山本七平botまとめ/【読み、書き、そろばん】/なぜ中国は近代化に失敗し、日本は成功したのか?/~自らを辺境文化と規定し、文化の中心を日本の外に置いて学び取る伝統が「脱亜入欧」を可能にした~

山本七平著『1990年代の日本』/民族の履歴書/読み、書き、そろばん/22頁以降より抜粋引用。
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山本七平bot @yamamoto7hei

①【読み、書き、そろばん】このほかに、土木、建築、医術、絵画、彫刻から小説・戯曲に至るまで、日本は多くを中国から学んだが、見逃すことができないのが「読み、書き、そろばん」という、今も変わることなき日本存立の基礎を中国から導入したことである。<『1990年代の日本』

2013-03-03 02:27:46
山本七平bot @yamamoto7hei

②もちろんそれは基礎であって中国の教育はこれと違う。 だが、紙およびその製法、筆墨と印刷の導入が日本に与えた影響は計り知れない。

2013-03-03 02:57:39
山本七平bot @yamamoto7hei

③例えば日本人の伝統的な道徳意識の基となっている『論語』だが、これが浸透しはじめるのは正平19年(1346年)に印刷に付され『正平版論語集解』が流布して以降のことである。 これはヨーロッパにおける聖書の印刷より約一世紀早い。 さらに紙と筆墨は「読む、書く」を日常化させた。

2013-03-03 03:27:49
山本七平bot @yamamoto7hei

④西欧では三十年戦役(1634年にワレインュタインの暗殺)ころでさえ字の読めない将軍は珍しくなかったが、同時代すなわち家光の時代に、字の読めない大名を求めることは不可能であったろう。

2013-03-03 03:57:41
山本七平bot @yamamoto7hei

⑤さらに1700年代の後半となると、純然たる娯楽で本を読む階層ができ、それを相手の出版が商業として成り立つ状態になる。 いわば識字率が向上し、字を読むことを少しも苦痛と感じないが、しかし高度の教養を必要とするものはいやだという人びとが現われる。

2013-03-03 04:27:53
山本七平bot @yamamoto7hei

⑥これによる読書の普及は、明治の近代化を可能にする前提となった。 いわば明治以降における、俗にいう「翻訳文化」の前提である。

2013-03-03 04:57:38
山本七平bot @yamamoto7hei

⑦例えばインド人などには「日本の西欧化」という言葉に異議を唱える人は決して少なくない。 というのはインドの知識階級に比べれば、日本人の英語能力は総体的に極めて低いから「英語も満足にできないで西欧化など可能な筈はない」と考えて少しも不思議でない。 否、むしろそれが正論なのである。

2013-03-03 05:27:47
山本七平bot @yamamoto7hei

⑧だが日本は明治にすでに、少数の人が、読書代行業のような形で原書を読み、これを日本語にして公刊した。 知識の摂取、普及、一般化はこの方がはるかに能率的である。 そしてそれを可能にしたのが、紙、筆墨、印刷という中国から導入した技術による識字率の向上であった。

2013-03-03 05:57:38
山本七平bot @yamamoto7hei

⑨「翻訳文化」と軽蔑したように言うが、この能率的な文化の樹立がすべての国に可能なわけではない。 さらに「そろばん」について言えば、その効用は今更、口にする必要がないであろう。

2013-03-03 06:27:44
山本七平bot @yamamoto7hei

⑩アラビア数字がなく、壱、弐、参という文字を使用していれば、簡単な筆算も不可能に近い。 それが、そろばんに熟達すれば、筆算では想像もつかぬような速さで、しかも正確に計算できる。

2013-03-03 06:57:41
山本七平bot @yamamoto7hei

⑪そろばんは古くから日本人の必需品であり、前田利家などは鎧櫃の中に必ずそろばんを入れて持っていた。 恐らく兵糧の補給や行軍時間の算出などに使ったのであろう。 それ以後の時代については言うまでもない。 電卓の出現まで日本人のそろばんぐらい速い軽便な携帯用計算機はなかった。

2013-03-03 07:27:49
山本七平bot @yamamoto7hei

⑫更にそろばんは暗算能力を高めるが…恐らく日本人が世界一であろう。以上のような様々な文化的蓄積が我々の履歴の中にあるがその基本となっているものは、日本人は自らを辺境文化と規定し、文化の中心を日本の外に置いて、この方を見つめ、それから積極的に学びとろうとした伝統をもっていた事である

2013-03-03 07:57:37
山本七平bot @yamamoto7hei

⑬いわば自国文化を絶対化して他を無視もしくは排除し、そのため自家中毒に陥って衰退を来たすことがなかったことである。 そして外に絶対性を置いていたがゆえに、目を転じて他から学ぶことも可能であった。

2013-03-03 08:28:02
山本七平bot @yamamoto7hei

⑭徳川時代は中国が、そしてその象徴としての朱子が絶対であった。 その伝統がある故に明治は目を転じて西欧を見、これを絶対化してそれから学ぶ事を当然とする事ができた訳である。 これが中心文化であった中国には簡単にできなかった。 福沢諭吉の「脱亜入欧」はこの文脈で理解すべきである。

2013-03-03 08:57:43
山本七平bot @yamamoto7hei

⑮明治が、朱子学絶対をあくまでも保持すれば、今日の日本はなかったであろう。 これについては後述するが「不易」と「流行」を無視してこの言葉を非難すべきではない。 民族の履歴書を記していけば、以上のほかに、例えば日本はなぜ東アジアでは例外的な一夫一婦制なのかという問題もある。

2013-03-03 09:27:54
山本七平bot @yamamoto7hei

⑯これは中国ともイスラムとも違う。 では北条重時家訓の 「人の妻をば心をよくよく見て、一人をさだむべし。かりそめにも其外に妻にさだめて、かたらふ事なかれ……」 がどのような思想に基づくかといった問題もあり、それ以外にも記載すべきものが多々あると思われる。

2013-03-03 09:57:43