日本人に多い、悲劇のヒーロー、ヒロインタイプ

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日本にいると正義感が強い人、をよく見かける。

正義感の意味を辞書で調べると「不正を憎み、人の道に忠実であろうとする考え。」とある。

日本のアニメ(特に~80年代~90年代)はヒーロー(主人公)がいて、ヒーローが悪をやっつけて、ハッピーエンドというアニメが実に多い。
これは海外のアニメではそんなに多くないらしい。俺が好きな海外のアニメ「トム&ジェリー」も正義とか悪とかそういう類はないアニメだ。
そういう日本のアニメを幼少期に見て育った影響をあるのか、日本には正義感の強い、正義ぶる、悲劇のヒーロー(悲劇のヒロイン)タイプの人間が多いように感じる。

悲劇のヒーローとは「なんで自分はこんなに頑張ってるのに、報われないんだ。なんでおれの責任になるんだよ。はいはいわかりましたよ。私がわるーござんしたよ」というような思考回路のタイプ。

責任感が強く、まず「自分を認めて欲しい」という欲が人一倍強い人間が悲劇のヒーロータイプに多い。

だから大きな世界で有名になりたいとか、そういう感じではなく、会社の中で1番、とか、小さな世界、せめて自分が普段いる世界の中では1番になりたい、もしくは一番偉い存在でありたい、という考えの人が多い。
だから自分より上の人から何か言われると「なんでおれなんだよ」と不貞腐れ、自分より下の立場の人には横柄な態度であたる。

いわゆる悲劇のヒーロータイプは「出世タイプ」に多いタイプだ。

個人的な主観で考えると、悲劇のヒーロータイプは「権威」に人一倍貪欲で、権威さえ手に入れば、あとはそこそこで良いという人が多いように感じる。
だから普段の生活では欲も少なく、一緒にいても「この人は何か趣味があるんだろうか?この人は何をしたいんだろう?」と思ってしまう事もある。
だから何になりたいというよな理由で仕事を選ぶ事が少なく、自分が上の方へ行ける可能性がある事を選んで仕事にする人が多い。
なにかの世界で生きていくのではなく、どんな世界でも自分が上に立つ事が最終的な目標だ。
権威さえ手に入ればほとんどの事は自分が決められるという固定概念がどこかにある。
まあ、一昔前の世界だったらそういう事もあったかもしれないが、今の世の中では相対的に見るとそれは難しい。
悲劇のヒーロータイプは、相手がどんなに嫌いでも、権威がある人には服従する。
自分の中で権威のある人はどこかリスペクト(尊敬)している部分もあるのかもしれない。
自分もこういうふうになりたい、のように。たとえ悲劇のヒーローのセオリーからいうと唯一反するのが権威があれば嫌いでも従う、仲間に付ける、という点だ。

悲劇のヒーロータイプが最も恐れている事、それは「権威を失う事」だ。 「権威が無い事」ではない、「権威を失う事」だ。

権威がない自分より、権威を失う事の方が耐え難い苦しみなのだ。

悲劇のヒーローにとって権威を失うことは何十年とコツコツ貯めてきた貯金を、銀行倒産と同時に全て失うようなものだ。
俺は海外のHIPHOPが好きで、有名アーティストのドキュメントDVDとか映画をよく見る。ギャング映画もよく見る。、それらの人間にも権威欲、みたいのが垣間見れるんだけど、明らかに日本に権威観とは世界や価値観が違う。
人種の歴史や国に文化、歴史の違いだろうな、と思って見ていた。

日本人の話に戻るが、悲劇のヒロインタイプは「好き」より「得意」で仕事を選ぶ。

物事を見る目も常に「自分が主観」で自分が良いと思ったものは良い、自分が嫌と思ったものは嫌、というスタンスで物事を見る。
なので悪徳商法や詐欺にひっかかる事は少ない。

良い意味でも悪い意味でも他に影響されないのだ。

食わず嫌いをしてしまうのもこのタイプだ。
つまり、実際にやった事もないのに、あれは自分には合わない、あそこは行っても面白いはずがない、あれは美味しくない、あの女とは夜の相性は合わない、等とやる前から決めつけてしまう。

色々な意味で狭い世界で生きているのが悲劇のヒーロータイプだ。

面白いし嫌いではないのでほんとは名前を出したくはないけれど、フジテレビのすぽるとに出ている三宅正治アナウンサーが正に悲劇のヒーロータイプだ。
あの人は今年で50才だけどあの年代は特捜戦隊アホレンジャーとか、そういう特捜戦隊もののアニメが出はじめた頃に小学生あたりで、
ブームだった年代なんだろうか...。あとはさだまさしや上岡龍太郎とかも典型的な悲劇のヒロインタイプだ。
あの人達は自分の部下や下の立場にガミガミ言ってる姿が簡単に想像できる。そしておれのように破天荒な事をする事はまず無く人に迷惑をかける事も少ない。
だから悲劇のヒーロータイプの周りには意外と人は集まる。

悲劇のヒーローは「偽善者」と似ていて混同している人もいるが、全く別物だ。

偽善者はアクションを起こす最終的な目標が自分だけでなく、周りの人間にもある。
例えば3人で話していてAが偽善者、BがAの嫌いな人、Cが他人、だとすると、Bを貶す為に、Cを利用して、Bに間接的に攻撃する。

いわゆる偽善者は計算高いタイプだ。

しかし悲劇のヒーロータイプは「最後は自分」だから自分が得をしないと気が済まない。
だからさっきの例で言えば、Aが悲劇のヒーローだとすると、嫌いなBには関わらず、Cとだけ話をする。つまり偽善者のように「利用する」のではなく「捨てる」人が多いように感じる。

偽善者は敵を作らないようにするから心の中では嫌いと思っていてもうまく付き合い利用する、悲劇のヒーロータイプは敵だと思ったら関わらず、持ち前の正義感で相手と闘う。
そこは偽善者と違い隠せない部分だ。
あくまで多い少ないというだけで、すべてカッチリ当てはまるわけではないが。

悲劇のヒーロータイプは自分に力が無い事をしっている。

だから誰にでも一目で凄さがわかり易い物に憧れる。 大企業や社長、芸能人、有名人、大学教授、権威のある人、等がそうだ。
だから無名なモノや、社会的に権力がないモノは、どこか低く見ている所があり、信じない。

悲劇のヒーロータイプは表面的に闘う事をあまりしない。

平和主義というか、闘って自分が惨めな目に合うよりだったら、闘わない方がマシだ、と考えている。
権威も損なうし....。
だから闘う前は闘いをどこか恐れている所もある。
舞台に立てばそれなりにはやるし見えない所では闘っているんだけど...。

悲劇のヒーロータイプは自分の世界や領域をかき乱される事を極端に恐れている。

だから自分の家にズカズカと土足であがってくるような人間には不快感を覚える。
来る者拒み、去る者追わずタイプだ。 決してフレンドリーなタイプではない。
自分がどこか人より劣っている事を知っていて、小さい時から上から見下された経験が多いから、その反動で権威に憧れる人も多いのかもしれない。

悲劇のヒーロータイプは、自分が直接相手や周りに言わなくても、伝えなくても、どこか感じ取ってくれているだろう、と勘違いしている人が多い。

だからはっきりと物事を言わない人が多い。 だから時々、アレ?なんでこうなるんだよ?、という独特な感情を持っている。
日本人は同じ先進国の外国人と比べると、かなりおとなしい印象を受けるけど、 それは世の中が作ったモノに影響され、悲劇のヒーロータイプが増えた事が要因としてひとつあると思う。
だから日本という島国の中では有名で権威もあり活躍している人は多いんだけど、島の外(海外)に1歩でると何もできない人が多い。
テレビのタレントなんかがそうだと思う。 世界で活躍している大御所といえば北野武(ビートたけし)くらいだ。
「世界で闘えない」、のではなくて、「世界で闘いたいという欲が無い」んだともう。

どちらが正義でどちらが悪、というような明確な定義はこの世に存在しない。

アンパンマンでもバイキンマンの方が正義だと思ってる人もいる。

世の中が勝手に決めた、ルールや価値観、人間を見る基準、というものほど当てにならないものはない。

人間一人一人、違う生き物だから。

自分が信じてきたものが、実は自分の中では正反対なものだった、間違いだった、正義だと思っていたモノが実は悪だった、日本人はそういう裏切りを多く経験している人が多い。 今まで散々そういう出来事や事件があり、学習してきてるはずなのに、また同じことを繰り返す。

どんなに権威を得ても、最終的には自分の中にあるモノしか残らない。

俺は世の中で言う権威や権力には全く興味はないけど、自分を自分で服従させるという「権威」は大切にしていきたいと思っている。

権威は外に見せびらかすモノではない、自分の中にあれば良いものだと思っている。