ブログに「ポストグローバル社会とナショナリズムについて」を書きました。http://t.co/7mowhZCCVP 思想は属人的なものであり、身体に担保されている。だから身体を破壊すれば、思想は破壊される。それがテロリズムの論理です。それをどう転倒するか。
2013-02-27 12:39:32個体はそうなんだよね。 ”人間の生身としての脆弱性について深い理解をもつ人間しか、人間的な社会システムを作り出すことができないということである。” / “「ポストグローバル社会」とナショナリズムについて (内田樹の研究室)” http://t.co/ZlyObaNxY4
2013-02-27 12:46:42“「誰を信じるべきか、誰についてゆくべきか」のぎりぎりの基準は、政策コンテンツの綱領的な整合性や「政治的正しさ」ではなく、その政治思想家の「生身」だということである”>「ポストグローバル社会」とナショナリズムについて (内田樹の研究室 http://t.co/FrmbKn5hYc
2013-02-27 12:50:08「ポストグローバル社会」とナショナリズムについて (内田樹の研究室) http://t.co/2dfoVUMg72 人間の生身としての脆弱性について深い理解をもつ人間しか、人間的な社会システムを作り出すことができないということである。
2013-02-27 12:54:50それがどんなに小さなコミュニティだろうと、自分の属する共同体にとって「類的存在」であろうとするかどうか。それはエリート思想に由来しようが何だろうと構わない。そうであろうとしさえすれば。 -ポストグローバル社会とナショナリズムについて http://t.co/eOjYb5HGpv
2013-02-27 12:58:13「ポストグローバル社会」とナショナリズムについて http://t.co/hsJsxllnTy 近代日本政治史をもう一度勉強し直さなければならないという気分が醸成された
2013-02-27 13:25:37人間の生身としての脆弱性について、深い理解を持つ人間しか、人間的な社会システムを作り出すことが出来ない。 「ポストグローバル社会」とナショナリズムについて (内田樹の研究室) http://t.co/h0YX4Rb8AX
2013-02-27 13:44:27http://t.co/IOSfj5Yo5l 『「思想は属人的なものだ」という確信、生身の人間の担保ぬきの政治思想など無力であり無価値であるという確信がテロリズムを可能にしている。』→ あるある。Believe your 鳥肌。超越項なし。実感だから正しい。主観だから正しい。
2013-02-27 14:13:43昨日は、内田樹さんと平松邦夫と凱風館でトークゼミでした。ポストグローバル社会における国民国家(およびナショナリズム)とコミュニティーのあり方がメインテーマになり、議論はテロと身体の問題に及びました。非常に刺激的な議論でした。一連のトークイベントは、講談社から出版される予定です。
2013-02-27 14:36:15それゆえに、テロリズムの論理を反転さ せるならば、人間の生身としての脆弱性 について深い理解をもつ人間しか、人間 的な社会システムを作り出すことができ ないということである。 アンチ・テロリズムの思想もまた、「思 想は属人的なものだ」という公理に基づ くことになる。 内田樹
2013-02-27 16:38:17壁は、私利の確保や全能感の獲得のために政治行動をする人間と「類的」な動機に駆動されて政治実践をする人間たちのあいだに~ ~生身としての脆弱性について深い理解をもつ人間しか、人間的な社会システムを作り出すことが~→ (内田樹の研究室) http://t.co/ye4ixfGtMR
2013-02-27 17:04:37新しいテーマに出会えたようだ 「ポストグローバル社会」とナショナリズムについて (内田樹の研究室) http://t.co/MfKwv23cmG
2013-02-27 19:56:59「ポストグローバル社会」とナショナリズムについて (内田樹の研究室) http://t.co/lh254q6V78 >本質的な壁は、私利の確保や全能感の獲得のために政治行動をする人間と「類的」な動機に駆動されて政治実践をする人間たちのあいだに
2013-02-27 22:34:29内田樹さん「ポストグローバル社会」とナショナリズムについ てhttp://t.co/Jsbt6lAFHR 本質的な壁は、私利の確保や全能感の獲得のために 政治行動をする人間と、「類的」な動機に駆動されて 政治実践をする人間たちのあいだにある。
2013-02-27 22:41:44内田樹さん「ポストグローバル社会」とナショナリズムについ てhttp://t.co/Jsbt6lAFHR 人間の生身としての脆弱性について深い理解をもつ 人間しか、人間的な社会システムを作り出すことが できない...
2013-02-27 22:43:04「ポストグローバル社会」とナショナリズムについて http://t.co/qM9fobKigj …「思想は属人的なものだ」という確信、生身の人間の担保ぬきの政治思想など無力であり無価値であるという確信がテロリズムを可能にしている。この確信には危険な半真理が含まれている…
2013-02-28 03:35:33ナショナリズムと類的存在(英雄的・非利己的な献身をする者)を架橋する道ぐらいしかない|「ポストグローバル社会」とナショナリズムについて (内田樹の研究室) http://t.co/gc9VouLsgp
2013-02-28 08:53:05本質的な壁は、私利の確保や全能感の獲得のために政治行動をする人間と「類的」な動機に駆動されて政治実践をする人間たちのあいだにある。 http://t.co/ko6UjOQAOt
2013-02-28 12:14:59「ポストグローバル社会」とナショナリズムについて (内田樹) http://t.co/gztAItIncm 「現代日本に瀰漫しているナショナリズムは「ナショナリズムとして空疎である」という印象が私にはある。ナショナリズムというのは、こんなに薄っぺらで、反知性的なものであるはずが」
2013-02-28 12:17:44ナショナリズムは薄っぺらいもんじゃない、っつーけどナショナリズム自体が精一杯遡ったところでウエストファリア条約前後以降の400年程度の歴史しかないんだから、薄っぺらくて当然。 【「ポストグローバル社会」とナショナリズムについて http://t.co/FGVj4BXhaD】
2013-02-28 13:36:52内田樹「ツイッターにも少し書いたけれど、現代日本に瀰漫しているナショナリズムは『ナショナリズムとして空疎である』という印象が私にはある。 ナショナリズムというのは、こんなに薄っぺらで、反知性的なものであるはずがない」 http://t.co/jBSqJeB3M3
2013-02-28 15:40:20それゆえに、テロリズムの論理を反転させるならば、人間の生身としての脆弱性について深い理解をもつ人間しか、人間的な社会システムを作り出すことができないということである。 http://t.co/ko6UjOQAOt
2013-02-28 22:10:58「ポストグローバル社会」とナショナリズムについて (内田樹の研究室) http://t.co/Qyv3uhG1rY 「政策コンテンツの綱領的な整合性や「政治的正しさ」ではなく、その政治思想家の「生身」だということである。明治大正の政治思想家たちは、左右を問わず、身体を持っていた」
2013-03-01 11:54:08“人間の生身としての脆弱性について深い理解をもつ人間しか、人間的な社会システムを作り出すことができない” http://t.co/HiDtLspfqs 僕は坂口くん @zhtsss に“生身”を感じたので信用する事にした。内田さんは彼の事どう思うだろう? @naikaku
2013-03-01 16:33:00