家と物語 遺伝的親という自己の手がかり
もはや現代人の世界観の中に「遺伝子」という概念は強く侵入し大きなスペースを占めている。これを無視して自分のアイデンティティーを揺らがせないにはかなりの強さが必要となろう。
2013-02-21 13:40:12@geppeeee 現代人とは限らないでしょうね。おそらく人間にとって「自分が誰の子であるのか」と謂うことは「自分はどう謂う人間であるのか」と分かち難く結び附いていて、これまでの人間の歴史はみんなその記述だと言ってもいいでしょう。
2013-02-21 13:44:51@chronekotei うーん、その「自分は誰の子か」ということの中に、現代では抜きがたく「遺伝子」が入り込んでいるわけですよ。これはもう逆行は不可能だと思います。
2013-02-21 13:46:49@geppeeee ええ、だから現代においては「血脈」の意味が「遺伝子」「DNA」と謂う科学の言葉によって強化されているわけですが、遙か大昔から「子は親に似る」「子は親から何かを受け継ぐ」と謂う事実は認識されていたわけで、人間の歴史って結局「誰が誰の子なのか」の記録なんですよね。
2013-02-21 13:50:34@geppeeee だから、特定個人が「血脈なんかどうでもいい」と謂う考え方なのは、これも大昔からそう謂う人は一定数いたんですね。しかし、社会全体で血脈とか遺伝子に拘りを持たないと謂う方向に行くには相当な時間が掛かるでしょうね。
2013-02-21 13:54:00@geppeeee 仰る通り、現代の社会システムの大半がそれを前提に織り込んでいるわけですから、大変革にならざるを得ないですね。
2013-02-21 14:11:06@geppeeee @chronekotei そのうち、遺伝病やエンハンスメントにかかわる部分に両親以外の遺伝子を使うということも行われるようになったら、さらに問題は複雑化するでしょう。
2013-02-21 13:50:12@geppeeee 昨日触れたように、人間に出来ることが増えると、従来は限界や限定の自明性によって前提視されていた事柄が前提たり得なくなったり、それとは別に従来は経済活動の対象ではなかったことが経済活動の対象になります。
2013-02-21 13:52:43私は何なのか、っていうのは悩み始めると厄介ですしねえ。 RT @chronekotei: 世界の中にいきなりポンと生み出された人間が、自分と世界の繋がりを知る為に必要な情報なんだろうな>自分の親が誰なのか
2013-02-21 14:22:09でも、ちょっとずつは変わりつつあると思うのは、たとえば今は離婚・再婚する両親が増えたから、子供に向かって「兄弟・両親に似ている・似ていない」と口にするのはダメだと謂う風潮になっているとかね、ちょっとずつは変わってきていると思う。
2013-02-21 13:57:23なので、おそらく「遺伝上の両親と子供が家庭を作ること」と謂う文化的強制は薄れてきていると思うし、オレもそれは良いことだと思うが、遺伝上の両親を知ることが出来ないと謂うのは、別の意味でやっぱりまだ欠落となり得ると思う。
2013-02-21 13:58:48おそらく、大部分の人々にとっては「遺伝上の両親は誰なのか」と謂う情報は、自分と謂う人間が如何なるものであるのかを認識する上で、未だに重要な情報なんだと思う。
2013-02-21 14:00:06自分の実感としても、今はもう自分の遺伝上の両親がどんな人間であるか知ってるからどうでもいいが、知らなかったら多分物凄く知りたいと思うだろうね。
2013-02-21 14:02:26その一方で、オレは「親がいなかったから寂しかった」とか「親が忙しかったから寂しかった」と謂う感覚は実感的にわからないんだけどね。
2013-02-21 14:04:33「親が子供を産み育てる」と謂う一連のプロセスは自明に一体不可分と見做すことによって今までの社会システムは成り立っていたわけで、少数の例外にまでは手が回りませんから個別に対処しますよ、と言っておけば何とかなっていた。でも、これからは「例外」が「少数」ではなくなってくる。
2013-02-21 14:13:57オレなんかは、これからの「家族」なんて「一人の成人の後見人と子供と謂う最小単位」で考えてもいいと考えているけど、まあ、遺伝上の両親は知ることが出来るほうがいいと思う。今のところはそれが限界だろうね。
2013-02-21 14:16:21@geppeeee たとえば両親が誰であるかわからない子供が、無責任に遺棄された立場であることは自明ですから、両親を探す行為ってのは肯定してもいいし、両親の側にも探されるだけの落ち度がありますよね。
2013-02-21 14:20:27@geppeeee でも、曲がりなりにも母親がいて、ちゃんと子供を育てているけれども、男関係が頻繁でどの男が父親か自分でもわからないと謂う場合、子供が知りたければ敢えて父親を探すべきなのかどうかって微妙な問題だと思いませんか?
2013-02-21 14:21:32