石牟礼道子小論

石牟礼道子さんについて、思いついたこと
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中所 宜夫 @show3418

池澤夏樹個人編集世界文学全集版「苦海浄土」石牟礼道子、漸く読了。随分かかりましたが、40年かかって書いた物のようですから、それもおかしなことではないでしょう。その間に石牟礼さんの対談本を3冊読んでいます。読了って直ぐの石牟礼道子小論をやってみたいと思います。

2013-02-19 22:50:07
中所 宜夫 @show3418

小論1。池澤夏樹氏が解説に書いています。「水俣の漁師たちの古代的な時間感覚を近代に属する読者に伝えようと、遠すぎるもの同士を結ぼうと、石牟礼道子は力の限りを尽くした。」この文章に私は思い当たることがあります。

2013-02-19 22:58:37
中所 宜夫 @show3418

小論2。鶴見和子さんとの対談のなかには、近代を再評価しようとするなかで、アニミズムが立ち現れた、と言うようなことが鶴見さんによって語られていますが、ほぼ同じことを言っているのに、それを読んだ時には気がつきませんでした。

2013-02-19 23:05:10
中所 宜夫 @show3418

小論3。それは池澤氏の文章に、『苦海浄土』は「聞き書きのふりでやっているんです」という彼女の言葉が紹介されていて、その部分で私は、能のワキとの共通点をみていたから、思い当たったのです。即ち、ここで石牟礼道子は世阿弥と同じことをしているのです。

2013-02-19 23:16:00
中所 宜夫 @show3418

小論4。私が石牟礼さんの詩「花を奉る」を舞台化するに当たって、手紙に「この詩に謡の節付けを施しているうちに、夢幻能の形式が立ち現れた」と書いたのに対して、石牟礼さんのご返事の中に「私自身、表現者として発想の基に能的表現がはいって来てしまうところがございます。」とありました。

2013-02-19 23:26:38
中所 宜夫 @show3418

小論5。お手紙を読んだ時にはよくわからなかったのですが、それはこういう事だったのかも知れません。能のワキは、常に現実の人として舞台上にあり、その視界に写るものを見所に見せているのです。世阿弥の創作した夢幻能は、そういう構造を持っているのです。

2013-02-19 23:34:53
中所 宜夫 @show3418

小論6。これは単に形式の問題ではありません。池澤氏の表現でいけば、古代と近代の真ん中に中世があるのですから。世阿弥が申楽を使って、神秘=霊魂=幽玄を表現しようとしたように、石牟礼道子は小説?を使って、古代=アニミズム=近代の欺瞞を表現しています。

2013-02-19 23:48:35
中所 宜夫 @show3418

小論7。ところで、世阿弥の側に翻れば、古代的な物の息吹を舞台上に再構成しようとする、その手触りを石牟礼道子の語りの中に感じます。 以上、言葉足らずの小論ですが、自分の備忘録のために、ツイートしました。

2013-02-19 23:58:07