芦田宏直先生の夏期「哲学」特別講義ノート @ywakabayashi

2010.8.29 東海大学霞ヶ関ビル36Fで開催の芦田宏直先生の夏期「哲学」特別講義「機能主義と哲学の使命ー存在論の今日的意義について」についての覚え書きノート。
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Yasunaga Wakabayashi @ywakabayashi

#ashida0829 ライプニッツは哲学の中で実に異常。主要著作は短いからすぐ読める。モナドには窓がない。全然外に通じていない。一人の人間は世界のすべてを何らかの形で反映している。全体にして一だ。窓がある必要がない。

2010-08-29 15:11:22
Yasunaga Wakabayashi @ywakabayashi

#ashida0829 世の中に頭のいい人と悪い人がいるわけではない。頭の悪いことが分かれば良くなっていくはず。頭の悪いままでいるのは、間違った人を尊敬するから。それぞれがモナドで互いに関係しないがその必要もない。反映関係を「知覚」、傾きを「欲求」と言う。

2010-08-29 15:14:43
Yasunaga Wakabayashi @ywakabayashi

#ashida0829 「存在者の存在」「存在者としての存在者」コップという存在者がある、これはコップであることの「ある」と、コップがないのではなく「ある」ことの両方の意味がある。

2010-08-29 15:19:07
ぎゅぇんも @gimmow

確かに。とても興味深いですね。“@ywakabayashi: #ashida0829 「存在者の存在」「存在者としての存在者」コップという存在者がある、これはコップであることの「ある」と、コップがないのではなく「ある」ことの両方の意味がある。”

2010-08-29 15:36:13
Yasunaga Wakabayashi @ywakabayashi

#ashida0829 トマスは3分類。第一哲学(第一原因)、形而上学(存在者一般)、神学(神)の3つ。ハイデガーは、トマスに不満を持ち、形而上学は存在論と神学とからなる統一を包括し、存在そのものと全体としての存在者を問題とする。

2010-08-29 15:21:56
Yasunaga Wakabayashi @ywakabayashi

#ashida0829 なぜ無ではなくて存在なのか(ライプニッツの根拠律)。ハイデガーは、形而上学は存在そのもの「ある」を問題にしなくてはならないと。存在があることは無があることとイコールだと主張、これが今日の講義のゴール(笑)。

2010-08-29 15:24:32
Yasunaga Wakabayashi @ywakabayashi

#ashida0829 コップが机の上にあるとかないとか以前に、コップは「ある」じゃないですか。コップがなければ、コップがあるとかないとか言えないという意味では、存在論的にはより先にある。「存在と時間、これこそが根本問題!」(186/26)

2010-08-29 15:28:21
Yasunaga Wakabayashi @ywakabayashi

#ashida0829 存在は「われわれに既に与えられているようなものとして」。「与えられている」は「アプリオリ」ということ。存在が根源的に時間に関係づけられている。「形而上学的想起」(187/26)

2010-08-29 15:31:41
Yasunaga Wakabayashi @ywakabayashi

#ashida0829 ハイデガーは、「神がある」の前に、「神」の前に「ある」が先にあると考えていた。存在者が分かればそれはすべて平等であるのに一級の存在者を特別視するところに最大の問題がある。存在者と存在は違う(存在論的差異)。

2010-08-29 15:37:47
Yasunaga Wakabayashi @ywakabayashi

#ashida0829 フッサールの現象学。意味が「ある」ことが大事だとした。「シーマ現象」バブル時の消費現象を反対も含めて「シーマ」と言えばいいとなった。「芦田現象」(笑)反対の現象も含めてアルケーがある。

2010-08-29 15:41:42
ウジ トモコ ( TOMOKO UJI ) @UJITOMO

分かりやすいRT @ywakabayashi: #ashida0829 フッサールの現象学。意味が「ある」ことが大事だとした。「シーマ現象」バブル時の消費現象を反対も含めて「シーマ」と言えばいいとなった。「芦田現象」(笑)反対の現象も含めてアルケーがある。

2010-08-29 15:43:01
Yasunaga Wakabayashi @ywakabayashi

#ashida0829 存在者はあらゆるものとみておけばいい。存在は存在者ではない。にもかかわらず、存在は、存在者の存在でしかない。2つのベクトル。人間はこれがわかる存在。

2010-08-29 15:47:27
Yasunaga Wakabayashi @ywakabayashi

「堕落」かー考えさせられる。RT @Quumo: 存在はいつも存在者に押し戻されて行く。ハイデガーはこれを堕落といっている。堕落出来ないものは存在といえない。 #ashida0829

2010-08-29 15:48:44
Yasunaga Wakabayashi @ywakabayashi

#ashida0829 現前性は広くとる。サルの意図とは無関係にサルの魅力、パワーが拡がっていく、サル現象。それがサルの飼育員に影響する。これが実体の自己展開とヘーゲルは言う。シーマ現象だってシーマの開発者の意図とは関係ない。

2010-08-29 15:55:33
Yasunaga Wakabayashi @ywakabayashi

#ashida0829 存在は現象学でしか扱えない。ハイデガーは「気分」を初めて哲学で取り扱う。「気分」が先に開けてるから言動が生まれる。「気分」は存在に近いもの。

2010-08-29 16:03:08
Yasunaga Wakabayashi @ywakabayashi

#ashida0829 Daseinはヘーゲルでは定在。ハイデガーは存在が現前していること、つまり人間のことを指す。人間は特別な存在とみている。すべての存在者は何かのために存在している。最後にはすべて人間に行き着く。人間はすべての存在者を超越した存在。

2010-08-29 16:06:41
Yasunaga Wakabayashi @ywakabayashi

#ashida0829 『存在と時間』後半は、人間は死ぬために存在する。死ぬということの時間性が存在が時間に先立つことにつながる。存在論的差異の、差異を担えるのは人間は死ぬことができるから(暫定的結論)。

2010-08-29 16:08:50
Yasunaga Wakabayashi @ywakabayashi

#ashida0829 良心を持とうとする意欲。これは選択できるとハイデガーは言う。別の行動もできた(いつでも非、責めがある)。それが良心のありか。これで良いという行動はない。自分の行動はいつでも「非力」にしか関われない。

2010-08-29 16:16:12
ふじまま @fmama

過去の選択を想起し、認めることでしか自分は存在出来ない、か… “@ywakabayashi: #ashida0829 良心を持とうとする意欲。これは選択できるとハイデガーは言う。別の行動もできた(いつでも非、責めがある)。それが良心のありか。これで良いという行動はない。…”

2010-08-29 16:41:20
kotsuji @askrchaos

RT @fmama: 過去の選択を想起し、認めることでしか自分は存在出来ない、か… “@ywakabayashi: #ashida0829 良心を持とうとする意欲。これは選択できるとハイデガーは言う。別の行動もできた(いつでも非、責めがある)。それが良心のありか。これで良いという行動はない。…”

2010-08-29 17:04:20
Yasunaga Wakabayashi @ywakabayashi

#ashida0829 つぎは『存在と時間』から始まって、なぜ『存在と時間』がダメになったかは語りたい。そうしないといつまでたっても『存在と時間』にたどりつけない(笑)

2010-08-29 16:19:55
Yasunaga Wakabayashi @ywakabayashi

「である」が「ある」RT @ykob: 存在っていうのは二重化したアルケーの「である」のほうを言っているってことであってんのかな #ashida0829

2010-08-29 16:23:17
Yasunaga Wakabayashi @ywakabayashi

二次会乾杯!翻訳でいいから原典を読め! http://ow.ly/i/3uek #ashida0829

2010-08-29 17:01:57
大暑 @tabataba_bro

@ywakabayashi よくあの講義を聴きながら・・・有り難く読み返させていただきます。

2010-08-29 17:44:57
Yasunaga Wakabayashi @ywakabayashi

ノートのつもりです。RT @tabataba_bro: @ywakabayashi よくあの講義を聴きながら・・・有り難く読み返させていただきます。

2010-08-29 18:46:12