関連のお知らせや報告などを簡単になりますがしようと思っています。また授業などに参加して頂いたり興味を持って頂いた方々と交流も出来たらなと思っています。
2013-01-04 12:08:351月28日から31日までの岩手県での授業を全面的にサポートをして下さるSAVE IWATEさんのホームページです。 http://t.co/sOI7Xntk
2013-01-04 12:16:26前にツイッターで僕をフォローして下さっている方々は放射能を心配する方々が多かったので、ここで少しだけ自分のスタンスを書きます。まずはここではこういう議論はあまりしないつもりです。
2013-01-04 12:57:43原発は0になるべきだと思っていますが、原発従事者やそれに関わっている人たちをまるで悪のように決めつけている人たちとは考え方が全く異なりますし、そういう方々には違和感を覚えています。僕からすると今の運動は短絡的に見えるところもあり、それでは駄目ではないかと考えています。
2013-01-04 12:59:37被災地にしっかりと目を向けるべきだと思っています。特に僕自身は子供たちに目を向けたいと思っています。被災地の瓦礫は津波瓦礫は津波瓦礫であり、放射能瓦礫とはしっかりと区別をするべきです。一刻も早く処理をして欲しいと願っています。それは被災地を訪問させて頂いた時に強く感じたことです。
2013-01-04 13:01:39瓦礫の化学物質の問題もあり、それらは産廃の技術が必要なので、被災地以外の自治体の助けをしっかりと借りれば化学物質もしっかりと処理できると思っています。そのための広域処理は方法の中の一つだと考えていて、それを微量の放射能などによって反対をしている意見には違和感を感じています。
2013-01-04 13:03:42そういう話はブログでたまに書いたりもしています(ブログも東北での授業のことがメインですが)。ここでは主に授業関連をつぶやきます。但し、僕のこのアカウントやブログを見つけた人が「Takeさん、広域処理反対じゃないんだ」とか思ったりしないようにあらかじめここで書いておきました。
2013-01-04 13:07:30僕が被災地で授業をしても貢献などはとても小さいのは分かっていますが、僕がドイツから来ることにより少しでも多くの方々に「世界は被災地を思っています」というメッセージを伝えることができたらなと思い、この活動をしています。
2013-01-04 13:09:06一応1月18日からの予定で決まっている分だけお知らせをしておきます。 1月18日、ドイツを出発。19日に成田に到着。19日は東京都東久留米市で福島県から避難をして来た子供たちを対象に授業(1カ所で1回の授業)。 続きます
2013-01-04 13:26:21続き 1月21日、郡山市(1校1回)。1月22日、いわき市(2校2回)。1月23日、南相馬市(4校4回)。1月24日、石巻市(2校6回)、1月25日、気仙沼市(2校2回)、1月26日、気仙沼市(1校1回)。続く
2013-01-04 13:27:39続き 1月28日、久慈市(2校2回)。1月29日、久慈市と洋野町(2校2回)。1月30日、宮古市田老地区(2校2回)。1月31日、大槌町(2校2回)。2月2日、女川町(1校1回)。1月26日の午後と、2月1日は現在調整中です。
2013-01-04 13:28:171月と2月の授業では、石巻、久慈、大槌、女川の学校の幾つかは2度目の訪問となります。2度目の授業では宇宙戦艦ヤマトを科学的に掘り下げる授業を準備しています。宇宙戦艦ヤマトを通して宇宙や素粒子や時空の話を分かりやすくする予定です。
2013-01-04 21:59:291月19日から2月2日までの授業の予定の概要
東京都と東北地方での授業をさせて頂く為の日本出発まであと6日となりました。だんだん緊張感も高くなっています。緊張感よりも「楽しみ」という気持ちが強いです。
以下に予定の概要を書きます。学校名などは書いていません。事前に発表するかも分かりません。もし学校名などを知りたい場合は僕にメッセーなどでお知らせ下さい。
以下に授業の情報だけでなく宿泊の情報も書きました。出来るだけ多くの現地の方々のお話もお聞きすることができたらなと思っています。全ての日程で可能なわけではないですが、夜などは時間があることがありますので、お近くの方で僕の為に貴重なお時間を費やしても良いという方がもしいらっしゃいましたら連絡をして下さい。
1月18日:
出発
1月19日:
成田空港に到着
午後から:東京都東久留米市で授業
宿泊:東京上野
1月20日:
移動日。郡山市でレンタカーを借りていわき市に行きます
宿泊:郡山市
1月21日:
午前:郡山市の高校で授業
午後:須賀川市の小学校で授業
夜:須賀川市で大人向けの授業
宿泊:郡山市
1月22日:
午前:いわき市の中学校で授業
午後:いわき市の高校で授業
宿泊:南相馬市
1月23日:
午前:南相馬市の小学校と中学校で授業(2校計2回)
午後:南相馬市の小学校と保育園で授業(2校計2回)
宿泊:南相馬市
1月24日:
午前:石巻市(北上)の小学校で授業(3校合同、計3回)
午後:石巻市の学習支援施設で小学生と中学生に授業(1校計2回)
宿泊:気仙沼市
1月25日:
午前:気仙沼市の小学校で授業(1校計2回)
午後:気仙沼市の小学校で授業
宿泊:気仙沼市
1月26日:
午前中:気仙沼市の中学校で授業
宿泊:気仙沼市
1月27日:
移動日。郡山まで戻ってレンタカーを返却し、盛岡市に移動
宿泊:盛岡市
1月28日:
午前:久慈市の中学校で授業
午後:久慈市の小学校で授業
宿泊:久慈市
1月29日:
午前:久慈市の高校で授業
午後:洋野町の中学校で授業
宿泊:宮古市
1月30日:
午前:宮古市(田老)の高校で授業
午後:宮古市(田老)の小学校で授業
夜:盛岡市で一般向けの話をさせて頂く可能性があり(まだ予定の段階)
宿泊:盛岡市
1月31日:
午前:大槌町(吉里吉里)の小学校で授業
午後:大槌町の高校で授業
宿泊:大船渡市
2月1日:
午前:大船渡市の中学校で授業(確定待ち)
午後:大船渡市の中学校で授業(1校計2回)
宿泊:仙台市
2月2日
午後:女川町の学習支援団体で授業
ツイッターでは被災した地域の方々やそこで活動をされている方などをフォローさせて頂いています。様々な意見を見させて頂き、本当に色々と考えさせられます。そういう方々の声をしっかりと聞いて出来ることは何かをしっかりと考えていかないとと思います。
2013-01-05 00:09:18イクラをロシアマーケットで買って来た。ちなみにイクラはロシア語。いつもはケタラクスのイクラを買う。日本での鮭はケタラクス。大降りのアラスカサーモンとかがラクス。いつもの大きなパックが売っていなかったので缶に入っているラクスのイクラを買った。粒が小さかった。
2013-01-05 02:13:10イクラや海鮮を食べると女川のおかせいさんで食べた海鮮丼と、気仙沼の郊外の食堂で食べた海鮮丼を思いだす。とても美味しかったな。
2013-01-05 02:14:49東北地方に授業の為に出発するまであと2週間。そろそろ準備も本格的に始めないと。前回もそうだったけど、準備をしている時にこれはただの自己満足なのではないかと思うことが良くある。現地の方に言われた「覚悟をして継続をして下さい」との言葉の意味をしっかりと考えないと。
2013-01-05 07:38:23大震災から数日後に大学の職場に行った。そうしたらドイツの方々が何人も僕のところに来てくれて、自分や友人は別荘などもあるから、家を失った方々や避難したい人たちに自由に使ってくれと言って来てくれた。それを思い出した。
2013-01-06 13:54:30