地方都市におけるオリジナリティについて

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Takaaki Ishizuka @Ishizucat

@39102011 もう一つ言及しておきたいのが、Makers革命。あれの本質は、生産資本の障壁が下がったことによって、マルクス的なプロレタリアから脱することが現実として可能ということであり、だから資本主義の性質が大きく変わるかもしれないってことだよね。

2013-02-24 12:48:19
Takaaki Ishizuka @Ishizucat

@39102011 小括すると、〔テクスト化=メディア化=メッセージ化〕は、社会・経済・政治のシステムを根本的に変質させる方法論として可能性を秘めていて、第三的な立場から価値の転換を模索して行くことが当面の活動規範になるのではないかということだよね。

2013-02-24 12:52:30
Takaaki Ishizuka @Ishizucat

@39102011 あと、谷君を招待したいグループがあるんだけど。S研の一つ上の先輩がネットワークをつないでくれて、ちょうど昨日、Facebook上でグループが形成されたんだけど。同じような問題意識を持った人たちで、広域連携しようっていう感じの。

2013-02-24 12:55:47
39102011 @39102011

@Ishizucat現代日本社会の問題点は「メッセージの伝達ができないこと」。そう大学時代の教官だった理論社会学の志田先生は言っていたね。「カタチにする」伝達を可能にする。今の問題はコンテクストがないのか。コンテクストを伝えるメディアがないのか。受容する側にコンテクストがないのか

2013-02-27 16:06:45
39102011 @39102011

@Ishizucat 地域社会の意味論というのは非常に興味深い。そもそも意味論というのなぜ必要なのかな。ルーマンは世界の根源的未規定性を縮減する機能が意味だというけど。自分は人間が生きる動機・何かを作り出す動機として意味が必要なのではないか。と思っている。

2013-02-27 16:26:09
39102011 @39102011

@Ishizucat その家をなおしている男は仏法を進行しているのだが、宗教も世界に意味付けるという機能を持っている。クリエーション(天地創造)とは意味世界の創造であるとすれば、何かをカタチにする動機・活力は自分を世界に位置づけるという欲求からはじまるのだろうか。

2013-02-27 16:30:23
39102011 @39102011

@Ishizucat 全国画一的に「都市」計画を制度化している現状は明らかにおかしい。地域のコンテクストも無視される。資本主義の精神がない日本で画一的に資本主義を導入した結果が、地方と都市部の構造的問題。特に土地制度と住宅制度の欠陥は根深い。

2013-02-27 16:35:32
39102011 @39102011

@Ishizucat 資本主義の本質はサイクリズムにあるのでは?「金を貯めて、更なる金を生むために、金を使う」などなど新陳代謝をするためのサイクルを生み出す。経済においてサイクルという概念って決行重要な気がする。ケインズ経済学の乗数効果など。サイクルというよりはスパイラルだけど。

2013-02-27 16:45:47
39102011 @39102011

@Ishizucat 商店が軒を連ねることで界隈性を生むということはあるとおもう。しかし界隈性を生む前提として、①自助努力が経営の基本②店構えは自分で責任を持つ(アーケードをつくらない)③消費者に魅力ある商品を邸起用する。④店舗の更新がある。つまりサイクルがある。これ大事。

2013-02-27 17:04:15
39102011 @39102011

@Ishizucat 政治団体化した商店街に生き残りはない。地方と都市の格差を公共事業など税金補助金で埋め合わせしようとする政治は、資本主義に反する。利権化し更新が行われない商店が廃れるのは必然である。

2013-02-27 17:07:26
39102011 @39102011

@Ishizucat補助金などを通し中央に接続してしまった商店街に、地域のコンテクストをつむぐ能力はないよ。その結果、イオンなどより主権的なものに淘汰されるのは必然だよなー。

2013-02-27 17:11:24
39102011 @39102011

@Ishizucat 最近は商店「街」とは距離をとっているけど、「商店」とは距離を縮めているのよ。地元のおばちゃんと商店で働く人を紹介する番組を作っている。商店単位では商店街的なものと距離を置きつつ商売に励む人の姿があったよ。探せばすごくいいお店があるのよ。

2013-02-27 17:14:46
39102011 @39102011

@Ishizucat 仲間の一人もとSEなのだけど、彼はARと地域情報をリンクさせたいみたいね。具体的には各店舗・各家庭で生産された商品・作品みたいなものをARの世界に投影するというもの。各々がテキスト化したものをARで共有すれば、街が楽しくなることうけおい。というのだ。

2013-02-27 17:24:52
39102011 @39102011

@Ishizucat 個人の生産活動は意味世界の構築になるのかね。資本主義がプロテスタンティズムから生まれたなら、新しい経済体制も場所性などのコンテクストをカタチにしようとする内面の動機から生まれるのかも。何かを作ること、カタチにすることが社会を構築する行為態度になる時代が来るか

2013-02-27 17:40:42
Takaaki Ishizuka @Ishizucat

@39102011 社会学とはちょっと離れるんだけど、地理学の風土論なんか勉強していて思ったのは、「意味」は人間が絶対的な世界から外に向かう時の「階梯」として必要なんじゃないかな。それが生きる動機かといえばそうなのかもしれないけれど。

2013-02-28 01:14:15
Takaaki Ishizuka @Ishizucat

@39102011 宗教が世界に意味付けってのは、アボリジニーの宇宙観とか各地の自然神信仰なんか見ていてもそうだよね。その根源的な活力が何か。アーティストなんかを見ていると、意味世界の外からやってくる未知の何かを自らの身体を通して受信し、それを意味化せんと苦しんでいる感じ。

2013-02-28 01:23:03
Takaaki Ishizuka @Ishizucat

@39102011 ある人が言ってたんだけど、地方議員なんて仕事してなくて必要ないのにそれでも必要なのは、地方議員そのものが公共事業だからだって。サイクルを生み出す点に置いてはそれ(地方議員)も秀逸なのかもしれないな。

2013-02-28 01:42:11
Takaaki Ishizuka @Ishizucat

@39102011 ぶっちゃけ、未開社会では男働いてなくても回ってたりする経済もあるわけだが、それだとある意味持続可能ではあるが、成長可能ではない。資本主義のスパイラルモデルって、利子率と信用創造に支えられている気がする。今日持っているお金の価値が、明日には変わるって凄い。

2013-02-28 01:47:51
Takaaki Ishizuka @Ishizucat

@39102011 一つ言及しておかなければならないのは、サイクルなりを回すときに、回すための「資源」を見落としている点。金を回しているだけではなくて、当然、金に付随するモノも回っているわけで。モノは完全に有限だから、成長にも限界があるっていう、誰だったかの指摘。

2013-02-28 01:51:37
Takaaki Ishizuka @Ishizucat

@39102011 生産・消費が永遠に回る経済なら資本主義もモデルとして有効なのだろうか。福祉国家論のアンデルセンに言わせると、労働者は他の商品と違って、自らが生き延びて、自らとその社会を「再生産」しなければならない。多くの消費という犠牲の上に成り立つサイクル。怖すぎだろ。

2013-02-28 01:57:02
Takaaki Ishizuka @Ishizucat

@39102011 やっぱさ、ワタミとか見ててもおかしいと思うんだよね。労働者は夢を消費し、自らを回し続け、企業は労働者を消費し、経済を回し続け....。背後に単線的な「時間」の概念が透けて見えるのだけれど、インド的な円環と照らし合わせたときに、何か示唆するものがある気がする。

2013-02-28 02:04:53
Takaaki Ishizuka @Ishizucat

@39102011 この辺は議論が分かれる所だな。個人が粛々と取り組んでいるだけでは何も変わらないという意見も有るし。計画論でいうところの共同体の「大きな絵」が必要なのかどうか。方法論的なことも含めて、主要な論点の一つだな。

2013-02-28 02:10:15
Takaaki Ishizuka @Ishizucat

@39102011 ARは現状で情報空間以前のデータ空間にすらなっていないからな。多種多様なデータを多主体で扱える社会的下地が整わないと本当の意味でARにはならないんだと思う。それには社会デザインという、ものすごくベタで生臭いことをやらなければならないw

2013-02-28 02:16:11