- lotusredcat
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本源的に、芸術は何もしない。芸術は何も訴えないし、芸術は何も示さない。芸術は無価値だ。故に生活の一部として溶け込んでいるし、芸術を規定するものが個人の価値観になる。芸術というもの、それ自体の価値が規定されれば、それは芸術ではない何かにしかならない。
2013-01-26 17:34:29ビールのむかー
@lotusredcat ぐれねこさんのその芸術への言及は何度か見ましたが、例えば芸術作品が宗教的メッセージを担ったり、金銭的な価値を帯びたとしても、それら付帯する性質を逆さまに辿っても芸術にはならない、断絶があるということなんですかね。それとも、関係すら無い、とする見方ですか?
2013-01-26 17:39:20@ohmura_keru どうにも、芸術それ自体に価値を置いてしまうと、なんだか上手くいかないんですよね。それら付帯する価値ってのは、あくまでも芸術行為の後にしか起こらなくて、それ以前から規定するのが明らかに困難なので
2013-01-26 17:46:57@lotusredcat ですよね。もし価値を持つとしてしまったら、付帯する価値のほうに芸術が掴んだ何かが浸透圧現象のようにして移ってしまう錯覚を引き起こして、価値が芸術を所有してしまうような事になりそうです。なにせ価値は強大で物質的な濃いものですから
2013-01-26 17:50:39@ohmura_keru Excellent その通りですね。結果的に硬直化が起こって、死滅するしか無くなるんですよね。要はゴミとしてしか扱えなくなる。ゴミのようなものにすら価値を認められるのが芸術の強みなんですが、硬直化してしまったものはシフトできなくなってしまう。
2013-01-26 17:55:15@lotusredcat 実際に硬直化を招いて死ぬ、ということは至る所で起きてるんでしょうね。人間自体も変わらないのでしょうが
2013-01-26 17:57:33@ohmura_keru 芸術そのものの規定が、ある作品をその時代に置いて死滅させることは十分にあると思います。それを恐れるあまり、あらゆるものを芸術として認識するのもまた本末転倒ですが、それは恐らく、これまでの歴史の流れに対する根源的な恐怖なのだと
2013-01-26 17:59:12でも恐らくはその、その時代に置いて硬直化を招いたことにも意味はあり、人自体が変わらないのだとしても、その中で芸術が無価値であり続けることが文化のその興隆を規定していく
2013-01-26 18:01:02マルクスが提唱した国家の成長過程と、芸術文化の振興の仮定は類似している それこそ、芸術が人々の生活の中で規定されてきた証拠と見ることは可能かもしれない
2013-01-26 18:05:28流動的であることはきっと良いことだと思う そこには一種の脆弱性はあるけど、全体としてそれ以上に強固なものもない 硬直してしまえば何時か死滅していくだけだ
2013-01-26 18:06:48J-NSC。自称『リベラル保守』。愛国故に反HS/反人種差別/反性差別。 ※DM開放 ※各種【質問箱】設置 ※kamijo_haruka@mstdn.jp 鍵垢でフォローしてくる人はせめてbioに何か書いてくれ。でないとブロックするぞ。 ナチュラルにフォロー外しするのて宜しく。
んーとさ。全ての『芸術』ってのは『物の名称』じゃなく『価値の名称』だよ。だからこそ『元来無価値な物品』であっても『芸術』と意味づけ(=価値名称を与え)られれば、それは『単なる物品』から『芸術品』へと様変わりするんだ。 《続く
2013-01-26 18:15:16承前》 要は『物(創作物)自体の内容が問題』なのではなく、『物(創作物)自体に、鑑賞者がどんな意味を与えるか』が『鍵』なんだよ。『鑑賞者』ってトコがポイント。だから『芸術作品を自称する』ことは出来ても『自称した芸術作品が全て認められる訳ではない』のね。 《続く
2013-01-26 18:15:28承前》 そりゃ始めから『芸術作品を創る』目的での創作ってのもあるよ?作者が『誰に認められずともいい。自分の中の芸術はこれだ』って発露する事もあるよ?でもね、それを『他者から認められない限り』は、それを『芸術作品と呼べない』ってのは『厳然たる事実』なのさ。 《了》
2013-01-26 18:15:34