斎藤清二先生の「こころと健康」まとめ

斎藤清二先生による、「こころ」と「健康」の関係を考察したエッセイ。
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斎藤清二 @SaitoSeiji

なんと1990年という、今から14年も前に公表した小文を見つけたので連ツィさせていただきます。タイトルは「こころと健康」です。

2013-01-24 21:06:42
斎藤清二 @SaitoSeiji

①私は内科医ですので、私の外来にいらっしゃる患者さんのほとんどは、「からだ」の調子が悪いという理由で病院に来られる方々です。

2013-01-24 21:08:21
斎藤清二 @SaitoSeiji

②もちろん患者さんの症状はさまざまで、例えば「おなかが痛い」「食欲がない」「頭が痛い」「だるい」「めまいがする」「手足がしびれる」など、例を挙げればきりがありません。最近気が付いたのですが、これらの患者さんをおおざっぱに分類すると3種類のタイプに分けられるのではないかと思います。

2013-01-24 21:09:21
斎藤清二 @SaitoSeiji

③第1のタイプの患者さんは、診察、検査などによって、からだのどこかにはっきりした異常が発見されます。例えば「胃が痛い」と言ってやって来た患者さんに、内視鏡(いわゆる胃カメラ)の検査を施行してみると、胃潰瘍が発見されるというような場合です。

2013-01-24 21:11:28
斎藤清二 @SaitoSeiji

④そこで見つかった「からだの異常」に対して適切な治療を行いますと、症状は消失します。例えば先ほどの潰瘍の場合ですと、潰瘍の治療薬を差し上げますと、平均1週間くらいの間に症状は消えてしまいます。

2013-01-24 21:11:55
斎藤清二 @SaitoSeiji

⑤第2のタイプの例は以下のような場合です。同じように「胃が痛い」という症状をお持ちの方に、内視鏡検査を施行してみますと、何も異常が発見されない場合があります。そこで、「胃は心配ありません」とお話しますと、それをきっかけに症状はほとんどなくなってしまいます。

2013-01-24 21:12:22
斎藤清二 @SaitoSeiji

⑥このように「だいじょうぶ」という保証だけで、症状がなおってしまうことは、日常診療上しばしば経験されます。どうしてこういうことがおこるのか、考えてみれば非常に不思議なことですが、一般には「要するに単なる気のせいだったのだ」と簡単に済ませられていると思われます。

2013-01-24 21:13:01
斎藤清二 @SaitoSeiji

⑦第3のタイプの場合には、途中までは第2のタイプに似ています。やはり診察や検査では異常は発見されません。しかし、この場合はあとがちがいます。「だいじょうぶ」という保証をしても、症状は消失しません。

2013-01-24 21:13:45
斎藤清二 @SaitoSeiji

⑧例えば「胃の痛み」は慢性的に続いたり、あるいは治ったように見えても、再発を繰り返したりします。時には、途中から「下痢」が加わったり、「頭痛」になったりという具合に、症状が変化するということもありますし、「夜眠れない」とか「気分が滅入る」などという症状が加わる場合もみられます。

2013-01-24 21:15:39
斎藤清二 @SaitoSeiji

⑨わたしども内科の医師は、第1、第2のタイプの患者さんをあつかうのは得意です。しかし、原因が分からないのに症状が頑固に続く第3のタイプの患者さんの場合、患者さんが辛いのはもちろんですが、医者の方も辛いのです。しかも最近第3のタイプの患者さんが増えているのではないかと思えるのです。

2013-01-24 21:19:11
斎藤清二 @SaitoSeiji

⑩さて、なぜ第3のタイプの患者さんの場合、お互いに辛いのでしょうか? そこにはどうも医師、患者さんの双方に以下のような思い込みが存在しているような気がしています。「症状があるからには、必ずその原因が存在し、からだの検査をすることによってそれは必ず発見できる」。

2013-01-24 21:20:10
斎藤清二 @SaitoSeiji

⑪ところが先ほどから述べているように、第3のタイプの人の場合にはこれはあてはまらないのです。そこで、原因を発見するための見込みのない検査が延々と繰り返されるか、あまり意味のない軽微な身体の異常を発見し、それが原因であるとこじつけられるかのどちらかになりやすいのです。

2013-01-24 21:21:08
斎藤清二 @SaitoSeiji

⑫以前は胃下垂とか遊送腎などという病名がこれによく使われました。あるいは一転して「原因がないのだから、あなたの症状は単なる気のせいである」として突き放されるか、のいずれかになってしまいます。もちろんこのいずれの対応も、患者さんにとっては何の救いにもなりません。

2013-01-24 21:22:55
斎藤清二 @SaitoSeiji

⑬さて、最近では「ストレス」とか「心身症」などの言葉が、なじみの深いものになりつつあります。さきほどからお話しているような状態についても、「『からだ』だけを問題にしてもよくならないのならば、それは『こころ』の問題なのではないか?」という考え方が受け入れられるようになってきました。

2013-01-24 21:25:50
斎藤清二 @SaitoSeiji

⑭確かに「こころ」の状態が「からだ」に強い影響を与えるということが知られるようになってきました。先ほどから例に挙げているような「胃の痛み」や「下痢、便秘」といった症状も「ストレス」「不安」「抑鬱」といったこころの状態によって、誘発されたり増強されたりすることが知られています。

2013-01-24 21:29:06
斎藤清二 @SaitoSeiji

⑮さらには「胃潰瘍」「高血圧」といった、今までは純粋に器質的な身体疾患と考えられていた病気までが、「ストレス」や「性格傾向」によって引き起こされることがあるということが分かってきました。(注:これは現在では少し考え方が変わってきています)

2013-01-24 21:30:29
斎藤清二 @SaitoSeiji

⑯しかしここで、「『からだ』に原因がなければ、『こころ』に原因がある」というような単純な理解のしかたで、本当にすべてうまくいくのかを考えてみる必要があると思います。

2013-01-24 21:31:18
斎藤清二 @SaitoSeiji

⑰確かに「嫁姑の葛藤のストレスが原因で体調が悪くなっていたと思われたので、別居させたら良くなった」というようなケースを経験することがあります。しかしこのように単純にうまくいく例は、実はむしろ例外的に思われます。

2013-01-24 21:31:43
斎藤清二 @SaitoSeiji

⑱実際には「こころ」と「からだ」は複雑にからみあっておいり、「こころ」の問題か、「からだ」の問題かを明確に区別することは、ほとんど不可能です。

2013-01-24 21:32:20
斎藤清二 @SaitoSeiji

⑲それを強引に区別しようとすると、患者さんに対して「あなたの病気はあなたの性格の問題だから、内科ではどうしようもありません」とか、「結局こころがけの問題だから、気の持ち方次第です」といった対応をすることになりがちで、現実に苦しんでいる患者さんにとっては全く救いになりません。

2013-01-24 21:33:22
斎藤清二 @SaitoSeiji

⑳さっぱり結論が出ませんが、ここでちょっと一休みさせていただきます。まだ続きます。

2013-01-24 21:33:59
斎藤清二 @SaitoSeiji

昨日の続き「こころと健康」の連ツイです。 ①こころとからだの悪循環:さて、ここで少し見方を変えて、「こころ」か「からだ」かという発想ではなく、「こころとからだの具体的な関係」について少し考えてみたいと思います。例として、慢性の「痛み」に悩んでいる人の場合を考えてみましょう。

2013-01-25 21:39:19
斎藤清二 @SaitoSeiji

②図(省略)をごらんください。まず最初に痛みの引き金があります。痛みの刺激そのものはもちろん最初は「からだ」から発せられます。しかしそれを「こころ」が「痛い」と感じたとき、はじめて「痛み」が生じるわけです。

2013-01-25 21:40:35
斎藤清二 @SaitoSeiji

③ところが、同時に「こころ」は「痛み」を好ましくないものと「評価」し、「こんなに痛いなんて、気が滅入る(抑鬱、イライラ)」とか、「なんで私だけがこんな目に遭わなければいけないのだろう(怒り)」とか「もしかしたらひどい病気ではないのだろうか(不安)」などの感情が同時に生じます。

2013-01-25 21:42:39
斎藤清二 @SaitoSeiji

④これらを総合した「苦しみ」が実際に感じられる「痛み」であると思われます。

2013-01-25 21:43:31