宗教を取り締まる――明治期治安政策の一断面

 明治維新後の日本では、文明開化や復古をスローガンにしながら、新しく国家規模で治安対策が整備されていくことになります。安寧秩序を乱すものとしてデマや流言の統制を求める声が高まるのもこの時期です。  今回は、こうした治安政策創設時の一コマとして、維新政府による宗教の取り締まりのようすを見てみましょう。安丸良夫「近代化日本の暗箱(ブラック・ボックス)」という文章からの引用です。 出典: 安丸良夫「近代化日本の暗箱(ブラック・ボックス)」(初出は1974年)『日本ナショナリズムの前夜―国家・民衆・宗教』所収 続きを読む
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dabitur @dabitur

[book] 読。島薗進による解説、著者による新書版あとがき付。論文・論説・解説集。/ 安丸良夫(1977=2007)『日本ナショナリズムの前夜―国家・民衆・宗教』  http://t.co/uIgroZxH

2013-02-11 21:47:13
dabitur @dabitur

[quote] 「廃仏毀釈や神道国教化政策は、揺藍期の明治権力の幼稚な逸脱としてたいして気にとめない人もあろう」(安丸良夫(2007:316))

2013-02-11 22:12:51
dabitur @dabitur

[quote] 「しかし、廃仏毀釈の嵐のすぎたあとも、盆の精霊迎えや施餓鬼を禁止したり、地蔵祭りを禁じて石地蔵をこわしたり、遍路の巡礼に銭米を恵むことを禁止したりして、民衆の伝統的信仰生活を破壊した事例はきわめて多い」(安丸良夫(2007:316)

2013-02-11 22:14:10
dabitur @dabitur

[quote] 「信仰の領域だけが問題にされたのではない。角力は裸商売で文明開化の今日では国の恥辱だから禁止せよとされたり、三河万歳がその『淫風』のゆえに禁止されて国祝舞というもっともらしい名前に変えられたなど、*国家の規制や禁圧の対象となった事例を無数にあげることができよう」

2013-02-11 22:15:33
dabitur @dabitur

[quote] 「明治の新政権とその周辺の人々にとって、"復古"の立場からも"文明"の立場からも、長い伝統をもつ民衆の生活は、愚昧で迷信ぶかく、狼雑なものにみえたのである」(安丸良夫(2007:316))

2013-02-11 22:17:02
dabitur @dabitur

[quote] 「こうした見方は、明治政府の指導的官僚などのものであっただけでなく、反政府的とみなされる新聞などにも共通しており、これらの『悪習』や『弊風』の禁止が為政者に求められるぱあいも多かった」(安丸良夫(2007:316)) http://t.co/uIgroZxH

2013-02-11 22:18:43
dabitur @dabitur

[quote] 「明治初年のいわゆる新政反対一揆においては、戸籍制度が若い女の血を絞って飲むための調査や『子供の膏(あぶら)を取る』ための調査、徴兵令が『生き血を搾取』るためのもの、コレラの避病院の設置が毒薬を飲ませて『生き肝を取』るためのものだなどとされ」(安丸2007:317

2013-02-11 22:21:48
dabitur @dabitur

[quote] 「こうした奇怪な流言の伝播によって大規模な蜂起がおこった。学制・太陽暦・電信設備・コレラ避病院のような文明開化的なものもふくめて、『新政』の全体が*体系のおしつけであったために*大きな不安と疑惑をひきおこし*奇怪な流言が生まれ、それが蜂起の原因になった」ibid

2013-02-11 22:23:55
dabitur @dabitur

[quote]「このような一揆においては、その敗北のあとの鬱屈は、江戸時代の百姓一揆より*大きかったはずである」「"復古"にも"文明"にも反対した新政反対一揆は、なんらの公的正統性を獲得することができず*愚昧な民衆の荒唐無稽の狂信から生まれたものにすぎなかったとされたからである」

2013-02-11 22:27:38
dabitur @dabitur

[quote] 「こうした評価が社会の通念となってゆくとき、非合理で奇怪な流言にもとづいて蜂起した人々は、一揆の敗北*だけでなく、みずからの狂信や愚かさによってもふかく傷つき、彼らを狂信的で愚かだとした権力の側からの評価を、さまざまの鬱屈を経ながらも結局は受容するほかなかった」

2013-02-11 22:28:52
dabitur @dabitur

[quote] もう一つ、同様の指摘の箇所を引いておく。 / 「神仏分離と廃仏毀釈は、社人などが国学・神道の影響をうけて台頭してきていた寺院では激しいものとなり、また藩政担当者などが国学や神道の影響をうけた地域ではしばしばきわめて苛酷なものとなった」(ibid., p.38)

2013-02-11 23:05:48
dabitur @dabitur

[quote] 「後者の事例としては、たとえば、富山藩では各宗をわずか一寺院に統合したのであり、佐渡では五百余寺を八十寺に統合し*隠岐ではすべての僧は還俗または追放となって全島民が神道に帰し*薩摩藩でも葬祭はすべて神式によることとし、お盆の祖先祭りも廃止された」(ibid.)

2013-02-11 23:07:12
dabitur @dabitur

[quote] 「神道国教化政策のもとでは、民衆の信仰生活の変容はきわめて大きかった*たとえば、梓巫女や六十六部の禁止、托鉢と遍路などへの施行の禁止、地蔵祭り・お盆の行事・神楽奉納などの民俗信仰の禁止がひろくおこなわれ*盆踊り・七夕祭り・門松飾り・節分の鬼やらいなどさえ禁圧」

2013-02-11 23:09:15
dabitur @dabitur

[quote] 「これらの民俗信仰と民俗行事の禁圧は、裸体・肌ぬぎ・男女混浴・男根信仰の禁止や、産穢の習慣や女人結界の廃止などの開明的啓蒙的政策とも結びついたもので、政策担当者は、教化と啓蒙への確信にもとづいてその禁圧政策を推進していったといえよう」(安丸良夫(2007:39))

2013-02-11 23:10:41