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福島救出作戦の永続的な遺産:パート4 余波と生きる ”A Lasting Legacy of the Fukushima Rescue Mission: Part 4 Living with the Aftermath” http://t.co/up8BloVPSc
2013-03-16 18:54:15「福島救出作戦の永続的な遺産:パート1 米国海軍軍人の放射能汚染 」の完全和訳はこちらです。 http://t.co/z8FjX2tDKu 「パート4 余波と生きる」の抜粋和訳を連投します。全体の和訳は時間がありませんが、軍人達の症状など重要な事を和訳しました。
2013-03-16 18:56:38大柄の黒人の水兵は、裸でデッキの下のロープで囲まれたエリアのど真ん中にいて、あまり嬉しそうではなかった。「彼は、『ブーツもじゃないだろうな?妻が 買ってくれたばかりなんだ。』と言い続けていた。でもそのブーツも結局脱がされ、裸で立っていた。そしてゴシゴシと体を洗わされた。」
2013-03-16 18:57:51と、原子力空母ロナルド・レーガンの航海科士官モウリス・イニスは回想した。この水兵は、船体を洗う時に使う、液状の紙やすりのようなザラザラとした洗剤を使わされた。そして、皆が見ている目の前で体中をゴシゴシと洗わなければいけなかった。
2013-03-16 18:59:14そして洗面台の所まで歩いて行ってすすぎ、戻って来てガイガーカウンターを体中に当てられた。ガイガーカウンターが鳴らなくなるまで、繰り返さなければいけなかった。 「そして次は自分の番だった。」 クォーターマスターのイニスにとって、除染を待つ事は完全に予期されなかった事だった。
2013-03-16 19:00:25クォーターマスターの主な業務責任は2つある。船の航海と、帆柱に付けてある、艦隊の他の船に旗艦が何をしているかを知らせるための、シグナルの旗の操作だった。イニスは、帆柱の一番上で2週間なびいていた星条旗を降ろし、艦長の部屋へ持って来るように命令を受けた。
2013-03-16 19:00:52「星条旗を降ろしました。」とイニスは言った。「そして、敬意を込めて丁寧にたたみ、右腕と胴体の右側の体の間に旗を抱え、中に持って来て片付けました。 何も特別な事だと思いませんでした。」夕食後、放射能探知機の傍を通った時、「アラームが全部鳴り出しました。」とイニスは回想した。
2013-03-16 19:02:14「そして、何にも誰にも触らない様にと怒鳴られ、除染エリアに直行するように言われました。」 ロー プによって分けられた「除染」エリアには、チェックされるのを待つ男女の水兵の列ができていた。しかし、イニスは待たなくて良く、列の先頭に行かされた。
2013-03-16 19:04:14そこでは、ロナルド・レーガンの上級士官とシニア軍医官が注意深く見守る中、ある光景が繰り広げられていた。部屋の真ん中の裸の水兵は体を覆うタオルをも らって去っていた。次にイニスが呼ばれた。「私達は、放射能はないと言われてました。」とイニスは言った。
2013-03-16 19:05:04「艦内に放射能チェクポイントが設置され始めた時、彼らは理由を言ってませんでした。ブーツの検査は大丈夫でした。手をチェックした時、測定器が狂ったように鳴りました。「検査をしてる人は怖がって、『彼から離れろ!』と言いました。次に、腕にビニール袋をかぶせられました。
2013-03-16 19:05:46彼らは皆に私から遠ざかるように言いました。伝染病のペストを持ってるかのように扱われて、不安発作を起こしそうになりました。研磨用の塗料剥離剤で胴体の右側と両手をゴシゴシと洗わなければいけませんでした。皮膚の表面が何層か剥けました。」
2013-03-16 19:06:13イニスは、自分の放射能測定レベルが何だったのか、その時もその後も教えてもらえなかった。艦内の乗組員の中では最大値だとしか教えてもらえなかった。しかしその時イニスは、放射能の事自体よりも、未知の事に対する恐怖の方に気を取られていた。士官達はイニスを見て、怒鳴って命令していた。
2013-03-16 19:06:54男女の乗組員の仲間達は、除染ステーションの外側から自分たちの順番を待ち、黙ってイニスを見ていた。 「かなり恥ずかしかったです。」とイニスは言った。「半分裸で怒鳴られながら、皆の目の前でゴシゴシと体を洗い、何が起こってるのか教えてもらえずに怖い気持ちでした。
2013-03-16 19:07:21状況から察するに、自分は本当のトラブルに陥ってるのだと思いました。それに乗組員達も怖がっていました。誰も放射能の専門家ではありませんでした。死ぬのだろうか?癌になるのだろうか?どこかに追いやられるのだろうか?と自問自答しました。皮膚が水疱状態になったりするのだろうかと思いました。
2013-03-16 19:09:02何も分かっていませんでした。」海軍は、放射性物質の粒子は確かに石鹸と水で洗い流せると言われていた。それは部分的には本当だった。α粒子は滑らかな表面から洗い流す事ができた。β粒子も体内に入り込む経路となるような傷が皮膚にない限り、洗い流す事ができた。
2013-03-16 19:09:51海軍が使っていた研磨用の塗料剥離剤は、皮膚の上層部を剥離した。その上、空母のフライトデッキは、滑らかなプラスチックやガラスでできているのではない。ただゴシゴシ洗うだけでは、多孔性の表面から粒子を取り除く事はできない。
2013-03-16 19:10:26ロナルド・レーガンの乗組員達は、海上では放射能の心配をする必要はないと言われており、航海科士官として、イニスは放射能は避ける事ができるプルームだと信じさせられていた。でも、放射能雲はいたるところにあり、必ずしも避ける事ができないのが明らかだった。
2013-03-16 19:10:38クォーターマイル(400m)の長さのデッキ上では、また別の警告があった。 「デジタル腕時計を持っていました。」とクォーターマスターのジェイミー・プリムは言った。「それが突然止まりました。誰かが、放射能のせいだと言いました。その時デッキには5−6人が居たのですが、
2013-03-16 19:11:04皆、自分の腕時計を見たら、デジタル腕時計は全部止まっていました。すごく高価な腕時計をしてる人がいましたが、それも止まっていました。」 「最初は笑っていたのですが、そのうちただお互いを見るだけでした。笑えるほどおかしいと思えなくなったからです。」
2013-03-16 19:11:35そしてデッキの下で働いていた乗組員はもっと少ない情報しか持っていなかった。ジェット機の整備士は、航空機のパーツのほとんどを、放射能測定を受けるために下に持って降りていた、とジェニファー・ミックは説明した。ハンガーの巨大なエレベーターへのアクセスは限定されていた。
2013-03-16 19:12:01「ハッチの見張り番が備えられました。」とミックは回想した。「航空隊のメンバーが折り畳み椅子に座り、誰もキャットウォークを通ってデッキに出ないように見張っていました。船の他の部分の汚染を減らすだめに、出入りは船の前の部分のみに限定されていました。」
2013-03-16 19:12:21「見張り番は一日中そこに座って、間違った方向に向かった人達に怒鳴っていました」ミックはフライトデッキ上のジェット機が放射能汚染された環境にいたのを知っていた。「フライトデッキから降りて来る度に、誰かがブーツをゴシゴシ洗って、最終的には汚染されたものの山に加え、除去が必要でした。
2013-03-16 19:13:45デッキに上がる時は、普通のブーツの上からまたブーツを履き、それを捨てる事になりました。そのうち、化学用・生物用・放射能スーツを着なければいけませんでした。マスクと酸素ボンベも支給されましたが、それは実際には使いませんでした。」これらの予防策がどれほど効果的だったかは不明である。
2013-03-16 19:14:22