- uchida_kawasaki
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原子力空母というのは複雑な産業街であり、常にどこかで大なり小なり部品が壊れているものである。普通の消耗による損傷もあれば、事故からの損傷もある。 トモダチ作戦の間、ドアの下にボロ布を押し込んで大気中の放射能の拡散を防ぐのは、ドア自体が壊れていたり、
2013-03-16 19:14:59ド アの周りが壊れていたり、場所によっては水密のドアが修理のために外されていたと言う事からすると、効果が損なわれていた。すなわち、図面上では空母ロナルド・レーガンには密閉された部屋が並んでいたが、実際にはどちらかと言うと、空気が自由に循環する、浮いているカタコームだった。
2013-03-16 19:15:47「私の健康は、去年の初めに下り坂に向かいました。」と、空母レーガンでのF−18の構造整備士でハズマット・コーディネーターであるミックは言った。 (2012年)3月30日に、カリフォルニアで命令変更の際に整列している時に、初めて意識を失いました。
2013-03-16 19:16:30脱水状態だろうと言われ、医務官のエリアで座 り、水を1本飲みました。そして4月29日にまた気を失いました。この時は救急室に運ばれ、頭痛がすると言いました。(気を失った時に)『頭を打ったんじゃないか』と言われ、CTスキャンをされ、『脳に腫瘍が見つかった』と言われました。
2013-03-16 19:17:10それ以来二回手術を受け海軍を辞めました。」ミックの前頭葉で医師が見つけたのは2期乏突起星(ぼうとっきせい)細胞腫と言う癌だった。脳内で筋の通った話し方を司る部分にできる致命的で不治の癌である。腫瘍を取り除くと空洞ができ、その空洞が時にはつぶれてしまって付帯的損傷を起こす事がある。
2013-03-16 19:18:21ミックの2度目の手術の後、「今は癌は活発でない」と知らされた。「まだ残ってる部分は、何もせずにそこにあるだけです。そこにあるのは分かっていますが、何 もしていないし痛みもないので、そんなに悪くありません。2ヶ月ごとに病院に行ってチェックを受けています。
2013-03-16 19:19:01ストレスは多いけれど、何とか生きて生活できています。」生きると言う事に関しては、ミックは最初の出発点である、ウィスコンシン州ソープの両親の農場に戻って、癌の次の再発を待っている。現時点では、医者を受診する予約がたくさんあるので、週5日仕事をするとか言う事はとても難しいです。
2013-03-16 19:20:00車を持っていないので、両親に色々な所へ車で連れて行ってもらわなくてはいけません。」ミックは、原子炉の状態と真の放射能放出について米国政府を誤って導いたとして、東電に訴訟を起こしているグループの1人である。ミックは、放射能が自分の癌を引き起こした原因だと言う。
2013-03-16 19:20:22「私が訴訟に加わったのは、他の人にこういう事が起こらない様に、誰かが責任を取るためです。事実を隠すと言う事は、長い目で見ると誰かの人生を台無しにするし、それが他の人に起こるのを見たくないのです。」とミックは説明した。
2013-03-16 19:21:18「海軍に関しては、どこかに改善の余地があったわけではないと思います。海軍は(放射能に対しては)、訓練を受けていません。その時持っていた情報で、最善を尽くしたを思います。軍の仲間達や任務で行った場所には素晴らしい思い出があります。」
2013-03-16 19:21:37ある意味、ミックがまだ海軍に所属している間に気を失って癌の診断を受けたのは幸運だったと言える。今の所、ミックの医療費はカバーされているが、それは変わるかもしれない。「医師達は、これが任務に由来するのか決めていません。」とミックは言った。
2013-03-16 19:21:59国防省が放射能は軍人達に何の健康被害も起こさなかったと前もって決め、トモダチ医療登録を廃止したため、ミックは、またさらに1人の、不治の癌と健康保険なしの海軍退役軍人になるかもしれない。
2013-03-16 19:22:19マ イケル・シーボーンは、海軍の航空機整備士としての17年間の間に、多くの部品が消耗するのを見て来た。厚木基地で整備をしたヘリコプターの多くは、良く使われていたため、安全と最大の業績を確実にするために、部品が交換された。しかしトモダチ作戦の期間中には、ヘリコプターの部品、
2013-03-16 19:23:15特にラジエーターと送風管は、エンジンに大量の放射性物質が吸い込まれたため、ほぼフライトごとに交換された。「ラジエーターを再使用する事はできませんでした。」とシーボーンは言った。「交換しなければいけませんでした。水と洗剤を入れた樽に入れ、その樽を立入禁止テープのようなバリアの後ろに
2013-03-16 19:24:17置きました。そして毎日放射能が樽から漏れていないかを測定しました。」 「樽からは放射能が出ており、放射性物質の自然崩壊には何年も何年もかかります。タイベックス・スーツを脱いだらそれも切り刻んで樽の中に入れました。シールがついていたり汚れていたりしたものは、放射性物質が付着するから
2013-03-16 19:25:17全て樽に入れなければいけませんでした。樽に何かを入れれば入れるほど、放射能数値が上がりました。まるで繁殖してるかのようでした。」
2013-03-16 19:25:53それは、2011年春の、嵐のような80日間であり、永遠に終わった期間だとシーボーンは思っていたが、それは間違いだった。シーボーンの8歳の息子のカイが2011年5月に奇妙な病気になったのである。「カイは吐くのが止まらなくて3週間学校を休みました。」とシーボーンは言った。
2013-03-16 19:26:16「学校の規則では、吐いたら早退しなければいけませんでしたが、カイは1日に10−15回吐いていました。気分が悪かったのではなく、ただ吐くのが止まらなかったのです。」「最終的にストレスのせいだと言われました。今でも同じような事が起こる時がありますが、何故これが起こるのかは不明です。」
2013-03-16 19:26:55だが、シーボーンの体調は良好だった。去年までは。「2012年3月に、海軍の軍医が原因を説明できないような症状がありました。」とシーボーンは言った。 「体の右側だけ、普通の強さの40−50%しかありません。MRIを2度、そしてレントゲンやエコー検査も受けましたが原因が分かりません。
2013-03-16 19:27:39腕、胸と肩が痛くて、体の左側が右に比べてもっと大きくなってきています。右利きだから右をもっと良く使うので、これは変です。」 シー ボーンもカイも、遺伝的カウンセリングやモニタリングを受けなかった。17年間の兵役の後は、海軍はシーボーンだけに健康保険を5年間支給する。
2013-03-16 19:28:19「そして その後は、何も健康保険をもらえません。退役後は、軍人はしばらくカバーされますが、家族には保険が支給されません。」その5年が終わったら?「それは素晴らしい質問です。」と、体の右側だけが若年性老化現象を起こしているかのように弱くなり続けているシーボーンは言った。
2013-03-16 19:28:57「7万人の兵士とその家族のためにトモダチ登録はそのためにあり、10年か15年経ってから健康被害が出たら、兵役に関連しているから医療を受ける事ができるはずでした。しかし国防省がトモダチ登録を廃止したので私達がどうなるのか分かりません。」シーボーンが東電訴訟に加わったのは、東電が、
2013-03-16 19:29:44自分たちが起こしたダメージに対して責任を 持ち、将来的な医療費を払うのを確実にするためだった。「海軍に対して放射能の事で怒ってはいません。放射能と対処した事がなかったから、何が起こってい たのか分からなかったのです。海軍は私達に嘘をつきませんでした。海軍は最善を尽くしました。
2013-03-16 19:30:10皆、盲目的に計器飛行をしていたのです。」 原子力空母ロナルド・レーガンと第7艦隊がトモダチ作戦の終了後に日本から離れるにつれ、航海科士官プリムとイニスは安堵を感じた。やっと終わって、放射能調査チームから、もう安全だと言われたからだ。
2013-03-16 19:31:00「内部被ばくの検査などは受けませんでした。」とプリムは言った。「皮膚の表面を測定器で測定しただけでした。血液検査や他の検査は受けませんでした。」 「80日間あそこにいました。」とイニスは言った。「最後の方で、下あごに小さな腫れ物ができているのに気づきました。
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